じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

西安は遠かった

2011年09月05日 | 旅行記

飛行機は岡山を3時間遅れて離陸して2時間で上海に到着したものの、上海乗り継ぎでまたまたトラブル
西安が嵐らしくて飛行機が来ない、またここで延々5時間も待たされた。
何とか現地時間の午後9時に西安に到着したものの、案の定大雨でした。
そそくさと空港レストランでありあわせの夕食してホテルには午後11時(日本時間0時)でしたわ。

もうもう、青菜に塩状態・・・心臓への負担も大変
シャワーして寝るだけでした。
食事はまずいし、機内サービスは悪い、

今日の西安観光も雨の中、思いやられます。

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龍馬伝めぐり-2

2010年11月05日 | 旅行記

10110201_2 翌朝、太平洋 室戸岬の方向から朝日が昇る。6時20分 宿の窓から ↑

波高い日の多い土佐湾にも、今朝のような朝凪もあるのですね。

幕末に限らず高知県人は土佐のいごっそう、

豪快な気質と龍馬のような懐深い優しさをがあるといわれる。

この風景、伊予の「のんびりや」とは一味違うのが理解できるような気がする。

さて、チェックアウト後また一時間ほど記念館を詳しく見てから昼前に出発、

安芸市へ<msnctyst w:st="on" address="安芸市" addresslist="39:高知県安芸市;"></msnctyst>

10110204_2 武市半平太墓所<shape id="_x0000_i1026" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 320.25pt; HEIGHT: 219.75pt"></shape> <imagedata o:title="10110204" src="file:///C:DOCUME~1ochiLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image003.jpg"></imagedata>

途中にある「武市半平太の旧家と墓所」に寄った。城下から程遠い片田舎である。

端正でずば抜けた才能を持ちながら、あまりにも真面目すぎて志は遂げられなかった。

訪れる人は見かけなかったが、墓には溢れるほどの菊の花が挿されていた。

 

 

 Kaidaya_3

ところで、前日寄ったら月曜定休日だったうなぎの「かいだ屋」、道中で、ちょうど昼時だったので今日こそ、と寄ったら、第一火曜日も定休日だった。

うーん、ついていない。

 

 

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安芸に着いて、野良時計に隣接する古民家風の喫茶店に入る。

そこで食べたのが「釜あげちりめん丼」、これが美味しかった。

ご飯の上にたっぷり過ぎるちりめんが載り、大葉、大根おろし、ごまやきざみ海苔が添えられゆず醤油で味付けられたさっぱり味。お奨めのご当地グルメでしたね。

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岩崎弥太郎生家はあまりにも有名、今でも三菱が援助管理しているのでしょう・・・

立ち並ぶ白壁の土蔵も周辺も駐車場も整備されています、ドラマの家とは大違い。

ぼろ儲けしたんですね、龍馬の生涯に引き比べて・・・・

ドラマでもそのがめつさが滲み出ておりますね。

 

 

思うに、武市半平太は高知城下から10kmも、岩崎弥太郎にいたっては40kmも離れた所である。城下に出るにはすべて歩きだから何時間もかかったことでしょう。

 

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   <shape id="_x0000_i1032" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 320.25pt; HEIGHT: 218.25pt"></shape> <imagedata o:title="10110213" src="file:///C:DOCUME~1ochiLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image015.jpg"></imagedata>

もっと驚異的なのは坂本龍馬の移動頻度と距離ですね

土佐から江戸へ何度も行っているし、脱藩した後28歳以降の5年間に数10回も長崎、長州、京都、薩摩、福井とかを行き来している。長距離は船旅だったにしてもその他は歩き・・

居ても立ってもいられなかった、自らの短い生涯を予感するような焦りを感じていたかのような行動です。

それにしてもあの時代、活躍したのはみな20歳代から30歳にかけての若者ばかりでした。龍馬が暗殺を免れて生きていたら・・・・

  

時代がそうさせたのでしょうが、

今の時代も似たような時勢「今 一度日本を洗濯致し候」との気概ある者は輩出するもなし。

  

  

