…世界にお礼をちゃんと言うキャンペーン…地味にやってます。
ペルーのみなさん、ありがとう!
ま、日系人の多く住んでいる国でもあるので、早くから日本を心配してくれていた。あっちじゃ地球の終わりみたいな報じられ方もされていたみたいで…そんな感じのDVDが販売もされちゃいるみたいだが、概ね、国民のみなさんがあまり豊かでない…と言っては失礼だが、そうしたつましい暮らしの中から多くの義援金を日本に向けてくれたことに、ちゃんとお礼をしなければそれこそ失礼である…。
また、ペルーじゃないが、ちょっとそうしたちゃんとお礼を言う活動にも参加して、ある程度の効果はあったんじゃないかと思いますが、しっかりとお礼を言う事が出来たのは良かったかと思います。正式に国交が無い上に、隣国に遠慮して…なんてバカなことやってる日本ですから。
さて…なんだか、どこぞの学校で義援金を強制していて、それが「普通…」って感じだったとか報じられていた。
勘違いも甚だしく、義援金に強制など無い。そしてその金額も、団体の総意として決めるべきモノではなく、そこへ参加する者の裁量で決まるのが当たり前…。最小の金額で言えば、1円でも義援金に何ら変わりなく、200円でなければならない…事は全くない。100億出したからエライ…って話でも無いんである。
こうした「みんなで集めて、応援しよう!」的な運動はどこでもいつでも自主的に起きたりもするし、そうした活動が無ければ、救える者も救われない…って事にはなってしまう。ところが…何か、団体でこうした事を始める時に起こりやすいのが「暗黙の了解という名の強制」なのである。
一方的にファッショに進みかねないのを調整したり、正しい方向に導くのが大人の役目であるんだが、この学校じゃ大人がいなかったか、そうした指導をする気も無いんだろう…。
そうした記事を読んでいて、思い出したのが「ベルマーク」「赤い羽根募金」。
どちらも、定期的に行われたりしていたと思うが…これがまぁひでぇ事になってもいた。
そうした活動は学校単位でどこでも行われているかと思うのだが、活動自体は何ら悪くはない。そうした善意の集合体、もしくは日々の生活から生まれるちょっとしたゴミの中からマークを集めて校内備品にすげ替えて貰う…なんてのは、長く続いて欲しいものだけれども、自分の学んだ中学校じゃ、クラス単位で競わせていた。
クラス全員が収集や募金に参加したとなれば「100%」。とりあえずはこれが目標で、募金額や収集された得点はどうでもいいんである…。ま、それはそれで当たり前ではあるのだが、これって否応なしに参加が義務づけられており、不参加を表明することも出来ずに「強制」を強いられる。
募金なら1円だっていいんだし、マークだってマヨネーズのぴらぴらから切り取ってくるりんちょ…なモノでOKだから、取り立てて何か困難な事も無かったと思っていたのだが…
「…オレんちさぁ…そう言うの買えないんだよ…」
って、クラスメートがいたのである…。
探せばベルマークくらいあるだろ…ってのが、普通の考えなのだが、彼はいつまで経っても持ってこない…。
持ってこないのではなく、持ってこられないんである…。となると…期限が近づくとなれば、クラスの彼へのバッシングは日々その度合いを深めていき…立派な「いじめ」にもなってしまう…。ま、当時「いじめ」って言葉はあっても、今ほどの意味合いには用いられなかったと思うが…。
そんな話を家で夕飯時にしたら、父から驚愕の事実を聞いてしまった…。
「おう。あそこの家は未だにランプにかまどだぞ…。農家も大変なところは大変みたいだな…」
たまたま、彼の家の近所に仕事に行き、そうした事情を聞いたのだと言っていた…。
もちろん、ベルマークの付いている商品を全く買わないワケでも無い。だけれども、絵に描いた様な貧乏…を地でいく感じの家庭環境だし、本人も自他共に認める「バカ」って感じ…。同じ様な事をやっている小学校には弟や妹が通っているので、そちらを優先すると、自分が持って行くモノが無いんである…。
持って行きたくても、持って行けない彼の事情を、誰か考えた事があるんだろうか…?
