じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

大久野島の光と影

2012年01月16日 | 日々のこと

 うさぎの島として、また夏は海水浴やキャンプ場として風光明媚な大久野島ですが、<o:p></o:p>

 過去には凄惨な歴史を残す島でもあります。

 <o:p></o:p>

12011512第二次大戦前から膨大な量の兵器用毒ガスが製造された毒ガス島として有名です。<o:p></o:p>

国際的に禁止されている毒ガス製造地のため戦争中は日本地図からも消されていたという。<o:p></o:p>

戦後は隠ぺいのため大急ぎで大量の毒ガスや製造施設を地中や海中投棄したらしい。<o:p></o:p>

毒ガス資料館(左)にはそれら当時の哀れなほど貧相な布製の防毒マスクや陶器製の装置や弁栓、容器などが展示されていた。<o:p></o:p>

 

戦争の犠牲者のみならず、製造や戦後の廃棄作業に携わった多くの人たちが犠牲になった。<o:p></o:p>

 島内にもあちこちにまだその残骸が点在している。

 <o:p></o:p>

 
1201151412011515120115181201151712011516

  

<o:p> </o:p>

<o:p> </o:p>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うさぎには癒されるが、島を訪れ見聞すると否応なく当時の悲惨さが想像される。<o:p></o:p>

 

  <o:p></o:p>

 小学校からの連絡によると、rikuのクラスは12人も休んでいるらしくて、<o:p></o:p>

学級閉鎖になったそうです。すごい感染力ですね。

 

 <o:p></o:p>

12011511右の写真は滅多に見られないという子ウサギ、yuuが撮ってきました。

<o:p></o:p>

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする