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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「主権者教育」推奨の建前とは裏腹な文科省の教科書検定基準や文科大臣発言

2019年11月11日 | こども危機
  議員会館に教育勅語掲げた文科相が主導
 ◆ 教科書が政権の広報誌に
   主権者教育の危機
(紙の爆弾)
取材・文 永野厚男


写真は萩生田光一文科相のHPより

 文部科学省が九月十七日、同省内で開催した主権者教育推進会議の有識者報告で、小玉重夫東京大学教授は、「論争的問題で争点のない社会は政治のない社会。複数の考え方、異なる価値観が世の中に存在していることは、全体主義にならないために必要」と明言した。
 だが文科省は特に安倍政権下で、主権者教育(政治教育)絡みの教科書検定等では政府見解や保守政党の政策の教化にひた走っている。
 ◆ 教科書に政治介入したうえ「正しい記述になった」

 九月十一日の文科省記者クラブでの大臣就任記者会見で、自民党の萩生田(はぎうだ)光一氏は
 「私自身は自虐的という判断をして発言したかどうかはちょっと記憶に定かではないですけれど、教科書の内容についていろいろ疑義を申し立てた時代があったのは事実であります。今、教科書は、非常に中身が変わってきてですね、正しい記述で行われていると思っています。
 (略)検定そのものは独立した皆さんが判断をするわけで、そこには政治的な関与は全くないわけですから、きちんと検定を経た教科書が、専門家の皆さんが判断をして使われているので、検定済みの教科書に対して、大臣になった私がものを言うっていうのは不適切だと思いますので、きちんとした検定がなされていると、こう認識しております」と発言した。
 TBS系「報道特集」の金平茂紀(しげのり)記者の質問への回答だが、私は「正しい記述」なるものは、萩生田氏ら自民党が「政治的な関与」をし、すなわち教科書会社や文部官僚に圧力をかけ続け、本誌七~十一月号で執筆した通り、自衛隊や”君が代”、天皇等、人々の間で意見の分かれる問題で多様な記述を妨害し、政府見解保守政党の政策を重点的に書かせ統制的・画一的な「悪い記述」にさせた、と断言する。
 行政のトップ・安倍晋三首相が教育内容、特に教科書検定基準に介入したのは、二〇一三年四月十日の衆院予算委員会だ。
 自民党出身で維新の会(のち希望の党)の中山成彬(なりあき)議員は「いじめや体罰の問題」よりも「日本人としての自信と誇りを取り戻そう、そういう子どもを育てること」の方が「一番教育で大事」だという、特異な持論を展開。
 「安倍総理どうですか。日本人としての自信と誇りを取り戻す、そういうのを教科書検定の第一項目に挙げるということについて」と質問した。
 安倍晋三首相は「(第一次)安倍内閣において教育基本法を変え、愛国心(略)も書いたのでございますが、残念ながら検定基準においては、この改正教育基本法の精神が私は生かされていなかったと思います。そして同時に、検定官自体がその認識がなかったんじゃないのかなとも思います」「さすが中山先生、背筋が伸びる質問をして頂いた、このように思います。子供たちが日本に生まれたことに誇りを持てる、そういう国にしていきたいと思います」などと、国家主義むき出し・エール交換の答弁をした。
 萩生田氏は自民党総裁特別補佐当時、この安倍答弁を受け、高校教科書の記述を非難。
 自民党・教育再生本部の「教科書検定のあり方特別部会」の主査として、同年五月二十八日、同党本部に東京書籍・実教出版・教育出版の教科書会社三社の社長らを呼び出し、同党議員ら(四十五名も集結)が「偏っている」などと圧力をかけた
 そして同年六月二十五日、萩生田氏らの特別部会は、金平記者が質した”自虐史観”に加え、領土問題(北方領土・竹島・尖閣諸島)などで政府見解を必ず記述せよとか、”愛国心”を盛り込んだ改定教育基本法の趣旨をしっかり踏まえよ、などと強制する提言を公表。
 これを受け、下村博文(はくぶん)文科相(当時)は一四年一月十七日、小中学校社会、高校地歴・公民の教科書検定基準について、
  ①未確定な時事的事象を記述する場合、特定の事柄を強調し過ぎない
  ②政府統一見解や確定した判例を取り上げる
  ③近現代の歴史的事象で通説的見解なき数字など事項を記述する場合、通説的見解がないことを明示すると共に、誤解する恐れある表現がないこと、
 の三点を加えるよう改定した。