その日のお泊りは高知駅前の老舗旅館、以前に一度利用してよかったのだけど・・・

今回は×、シーズン、龍馬ブームなのに客は少ない、お一人様はまた料金が高い。

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料理が落ちる、大きな食器に「豆腐のあんかけ」ですよ、それにつみれ鍋。

ダイエットを考慮すれば良しとするか・・・  国民宿舎のほうが◎

 

  

館内照明も暗い、窓の外は隣の病院の工事で重機の音がうるさい・・・

さらに、夕方から部屋が寒いのでエアコンを入れると冷風である。

暖房が効かないので見て欲しいと頼んだら、仲居さん曰く

「当館はまだ冷房しか使えません。私どもは動いているからか暑いくらいですよ」ときた。

ここは従業員優先か! 個室冷暖房にしろ・・・といっても巨額資金がいるね。

色々な節電や倹約している様子から、あまり繁盛していないのが窺えた次第。

 

  

その又翌日はJR駅前の「高知・龍馬であい博」を覗いて、路面電車に乗り1011032 「はりまや橋」下車、帯屋商店街を通り、

日曜市通りの「ひろめ市場」で餃子とノンアルコールで昼飯、

1011033 高知城は大手門まで行き引き返す。

帰宅は14時でした。つまり2泊2日

 

 ・野良時計 過ぎにし想い 辿る旅 

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龍馬伝めぐり

2010年11月04日 | 旅行記

2,3日体重を測っていなかったが今朝の体重が1kg強増加していた。さもあらん・・

さて2泊2日? で高知を巡ってきた。

いえ高知はあっちもこっちも、もう何十回と訪れているのですがね。

車でほんの一時間もあれば行くことが出来るから、日帰り観光地なのですが。

今回は癒しの旅、成り行きに任せ龍馬伝に引かれての旅というところでしょうか。

でその日泊まりの国民宿舎「桂浜荘」へ着いたのが午後1時、

  

車を置いてチェックインの時間まですぐ下の桂浜へ歩いて5~6分、下りていく。

月曜日にもかかわらず人は絶え間なく訪れていて、さすがに一等観光地。

 

1011012

海が広いなあ、

やはり瀬戸内と違い太平洋は違うなあ・・・

湾曲した砂浜は特に波高が増して豪快である。

   

1011014 おまけに龍馬ブーム、

はるか太平洋の海原に思いを馳す竜馬像は人気の的である。

隣には同じ高さのやぐらが立てられて、

龍馬と同じ目線で眺められる。

利用料100円也

竜王岬へも行き、二時間ほども徘徊して丘の上の宿舎へは歩いて帰る元気なし。

タクシーで運んでもらう。

 

これ ↓

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5階の東向きの部屋はまさに桂浜を一望の絶景で、これだけで元が取れる気分。

風呂からの眺望も抜群、一番風呂に入り疲れを取ってから、

隣の「県立坂本龍馬記念館」へ・・・

ここから見る夕日もまた素晴らしかった。日時計が5時をさしているでしょう。

 

夕食も朝食もこの料金にしては申しぶんない、

国民宿舎、国民休暇村も利用数限りないが、立地・食事ともにピカイチだったね。

(つづく・・武市半平太~岩崎弥太郎編)

 

  

下は「県立坂龍馬記念館」デザインが斬新だねぇ。

太平洋に飛び出す船の舳先をイメージ

 

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海のそこから運ばれてきた石ころはまん丸に磨かれた卵のようになっている。

 

星の数の中から、奇跡的に打ち上げられ拾われた一つ

今度生まれる4人目の孫の100日参りの奉納石にと。

 

 

 

 

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手ごろな石を見つけて一つ持ち帰ることにする。

 

 

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ヴィラ・サントリーニ (08.03.15記)

2008年03月17日 | 旅行記

土佐横波スカイライン(今はいたって寂れているが)の入り口、太平洋を見下ろす山の上にある、白亜のしゃれたホテル。0803149_3

ギリシャのサントリー二島を模したというが、真っ青な海原と青い空がその雰囲気にさせてくれる。部屋は窓が小さくて、天井と壁の境目がないドーム型、室内とテラスに大きなジャグジーバスがしつらえてあり、本格的なフランス料理と、地中海気分満点であった。

