《労働情報7月号から》
▼ 雇用保険なく前借りに高利、除染ズサンー原告が語る実態
川口英史さん(仮名、40代)
ホテルのフロントマンだったが、子どもが3人になったので月給20万円では一家を支えきれず、給料がより多い仕事を探し中だった。ハローワークにいるときに大震災が起こり、そのあと除染作業がはじまった頃から月40万円以上はもらえるこの仕事に従事した。
今までやったことがない肉体労働だが、除染は経験も知識も必要ないし、体ひとつで誰でもできる仕事。みんな同じように初心者だから抵抗はなかった。考え方によっては家や庭や山をきれいにするクリーニングの仕事。体力勝負なので熱中症で4回くらい倒れたことはあるが、大手ゼネコンのJVからの指示さえ厳守すれば不安はない。
二本松市、相馬郡小高地区、双葉郡葛尾や浪江町、富岡町などを除染した。作業が終わったあとは、長靴やタイベックスなどの放射線量を計るが、サーベーメーターが鳴ったことはない。
提訴した2次下請の木村電設工業は富岡町で除染するとして当初40人くらいの募集を呼び掛けていた。
採用はされたものの、2カ月ほど仕事もなく老人ホームを改築した宿舎で待機した。その間、賃金が支給されないので、食費や宿代などは会社から前借りせざるをえなかった。それには月利5%の手数料がついた。20人くらいは仕事が一度もない人もいた。
宿舎は10人部屋だったが、1人1畳半ほどのスペースしかない。寮費は1人月1万5千円か2万円ほどを徴収されていた。
雨天で仕事ができない日や人手が足りている待機日の日当も未払いだったが、会社都合のときは60%支給されることは知らなかった。
同じ現場の一次下請会社で働く仲間には一日6千円の支払いがあったと聞いて初めて判明した。
月に10日ほどしか稼働しないときもあり、マイナスの給与明細が届いたこともある。明細には、時間外労働も休業手当など内訳の記載は一切なかった。
帰還困難区域の双葉郡や浪江町での除染については、金属や建物、柱の下は土を掘ることができないので、線量は高いまま。
可能なところでもーメートルは掘らないと下がらないが、会社は客土が足りなくなるから30センチ以上は掘るなと指示する。
個人宅は所有者の同意を得ないと敷地内の除染ができず、まだ着手していないところはある。いくら除染しても隣に済んでいない家があるとどうなのかと思う。モニタリングもやっている。
農業をやりたいと思っている人がいても、となりの土地にフレコンパックが山積みになっていたりするとやりたくても続けられない。汚染された区域では、繰り返しやっていけば除染することの効果はあると思う。
組合に入ったのは、もらえるものをもらわなくちゃと思ったから。
木村電工では原告の中で一番長く働いたが、社長がひどい人なので、ぎゃふんと言わせたいという気持ちで裁判に踏み切った。
6月からまた新しい会社で除染作業に従事しているが、この仕事自体あと10年はないだろうと思っているし、自分もそれ以上は続けたくない。今は妻と二人で除染をやっている。
原告はたった6人だけど、除染やっていて同じような目にあっている除染作業員は何千人といるだろうと思う。
▼ 山本琢磨さん(仮名、62歳)
もともと土木関係の仕事を手伝っていたが、日当がいいので2014年6月から除染作業をはじめた。
その間も同じ会社が福島原発内での仕事を請け負っていた関係で、第一原発のK排水路の汚染土汲み出し作業を2カ月ほどやった。
汚染土壌の掻き出しはシャベルやバッキュームを使い、土嚢も何百体と積んだ。この現場は放射線量が高かったので、1時間ほどしか作業ができない場所も多かった。
タイベックスにカッパ、マスクを着用したが、土壌が深い場所は胴長に長靴姿。作業中は下着まで汗でびっしょりになるほど暑い日もあったが、水も飲めなかった。
作業服を脱着するのが面倒だったので、トイレも行けない。線量が高い場所での作業だったため、座ることができず休憩は立っているしかなかった。