 萩生田氏は大臣就任会見の冒頭、「特に様々な価値観が変わってきた子どもたちを巡る環境にしっかりと対応できる多様性のある教育、一本道ではなくて、複数の道を作っていきたいなというふうに思っております」と切り出したが、教科書の内容を統制しておいて、「様々な」「多様性」とは、実に空々しい。
 ◆ 議論あるテーマは議論ありと教えるべき

 主権者教育推進会議の話に戻ろう。
 小玉教授は同会議の発表で、まず教育基本法第一四条について「『良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない』と規定した第一項が前提だ。第二項(特定の政党を支持・反対するための政治教育を禁じる)だけが一人歩きしてはいけないし、政治に触らないのが中立性だというのは間違い」と述べた。
 そして冒頭の発言をし「論争的問題で争点とどう向き合うかが重要」と語った。
 小玉教授は次に、旧西ドイツのボイテルスバッハ・コンセンサス(一九七六年、政治教育の基本原則)の「学問と政治の世界において議論があることは、授業においても議論があるものとして扱わなければならない」の重要性も指摘。うなずく傍聴者が多かった。
 憲法学会で自衛隊違憲論が多数である事実を踏まえ、教科書会社(執筆者ら)が「小中高校の教科書に違憲論を、政府見解である合憲論と併記する」という至極正当な行為をしてきたのを、安倍首相や下村氏は敵視し、参院選や国会審議等で両論併記を非難
 全体主義国のように一つの見解(合憲論)だけを児童・生徒に教え込もうとしている
 これは、将来不幸にも、もし憲法九条改悪の国民投票実施となった時、賛成票(マル印)を書く児童・生徒をたくら多く生み出そうと謀んでいるからだ。
 主権者教育推進会議に再び戻る。
 小玉教授は続けて、高校での政治的教養の教育と政治的活動等について、一九六九年十月三十一日付旧文部省初等中等教育局長通達と、この廃止に伴い二〇一五年十月二十九日、当時の小松親次郎・同局長が出した通知とを対比。
 前者は「生徒は未成年者であり、(略)国家・社会としては(略)政治的活動を行なうことを期待していないし、むしろ行なわないよう要請しているともいえる」と記述。
 だが後者は、公選法改正で十八歳以上の高校生が「有権者として選挙権を有し(略)選挙運動を行うことなどが認められ(略)国家・社会の形成に主体的に参画していくことがより一層期待される」と、一八○度の転換を指摘した。
 ◆ 新通知で政治教育は推奨事項になったけれど…