そうした複雑な気持ちが生まれつつも、学級委員並の立場にいた自分は、やはりクラス一丸となって100%を目指す立場にいたりもしたので、こっそりと彼のペンケースに自分で持ってきたベルマークを入れておいた…。
これはもちろん、不正行為になってしまう。真の100%ではない…。だけれども、締め切りが近づく度にその度を増していくバッシングに晒される彼を見るのが耐えられなかったって事もあった。
「…もう死にてぇよ…」
ベルマークごときで死ぬんじゃねぇよ…って言った覚えがあるんだが、彼の青春は些細なことで「地獄」になっちまったワケだ…。
今で言う「学級崩壊」に近いクラスだったので、あらゆる面で支離滅裂だったけれど、なおさらそんな事で死なれちゃなぁ…。高校進学って問題があったので、そうした事も忘れていたのだが、ふとしたきっかけでその奥深さを知り、ショックを受けた。
卒業文集に、彼は1文さえ寄せなかったのだ。
「書き残すような楽しい思い出なんか無い…」
それが理由だったが、そんなのが通るワケもなく、何かしら書かされる事になったのだが、おおよそ卒業文集に相応しくない文章が寄せられた。ところが…こうしたことは彼だけではなく、幾人かの級友が同じ事をしたのである。
さすがに担任も奇異に感じたのか、書き直すように指導はあったのだが、彼らは書き直すことはしなかった。
抗うことの出来ない不条理な押しつけへの反旗だったんじゃないかと思う。学校ぐるみ、クラス丸ごとの「いじめ」から彼を守れなかった自責の念が、卒業文集としては意味のない文字の羅列として、しっかりと残る事になったのだ…。
「連邦軍量産型モビルスーツ RGMー79 操作説明書」
そんなのもあったかな…。まぁ、あの頃なので…。
言われりゃ、何も考えもせず、持って行く…って行事だったかもしれないが、参加を強制していたこと、不参加は認められず、その理由すら述べることも主張することも許されなかったこと、何気なく行われる校内行事には案外と残酷な一面が潜んでいたりもしたんであるな…。
やはり、善意の強制なんか学校でやっちゃいけない。こと、お金に関わる様な形を取るならば、なおさらである。
金額を問わず、幾らでも良いという「善意」だったならば、報じられる様な事も無かったんだろうと思うが、そこに潜む問題を全く考えてもいなかった指導すべき立場の大人が全く情けない…。
善意はお金に変わるだけでは無いことを教えるべき場所が「学校」ではなかったか? 善意というモノの形をいろいろと考えるのが「教育」の1つではなかっただろうか? 捻子曲がった善意を集めてしまった子供たちが気の毒である…。
ペルーのみなさん、ありがとう!
ま、日系人の多く住んでいる国でもあるので、早くから日本を心配してくれていた。あっちじゃ地球の終わりみたいな報じられ方もされていたみたいで…そんな感じのDVDが販売もされちゃいるみたいだが、概ね、国民のみなさんがあまり豊かでない…と言っては失礼だが、そうしたつましい暮らしの中から多くの義援金を日本に向けてくれたことに、ちゃんとお礼をしなければそれこそ失礼である…。
また、ペルーじゃないが、ちょっとそうしたちゃんとお礼を言う活動にも参加して、ある程度の効果はあったんじゃないかと思いますが、しっかりとお礼を言う事が出来たのは良かったかと思います。正式に国交が無い上に、隣国に遠慮して…なんてバカなことやってる日本ですから。
さて…なんだか、どこぞの学校で義援金を強制していて、それが「普通…」って感じだったとか報じられていた。
勘違いも甚だしく、義援金に強制など無い。そしてその金額も、団体の総意として決めるべきモノではなく、そこへ参加する者の裁量で決まるのが当たり前…。最小の金額で言えば、1円でも義援金に何ら変わりなく、200円でなければならない…事は全くない。100億出したからエライ…って話でも無いんである。
こうした「みんなで集めて、応援しよう!」的な運動はどこでもいつでも自主的に起きたりもするし、そうした活動が無ければ、救える者も救われない…って事にはなってしまう。ところが…何か、団体でこうした事を始める時に起こりやすいのが「暗黙の了解という名の強制」なのである。
一方的にファッショに進みかねないのを調整したり、正しい方向に導くのが大人の役目であるんだが、この学校じゃ大人がいなかったか、そうした指導をする気も無いんだろう…。
そうした記事を読んでいて、思い出したのが「ベルマーク」「赤い羽根募金」。
どちらも、定期的に行われたりしていたと思うが…これがまぁひでぇ事になってもいた。