放射線量は1ミリに届かないうちに戻る、という形だった。
1時間くらいで警報機がなることもあり、みんなで「もうダメだ」と慌てて出たこともある。警報機が2回なったらすぐに引き上げることにしていた。
午前中の作業で線量が低く抑えられれば、午後は少し高めのところに行くなどしていたが、2ヵ月の作業で20ミリ以上は浴びている。
日当は2万6千円~2万8千円。原発での仕事が終わった後は、顔は浅黒くやつれてしわしわになった。家族は心配して止めろと言った。
放射能汚染というよりも、作業中に水分もよくとれなかったからだと思うが、自分でもまさかあんなに具合が悪くなるとは思わなかった。
2015年2月頃に排水路から汚染水が海に流出していたことが問題になったが、私が作業に入っていたのはそれ以前のことで、まだ津波の泥があった時。ニュースを聞いて「(これまでも)全部垂れ流しだったんだ」と思った。
除染にかんしては、2015年4月から帰還困難区域の富岡町や浪江町で従事した。作業自体は簡単だし、イヤとか辛いということはなかった。こちらも単価がよかった。
福島市でアシストという警備会社で道路脇の除染作業をしたが、日当が少なかったのでこちらにした。
最低賃金でも危険手当があるので日当は1万5千円。提訴した会社では、未払い賃金や雇用保険未加入の問題があった。
違法行為をしても謝罪をしないところについては信じられないが、企業ってこんなものかなあ、という思いだけで怒りは感じない。
組合は、もらえるものをもらえるからという気持ちで加入した。正直、まさかここまで事が大きくなるとは想像もしていなかった。
今は失業中なので、また除染関連の仕事を探しているが、除染労働は割に合わないと感じている。口約束であてにならないし。
(聞き手・松元千枝)
『労働情報』(2017/7)
▼ 雇用保険なく前借りに高利、除染ズサンー原告が語る実態
川口英史さん(仮名、40代)
ホテルのフロントマンだったが、子どもが3人になったので月給20万円では一家を支えきれず、給料がより多い仕事を探し中だった。ハローワークにいるときに大震災が起こり、そのあと除染作業がはじまった頃から月40万円以上はもらえるこの仕事に従事した。
今までやったことがない肉体労働だが、除染は経験も知識も必要ないし、体ひとつで誰でもできる仕事。みんな同じように初心者だから抵抗はなかった。考え方によっては家や庭や山をきれいにするクリーニングの仕事。体力勝負なので熱中症で4回くらい倒れたことはあるが、大手ゼネコンのJVからの指示さえ厳守すれば不安はない。
二本松市、相馬郡小高地区、双葉郡葛尾や浪江町、富岡町などを除染した。作業が終わったあとは、長靴やタイベックスなどの放射線量を計るが、サーベーメーターが鳴ったことはない。
提訴した2次下請の木村電設工業は富岡町で除染するとして当初40人くらいの募集を呼び掛けていた。
採用はされたものの、2カ月ほど仕事もなく老人ホームを改築した宿舎で待機した。その間、賃金が支給されないので、食費や宿代などは会社から前借りせざるをえなかった。それには月利5%の手数料がついた。20人くらいは仕事が一度もない人もいた。
宿舎は10人部屋だったが、1人1畳半ほどのスペースしかない。寮費は1人月1万5千円か2万円ほどを徴収されていた。
雨天で仕事ができない日や人手が足りている待機日の日当も未払いだったが、会社都合のときは60%支給されることは知らなかった。
同じ現場の一次下請会社で働く仲間には一日6千円の支払いがあったと聞いて初めて判明した。
月に10日ほどしか稼働しないときもあり、マイナスの給与明細が届いたこともある。明細には、時間外労働も休業手当など内訳の記載は一切なかった。
帰還困難区域の双葉郡や浪江町での除染については、金属や建物、柱の下は土を掘ることができないので、線量は高いまま。
