じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

終わってはいない

2012年07月25日 | 日々のこと

 福島原発事故に関する4つの事故調査報告が出て、事故は収束したかのよう・・。<o:p></o:p>

 東電の事故調、政府事故調、民間の事故調、最後に国会の事故調査報告が出揃った。<o:p></o:p>

 東電以外のものはいずれも厳しい<o:p></o:p>

 どんな事故においてもそれはあくまで事後調査、結果論である。<o:p></o:p>

 

 「なぜやれなかったか」「なぜやらなかったか」「こうすべきだった、ああすべきだった」<o:p></o:p>

 「東電のここがいけない、政府の対応のここがダメ」「設計ミス」「想定の甘さ」<o:p></o:p>

 いずれも批判の塊である。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>しかし、ここは敢えて「あの時 現場では精一杯のことをやった」の言い分に肩入れしたい。<o:p></o:p>

 現場の指揮および作業にあたっていた要員は、全電源喪失の暗闇の中で、他の助けも頼めず、本当に死を覚悟しての業務であったに違いないのである。<o:p></o:p>

 「撤退はさせない」と言った菅さんも批判ばかり受けているが、誰に何ができたろう。<o:p></o:p>

 後で「ああやれば、こうやれば、」と言うのは簡単なこと。

よく分かっていない私が思うには原子力安全委員とか、安全保安院とかが何だか不甲斐なかったように見えましたね。いわゆる原子力村のお偉方・・そしてその構造。

  <o:p></o:p>

 しかしそれが事故調というもの、事故も犯罪も結果により罪と責任が問われる。<o:p></o:p>

 過失であれ、法律を知らなかったですまされないのである。<o:p></o:p>

 身近な交通事故でも同様。<o:p></o:p>

 起こった事は取り返しがつかない、過去は変えられない。<o:p></o:p>

 調査解析し、相応の責任を問い負わせるとともに今後の安全に生かすことである。<o:p></o:p>

 それでも、絶対安全などはないし、起こり得ないことも起こるのがこの世の中だが・・<o:p></o:p>

  

まだ事故処理は決して終わったわけではない、廃炉に至るには数十年かかるというし、<o:p></o:p>

 それまでも巨大な危険性を孕んでいることを忘れてはならない。

何よりも周辺の除染や人々に対する補償を早く講じていくことと、

今後の原発依存からの転換政策について、未来に間違わない道を選んでほしい。

   <o:p></o:p>

 ちょっと偉そうなこと書いてしまいましたが、的外れかもしれませんね。<o:p></o:p>

 

コメント (4)
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