そうした活動は学校単位でどこでも行われているかと思うのだが、活動自体は何ら悪くはない。そうした善意の集合体、もしくは日々の生活から生まれるちょっとしたゴミの中からマークを集めて校内備品にすげ替えて貰う…なんてのは、長く続いて欲しいものだけれども、自分の学んだ中学校じゃ、クラス単位で競わせていた。
クラス全員が収集や募金に参加したとなれば「100%」。とりあえずはこれが目標で、募金額や収集された得点はどうでもいいんである…。ま、それはそれで当たり前ではあるのだが、これって否応なしに参加が義務づけられており、不参加を表明することも出来ずに「強制」を強いられる。
募金なら1円だっていいんだし、マークだってマヨネーズのぴらぴらから切り取ってくるりんちょ…なモノでOKだから、取り立てて何か困難な事も無かったと思っていたのだが…
「…オレんちさぁ…そう言うの買えないんだよ…」
って、クラスメートがいたのである…。
探せばベルマークくらいあるだろ…ってのが、普通の考えなのだが、彼はいつまで経っても持ってこない…。
持ってこないのではなく、持ってこられないんである…。となると…期限が近づくとなれば、クラスの彼へのバッシングは日々その度合いを深めていき…立派な「いじめ」にもなってしまう…。ま、当時「いじめ」って言葉はあっても、今ほどの意味合いには用いられなかったと思うが…。
そんな話を家で夕飯時にしたら、父から驚愕の事実を聞いてしまった…。
「おう。あそこの家は未だにランプにかまどだぞ…。農家も大変なところは大変みたいだな…」
たまたま、彼の家の近所に仕事に行き、そうした事情を聞いたのだと言っていた…。
もちろん、ベルマークの付いている商品を全く買わないワケでも無い。だけれども、絵に描いた様な貧乏…を地でいく感じの家庭環境だし、本人も自他共に認める「バカ」って感じ…。同じ様な事をやっている小学校には弟や妹が通っているので、そちらを優先すると、自分が持って行くモノが無いんである…。
持って行きたくても、持って行けない彼の事情を、誰か考えた事があるんだろうか…?
そうした複雑な気持ちが生まれつつも、学級委員並の立場にいた自分は、やはりクラス一丸となって100%を目指す立場にいたりもしたので、こっそりと彼のペンケースに自分で持ってきたベルマークを入れておいた…。
これはもちろん、不正行為になってしまう。真の100%ではない…。だけれども、締め切りが近づく度にその度を増していくバッシングに晒される彼を見るのが耐えられなかったって事もあった。
「…もう死にてぇよ…」
ベルマークごときで死ぬんじゃねぇよ…って言った覚えがあるんだが、彼の青春は些細なことで「地獄」になっちまったワケだ…。
今で言う「学級崩壊」に近いクラスだったので、あらゆる面で支離滅裂だったけれど、なおさらそんな事で死なれちゃなぁ…。高校進学って問題があったので、そうした事も忘れていたのだが、ふとしたきっかけでその奥深さを知り、ショックを受けた。
卒業文集に、彼は1文さえ寄せなかったのだ。
「書き残すような楽しい思い出なんか無い…」
それが理由だったが、そんなのが通るワケもなく、何かしら書かされる事になったのだが、おおよそ卒業文集に相応しくない文章が寄せられた。ところが…こうしたことは彼だけではなく、幾人かの級友が同じ事をしたのである。
さすがに担任も奇異に感じたのか、書き直すように指導はあったのだが、彼らは書き直すことはしなかった。
抗うことの出来ない不条理な押しつけへの反旗だったんじゃないかと思う。学校ぐるみ、クラス丸ごとの「いじめ」から彼を守れなかった自責の念が、卒業文集としては意味のない文字の羅列として、しっかりと残る事になったのだ…。
「連邦軍量産型モビルスーツ RGMー79 操作説明書」
そんなのもあったかな…。まぁ、あの頃なので…。
言われりゃ、何も考えもせず、持って行く…って行事だったかもしれないが、参加を強制していたこと、不参加は認められず、その理由すら述べることも主張することも許されなかったこと、何気なく行われる校内行事には案外と残酷な一面が潜んでいたりもしたんであるな…。
やはり、善意の強制なんか学校でやっちゃいけない。こと、お金に関わる様な形を取るならば、なおさらである。
金額を問わず、幾らでも良いという「善意」だったならば、報じられる様な事も無かったんだろうと思うが、そこに潜む問題を全く考えてもいなかった指導すべき立場の大人が全く情けない…。
善意はお金に変わるだけでは無いことを教えるべき場所が「学校」ではなかったか? 善意というモノの形をいろいろと考えるのが「教育」の1つではなかっただろうか? 捻子曲がった善意を集めてしまった子供たちが気の毒である…。