朝6時過ぎ、室戸岬沖から朝日が昇る姿がまたなんとも素晴らしい。

ヨーロッパ旅行の代替には程遠いがその気分にさせてくれ、かみさんも喜んでくれた。0803144_6

モンシロチョウが舞い、桂浜は南国の陽射しに包まれていた。

旅行と共に元気が出ることといえば、美味いものを食べることである。帰り道「かいだ屋」に寄りうな重を食べた。食欲は旺盛である。満足。0803146

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元気でやっていた

2008年02月10日 | 旅行記

常夏の国から帰ってくると日本はやはり寒かった。大阪は雪が残っていた。

まずは画像で・・・

中華系が多いがそれ以外にも東南アジア、インド、アラブ、欧米人も多く、日本人から見るとまるで人種のルツボの感じ。ホテルも町並みもきれい、治安もよさそうでひとまず安心する。

riku達の住まいは37階建の高層コンドで、窓際に立つと足がすくみそうになった。設備は言うことなし、というよりも羨ましいほど恵まれている。ただ?子供の遊び場の頭上に大きな椰子の実がなっていていつ落ちてくるかと気になった。こんな鳥(マイナーとか言っていた)がたくさん居ました。みんなで簡単な市内観光とナイトサファリに行きました。

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東北旅行10/16~10/19

2007年10月20日 | 旅行記

「みちのく夫婦吟撰の旅」と銘うった3泊4日の東北旅行、催行人数ぎりぎりの11組22人はいずれも熟年夫婦ばかりでした。

残念ながら例年の紅葉時期が遅れて、唯一紅葉の盛りの八甲田山ロープウェイからの景色でしたがここは曇りで、十和田湖も奥入瀬も色づき始めたばかりでイマイチ・・・。

ゆったりスケジュールとは言いながら、ツアーともなれば時間を気にして、撮影はパチパチとやたら粗雑になってしまいました。

上から角館、十和田湖、奥入瀬、八甲田、平泉、最後の宿の女将さん

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琵琶湖疏水

2007年10月10日 | 旅行記

先日、京都へ行った時にたまたま、銀閣寺から哲学の道を通り、南禅寺の水路閣、そして疏水公園、インクラインから蹴上駅まで歩きました。

全くなんの予備知識もないままに歩いたそのコースが、実は琵琶湖疏水を辿る道でした。

数日後偶然に、教育テレビの「知るを楽しむ」(月・午後10:2510:50)で琵琶湖疏水についてやっていたのを見て改めて技術の素晴らしさと、(維新前後を含め)当時の若者の底知れぬパワーに感動してしまった。

明治10年代、遷都後疲弊する京都を活性化するべく、時の京都府知事は「琵琶湖疏水」を計画する。そして若干21歳の工部大学校の学生であった田辺朔郎を見込んで卒業と同時にこの大プロジェクトの設計建設の全ての責任を彼に任せて着工させた。当時としてはとんでもない計画だったが、実地経験もない田辺は諸外国の先進技術を取り入れながら見事に完成させる。さらに水力発電設備によって京都を飛躍的に甦らせることに貢献した。

その近代化遺産の景観は古都に溶け込み感動的なまでの美しさをかもしている。

ちなみに、次週の近代化遺産シリーズは「別子銅山・四阪島」(10/15月 午後10:25~)

です。新居浜の方は是非お見逃しなく。

写真上から、疎水分流(哲学の道)、水路閣とその流れ、疎水公園、インクライン跡

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京都フリータイム

2007年10月07日 | 旅行記

かみさんが友達と約束していた京都へのバスツアー、骨董市めぐりが目的だったらしいのだが、当日の早朝になって、その友達から急に行けなくなったと連絡があったという。

叩き起こされて「お父さん代わりに行く気ないよね、ダメだよね・・」うーん、しばし逡巡「行ってみようかな、但し骨董市は行かないから別行動だよ」

慌ただしく準備して(カメラだけ持って)参加となった。

京都駅で別れて、かみさんは伏見の方へ、私は銀閣寺へと向かった。残暑がきつい。

3連休の初日とあって大変な人出、清水寺や金閣寺は避けたが、それでも銀閣寺の前などはまるで初詣の金比羅さんのようだ・・・2~3割くらいは外国人観光客である。

銀閣寺は狭い庭に入りきれない人々を、背後の山にしつらえた、あまり見所もない長い長い遊歩道へと導いて何百人にも及ぶ観光客をまるでアリの行列のようにさばいている。うまく考えたものだなあと感心した。

