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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

求められる国際人権外交の確立

2010年02月13日 | 人権
 ★ 個人通報権条約の締結を ★
 求められる国際人権外交の確立

戸塚悦朗 龍谷大学法科大学院教授

 私は、人権擁護のために働こうと1973年に弁護士になった。
 実務体験を通じて日本が「人権後進国」で、先進国から大きく遅れていたことを知り、衝撃を受けた。欧州諸国は、1950年に欧州人権裁判所創設を決め、世界人権宣言の実施を進めていた。日本では大学でも司法研修所でもこのような国際人権保障制度の発展について学ぶ機会がなく、筆者は無知そのものだった。
 日本も遅ればせながら1979年に国連が制定した国際人権規約(1966年制定)を批准し、前に進みだした。国連は、人権規約の実施のため人権規約委員会を作り政府報告書を定期的に審査している。日本政府に対しても全般的な勧告を積み重ねてきた。
 容疑者取調べの弁護士の立会い不在、男女間賃金格差、性暴力加害者の不処罰、非嫡出子差別、外国人差別など多くの厳しい勧告がなされたが、日本政府はこれを無視し続けた
 規約実施の実効性が十分でないのは、委員会が被害者個人からの個別不服申し立てを受理して、規約違反について理由付の決定を下す権限をもたないからだ。しかし、人権規約に付属する個人通報権条約を締結した場合には、国内最高裁判所で敗訴した被害者が人権規約違反理由にして個人通報できるようになり、事情は一変する。
 ところが日本では、人権担当の法務官僚が国際機関の実効性ある関与を嫌い、個人通報権条約の締結に強く反対した。
 その理由は、
  ①運用実態が不明
  ②アジアでは締結した国がない
  ③司法権の独立を侵す

 などだった。

 しかし、ほどなく運用に問題がないことははっきりした。アジアでは、韓国、フィリピンをはじめ、旧社会主義圏のモンゴル、ロシアなども含め多くの国が個人通報権条約を締結した。
 日本は1954年に国際司法裁判所規定を受諾し、その際国際司法裁判所の管轄権を認めた。だが、司法権の独立を侵すという異議は誰も述べなかった。司法権の独立は解決済みの問題だ。
 その後も日本は、次々と制定される女性差別撤廃条約などの人権条約を批准したが、付属の個人通報権条約の締結はいつも拒否し、日本の人権水準は一向に向上しなかった。国会でも論議されたが、官主導の政治の抵抗で、事態は変わらなかった。
 2004年にアルブール国連人権高等難民弁務官(当時)がこの問題で来日した時は、法相ではなく、官僚トップの法務事務次官が対応して批准を拒否した。国連の高等弁務官に大臣が会わないというのは、極めて異例でその冷遇ぶりは国際的にも注目された。
 鳩山内閣は、予算編成や安全保障問題で政治主導を実現しようと全力を挙げている。国連人権外交でも政治主導で国際基準に沿った人権水準を実現できるだろうか。
 民主党は、マニフェストで、全ての人権条約で個人通報権を保証することを約束している。新閣僚会見で千葉景子法相も特にその実現を重点課題として挙げた。
 ところが、私が聞くところによるところでは「忙しくて対応ができないから、どれか一つだけの条約にする」案が政府内に浮上している。それでは、これまでの官主導政治の繰り返しで、その他の条約の実施が何年も遅れることになる。
 国連の諮問機関でもある国連NGOの責任者として、私はピレイ国連人権高等弁務官に法相の発言を知らせた。ピレイ高等弁務官はこれを歓迎して、2010年前半にも来日して新政府と協議する予定を立てているという。
 国連人権外交でも政治主導で公約を実現してほしい。

 とつか・えつろう 国際関係学博士。元弁護士。国際人権法政策研究所事務局長。国連NGO・日本友和会国連欧州本部首席代表.英国王立精神科医学会名誉フェロー。
【毎日新聞 1月28日朝刊 私の主張】

『今 言論・表現の自由があぶない!』(2010/2/9(火))
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/12204816.html

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