 小玉教授は最後に、政治教育を”取扱い注意”のように位置付けていた六九年通達に比し、一五年通知は「現実の具体的な政治的事象も取り扱い、生徒が国民投票の投票権や選挙権を有する者(略)として自らの判断で権利を行使することができるよう、具体的かつ実践的な指導を行うことが重要です」と記述しており、推奨事項に変わったと述べた。
 この変化は一応、評価できる。
 しかし一五年通知は、以下の二点を強調している。
 ①特定の事柄を強調しすぎたり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げたりするなど、特定の見方や考え方に偏った取扱いにより、生徒が主体的に考え、判断することを妨げることのないよう留意すること。
 ②多様な見解があることを生徒に理解させることなどにより、指導が全体として特定の政治上の主義若しくは施策又は特定の政党や政治的団体等を支持し、又は反対することとならないよう留意すること。
 ①は前出の下村氏が文科相当時の一四年一月に改定した社会科等の教科書検定基準と同趣旨の文言である。
 これに文科省が「大綱的基準として法的拘束力あり」とする学習指導要領の改訂(一七年三月)も加わり、来年度使用開始の小学校社会科教科書は、これまで中3(十四歳)で憲法と関連させ教えていた自衛隊を、小4(九歳)に前倒しして政府見解通り”役立つ”とだけ教え込み、”君が代”は小6で「尊重せよ」「平和を祈念した歌だ」と教化し(音楽では歌詞の意味のわからない小1から「歌えるよう指導」)、批判的見解は一切載せない(詳細は本誌七月号・十月号の拙稿)。
 ②は一五年六月、山口県立高校の現代社会の授業で、安保法(案)のグループ議論後、「最も説得力ある意見の班」を模擬投票したのに対し、七月の県議会で自民党が”政治的中立性”を追及し、浅原司(つかさ)教育長が”謝罪”する事案も生じている(詳細は『週刊金曜日』一五年十二月十一日号拙稿)。
 ①②がこういう全体主義の傾向を増長させないよう、監視が必要だ。なぜなら、以下の由々(ゆゆ)しき事案が発生したからだ。
 来年度開始の大学入学共通テストでの、英語民間試験活用に関連し、選挙権年齢=十八歳の高校三年生が「私の通う高校では前回の参院選の際も昼食の時間に政治の話をしていた」「もちろん今の政権の問題はたくさん話しました」などとツイッターに投稿。
 これに対し、自民党の柴山昌彦文部科学大臣(当時)は九月八日、「こうした行為は適切でしょうか?」と非難した。
 退任前日の九月十日の会見で、これを記者に追及された柴山氏は、前出の教育基本法第十四条から第二項だけを取り出し「学校は政治的中立性を確保することが求められており、(略)放課後や休日、あるいは昼休み等々の時間帯であっても、学校の構内で(略)選挙運動はもとより政治的な活動については(略)教育を円滑に実施する上での支障が生じないよう、行為等の態様に応じてではありますけれども、学校が生徒に対して制限又は禁止することがありうるものであ」ると主張した。
 前述通り教育基本法第一四条について小玉教授は、政治教育の推奨・尊重を規定した第一項がメインだという見解を示したが、柴山氏は逆である。
 ツイッターでは
  「そのように話の出来る環境を醸成する素晴らしい高校だと思いますし、すごくえらい高校生だと思いますてかそういう芽を摘んでどんな日本人を育てたいんですか?」
  「何が不適切なんでしょうか。素晴らしいじゃないですか。まさか、自党に批判的な『政治の話』は許さないとでも?文科大臣としての資質が問われますよ」
 「18歳で選挙権が与えられた意義を具現化してるじゃん」
 など、柴山氏に批判的な投稿が相次いだ。

 そのためか柴山氏は九月十日、記者会見の最後に「何か大臣が高校生の政治談議を規制するんじゃないかというよう(略)なことを私は決して企図はしていないということを、今回のこの一連の会見で是非、ご理解を頂きたいというように思います」と弁明した。
 さて、明治天皇が発布し戦前・戦中、「国家権力・天皇を守るため、子どもたちを含む人々は、有事(戦時)には命を投げ出し戦え」と強いた教育勅語は一九四八年六月十九日、衆院で排除、参院で失効を全会一致で決議している。
 しかし、衆院第二議員会館十二階の萩生田氏の国会事務所には「教育勅語の大きな掛軸が掛けてあった」と、前川喜平(きへい)・元文科事務次官が九月十日、「やっぱり萩生田文部科学大臣か。ひどいことになるだろう」という文言とともにツイートしている。
 立憲主義・民主主義教育に反する教育勅語を信奉する人物が大臣になってしまった文科省には、監視を怠らず、暴走する時は前出・柴山氏ツイートへの反論のように、皆でノーの声を上げることが重要だ。
 最後に文部官僚について。文科省が一五年十月五日開催した、前出の一五年通知の内容を議論する第一回関係団体ヒアリングで、林大介・東洋大学助教は「学費やエアコン設置等、学校生活の改善向上に関し、生徒会役員が地方議会に請願するのは非常に意味がある」などと発言した。
 しかし当時、教育課程課長だった合田(ごうだ)哲雄財務課長は「生徒会としてもし意見を言うのであれば、まず学校に言うべきだ。是非議会に請願したいというのであれば、生徒会ではなく有志として行なうべき」「生徒会活動としては行なってはいけない」と述べた。
 合田氏の主張は、「憲法第一六条なにびと請願権は何人にも保障される。十八歳選挙権に連動し、小学校高学年からの主権者教育にも資するよう提訴した」と、裁判闘争している高嶋伸欣(のぶよし)・琉球大学名誉教授(詳細は本誌一八年三月号)とは、真っ向反する。
 ※永野厚男(ながのあつお) 文科省・各教委等の行政や、衆参・地方議会の文教関係の委員会、教育裁判、保守系団体の動向などを取材。平和団体や参院議員会館集会等で講演。
『紙の爆弾』(2019年12月号)

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