ちょっとうんざりして、西田幾太郎が思索しながら歩いたという「哲学の道」を寄り道しながらとぼとぼと1時間、南禅寺まで歩いた。ゆるやかに蛇行して流れる疎水に沿って、情緒ある趣の小路が続いていた。ここはなかなかいい・・・1人で湯豆腐料理

南禅寺は緑に包まれた中に巨大な山門が続き、コケ生す庭にモミジが多く手入れされた庭が広々としていた。比較的人も少ない。水路閣の周辺は特に趣があって、紅葉の時期に訪れてみたいもの・・でも今日の人出からすると、まず無理だろうね。

結局、地図を頼りに1人で蹴上駅まで歩いて、地下鉄で京都駅へ出る。タクシーよりも地下鉄が早いし安いなと自画自賛。ところがバスの待っている場所が分からない・・・・確か駅裏口八条側だったはず、地下鉄出口で方向感覚が狂って、時間は迫るしパニックになった。携帯で既にバスに帰っているかみさんに聞くが全く当を得ない。通りがかりの人に聞きまくって出発1分前にやっと無事たどり着く。

ふーっ、歩き疲れていたところに更に冷や汗をどっとかいた。自分ながら歳をとったものだと痛感させられた。

フリータイム5時間、もっとゆったりと余裕を持って行動すればよかったのに・・・、調子に乗って歩き過ぎてしまった。いまも脚腰が痛い。

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吉備路探訪

2007年06月30日 | 旅行記

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6年来の付き合いになる主治医に、PET-CTの検査について相談するために岡山まで出かける。採血検査もないので11時の予約時間にきっかり呼ばれた。首尾よく紹介状も書いてもらい、胸部CT画像コピーも提供してもらって支払いはなんと210円・・・待ち時間もなく費用も少ないのは何とまあ気持ちの良いことか。

院内のレストランで早めの昼食を食べて、雨も降らなかったので午後は吉備路を訪ねることにした。

のどかな田園風景にたたずむのは備中国分寺の五重塔。

暑さしのぎに入った境内の茶店、綺麗なおかみさんが、いろいろと伝説や史跡を親切に説明してくれた。

この一帯は古代吉備王国、前方後円墳や桃太郎伝説、古い城郭遺跡などもあって、春の季節がいいですよ、是非もう一度いらっしゃいと見送られて別れた。

暑さの中、その一つ「鬼ノ城」へ登る。7世紀の頃の朝鮮式山城で、土を突き固めた版築土塁と城門が復元されていた。城と言うよりは砦である。

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「あじさいの里」

2007年06月21日 | 旅行記

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梅雨の晴れ間を見計らって、四国中央市の山中にある「あじさいの里」に行ってきました。

珍しく青空にウロコ雲、少し暑いが風が心地よい。

平日にも関わらず大変な人出、やはり熟年ばかりでかなり遠方からも来ているようでした。急峻な地形で駐車場はないから、道路の両側に延々と車も観光バスも止めているが、やってきたパトカー「通行の邪魔にならない程度に、バスが通行できるように・・」と言いながら通過していきました。おおらかなもです。

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帰り道、「霧の森」で昼食を、と立ち寄ったがレストランは行列の人で入れない。今の時期「あじさいの里」が大当たりで売店も嬉しい悲鳴のようでした。更に大規模の新宮茶専門カフェ「茶カフェ」を7/1オープンで準備中でした。

けど・・・・紫陽花シーズンが終わると、どうなのだろう。

40080964_3_3 かみさんは「霧の森大福」 を3箱も買ってきました。 これいま近隣で人気のスイーツらしい。

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