可能なところでもーメートルは掘らないと下がらないが、会社は客土が足りなくなるから30センチ以上は掘るなと指示する。
個人宅は所有者の同意を得ないと敷地内の除染ができず、まだ着手していないところはある。いくら除染しても隣に済んでいない家があるとどうなのかと思う。モニタリングもやっている。
農業をやりたいと思っている人がいても、となりの土地にフレコンパックが山積みになっていたりするとやりたくても続けられない。汚染された区域では、繰り返しやっていけば除染することの効果はあると思う。
組合に入ったのは、もらえるものをもらわなくちゃと思ったから。
木村電工では原告の中で一番長く働いたが、社長がひどい人なので、ぎゃふんと言わせたいという気持ちで裁判に踏み切った。
6月からまた新しい会社で除染作業に従事しているが、この仕事自体あと10年はないだろうと思っているし、自分もそれ以上は続けたくない。今は妻と二人で除染をやっている。
原告はたった6人だけど、除染やっていて同じような目にあっている除染作業員は何千人といるだろうと思う。
▼ 山本琢磨さん(仮名、62歳)
もともと土木関係の仕事を手伝っていたが、日当がいいので2014年6月から除染作業をはじめた。
その間も同じ会社が福島原発内での仕事を請け負っていた関係で、第一原発のK排水路の汚染土汲み出し作業を2カ月ほどやった。
汚染土壌の掻き出しはシャベルやバッキュームを使い、土嚢も何百体と積んだ。この現場は放射線量が高かったので、1時間ほどしか作業ができない場所も多かった。
タイベックスにカッパ、マスクを着用したが、土壌が深い場所は胴長に長靴姿。作業中は下着まで汗でびっしょりになるほど暑い日もあったが、水も飲めなかった。
作業服を脱着するのが面倒だったので、トイレも行けない。線量が高い場所での作業だったため、座ることができず休憩は立っているしかなかった。
放射線量は1ミリに届かないうちに戻る、という形だった。
1時間くらいで警報機がなることもあり、みんなで「もうダメだ」と慌てて出たこともある。警報機が2回なったらすぐに引き上げることにしていた。
午前中の作業で線量が低く抑えられれば、午後は少し高めのところに行くなどしていたが、2ヵ月の作業で20ミリ以上は浴びている。
日当は2万6千円~2万8千円。原発での仕事が終わった後は、顔は浅黒くやつれてしわしわになった。家族は心配して止めろと言った。
放射能汚染というよりも、作業中に水分もよくとれなかったからだと思うが、自分でもまさかあんなに具合が悪くなるとは思わなかった。
2015年2月頃に排水路から汚染水が海に流出していたことが問題になったが、私が作業に入っていたのはそれ以前のことで、まだ津波の泥があった時。ニュースを聞いて「(これまでも)全部垂れ流しだったんだ」と思った。
除染にかんしては、2015年4月から帰還困難区域の富岡町や浪江町で従事した。作業自体は簡単だし、イヤとか辛いということはなかった。こちらも単価がよかった。
福島市でアシストという警備会社で道路脇の除染作業をしたが、日当が少なかったのでこちらにした。
最低賃金でも危険手当があるので日当は1万5千円。提訴した会社では、未払い賃金や雇用保険未加入の問題があった。
違法行為をしても謝罪をしないところについては信じられないが、企業ってこんなものかなあ、という思いだけで怒りは感じない。
組合は、もらえるものをもらえるからという気持ちで加入した。正直、まさかここまで事が大きくなるとは想像もしていなかった。
今は失業中なので、また除染関連の仕事を探しているが、除染労働は割に合わないと感じている。口約束であてにならないし。
(聞き手・松元千枝)
『労働情報』(2017/7)
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