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人々が見上げた夜空に夢がかなうことを願い、悲しみを汲み上げ幸福感を拡げる星空。 手の届かない敬意の中に心の拠り所を見つけ、測り知れない神秘さに心を弾ませるそんな宇宙ですが人類の宇宙に対する見方や理解の仕方が歴史的に見ても大きく変化して来ました。
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今から2500年ほど前、紀元前4世紀の哲学者アリストテレスが自然の観察と結びついた自然学や紀元前2世紀ころのプトレマイオスの天体論は天動説で球形の天が球形の大地を取り囲むように展開していると考えられていた。
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丘の上から水平線に消えていく船は船体の下から先に見えなくなり最後に一番上のマストの先が消える現象や月の陰の形などから当時既に地球が球形だと認識されていた。 全ての物が地球を中心に動いていて、重い物は地球の中心に行こうとするので、地球の裏側でも物が落ちないと考えていたらしい。 とにかく色々と問題を抱えながらも地動説の考え方は、1000年以上続いた。
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16世紀に入ると天動説の多くの問題点を解消するためポーランドのニコラス・コペルニクス(1473~1543)が新しく太陽中心説(地動説)の考え方を打ち出しました。 ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(1571~1630)の天体の運行法則などの理論によりコペルニクスの地動説を支持しました。 イタリアのガリレオ・ガリレイ(ユリウス暦1564~グレゴリオ歴1642)は自作望遠鏡で観測し新たな事実の発見などにより、よく知られた宗教関係からの強い反発もあったが、地動説は定着していったのでした。
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