◆ 中学校・道徳の教科書採択に思う (多面体F)
5人の教育委員たち(手前の2人は教育委員会事務局)
今年も教科書採択の8月がやってきた。普通は4年に1度なのだが、「特別の教科・道徳」が通常の学習指導要領改定より1年前倒しで検定されたため、昨年が小学校道徳、今年が中学校道徳、来年が指導要領改定に伴い小学校全教科、再来年(2020年)が中学校全教科と4年連続の採択が続く。
わたくしの住む採択区では8月8日に採択の定例会が行われた。
当日の討論の要旨は下記のとおりだった。
A委員(元・PTA連合会代表):授業の組立てやすさという観点から、東書、学研みらい、光村に注目した。そのなかで東書は、冒頭に4つの視点を掲げ、生徒がぶれずに考え、議論する道徳となり、役割演技の工夫もあるので、東書を推薦する。
B委員(保護司):子どもが主体的に学習することが大切だと考える。自分の考えを他者に伝える活動を学ぶことで、道徳性を身につけることができる。そこで東書と学図に注目した。
東書は冒頭に4つの視点と主題、2つの発問が示され、ぶれずに学習に入れるし、じっくり考え議論することができる。また役割演技しやすいように「アクション」というページが設けられ、付録のホワイドボード用の紙を使えば自分の気持ちを容易に表現できる。
一方、学図は冒頭に「内容項目」「深く考えるポイント」などがあり、生徒が目当てを意識して学習できる。また「学びに向かうために」「心の扉」「学びの記録」などの工夫もある。この2社を検討し、生徒がじっくり考え議論する道徳を目指すには、東書が向いていると思うので、東書を推薦する。
C委員(弁護士):道徳が教科となった経緯を考えると、主たる要因のひとつとして「いじめ」問題がある。東書は、いじめ問題が起きやすい年度初めに「いじめ」を配置するユニット構成になっている。また生徒が多面的多角的に考えられるようになっている。
各社、さまざまな工夫をこらしている。日本教科書は、マイノリティ、たとえば障がい者、性同一性障害など人権教育に配慮した教材を多く取り上げている。ダイバーシティは大切な視点だが、いじめがやや少ないと感じた。そこで総合的に考え東書を推薦する。
D委員(元・PTA連合会代表):本区における道徳教育の必要性を考えた。人口増加が続いており、また2020東京オリンピックに向けますます外国人の訪問が増えていく。そこで子どもたちには、社会的マナーやルールを身に付け相手の気持ちを考え、自主的に行動できる人になってほしいと願っている。それがいじめの減少にもつながる。
教員は型にはまらず、生徒の発言をより多く引き出せる授業展開になることを期待する。その点で、冒頭に意識づけをする問いを設定し、最後に「学びの道しるべ」で3つの発問を設定し、自然に生徒が考え議論することにつながる教育出版を推薦する。
4委員の提案を受け、最後に教育長がまとめた。
E教育長(区の前・企画部長):自分で考え主体的に判断し、議論する道徳、そして教科化の要因として「いじめ問題」があったことはおっしゃる通りだ。
東書、学研、教出は自分の問題として考える工夫をしており、バランスが取れた教科書だ。
日文、あかつきは分冊になっている。教員の授業展開をサポートできる点では価値があるが、「書くこと」が中心になり教員が工夫できることが少なくなる。
3人の委員が推薦した東書を候補にしたい。
ということで東書に決定した。
教科書に関する集会や教科書展示会でみた日本教科書が採択されなかったことはひとまずよかった。
5人の教育委員がそれぞれ各社教科書を読みこみ、各自の観点から検討したことがわかった。ただ、わたしたちが展示会でみる書籍だけでなく、各社が作成したパンフレットも参照しているのではないかと思った。
ところで、日本教科書が「人権教育」を重視していることをわたくしは知らなかった。教科書センターで、もう一度日科の教科書をみてみると、2年の「だから歌い続ける」(p64)でLGBTを教材に取り上げたことを言っているようだ。次ページ(68p)に〈届けたい言葉〉「友達の詩」、69pに〈込められた想い〉「人は違う。それでいい」というコラムを連続して掲載しており、たしかにこの部分はよいと思った。
ただ、たとえば東書も2年「今度は私の番」という教材で障がい者アスリートを取り上げ、脚注でLGBTの説明をしていた。
8月24日時点で、全国590採択地区中203地区で決定したが、わたくしの元に届いている情報では、日本教科書採択地区は栃木県大田原市1つだけに留まっている。大田原は2005年から扶桑社の歴史教科書、いまは育鵬社の歴史・公民教科書を採択している特異な自治体である。
なお日本教科書は、会社としての財務状況がよほど厳しいようで、資本金の全額6600万円を取り崩し減資する決算公告を8月20日付けで掲出している。
それより重要な問題は、来年4月から中学で実際にどのように教えられるかだ。
じつは教科書採択を前に、2回公開授業を見に行った。
(いまの中学は生徒の個人情報などに非常に厳格で、校内の撮影は事実上すべて禁止だったので、残念ながら写真は1枚もない)
●A中学の公開授業
まだ教科書がないせいもあるのだろうが、教師の手作りの教材で授業を行っていた。
2年生のテーマは「中学生は大人か、子どもか」というもの。おそらく民法改正で2022年4月から18歳成人に変わる、つまり現在の14歳が初の18歳成人になることから組まれたものだろう。
授業の冒頭で生徒に寸劇をさせ、それをもとに生徒が現実にどう扱われているか体験談を話させたり、自分の考えを発表させたりしていた。
「大人と思う」については「体が成長した」「駅で大人料金を取られる」という意見、「子どもと思う」については「バイクは16歳、酒は20歳にならないと飲めない」「回りの人に迷惑なことをしている」「親に行動を制限されている」などの意見があり、「子ども」という意見のほうがずっと多かった。
ところが「どちらでもない」という生徒が一人現れた。こういう場合、NHKの「クローズアップ現代+」でで出てきた小学校の授業では先生が反駁し生徒が黙ってしまう(泣いてしまった)という場面があったが、この学校ではそんなことはせず、意見を述べさせた。
「小学校時代と比べ責任感がつき、しっかりしてきた。いっぽうまだ子どものところもあり、人に迷惑をかけることがある。だから中どもだ」という意見で、なるほどと思った。そしてこういう授業をできる教師がいるのなら、道徳の授業があってもよいなと、力づけられた。
3年生は「福澤心訓」といわれるもの、たとえば「世の中で一番さびしい事は、○○です」「世の中で一番尊い事は、○○です」の○○は何か、生徒に話し合わせるものだった。
これは下手をするといかにも「道徳授業」的な福沢なり、二宮尊徳なりの「教え」の注入になるのではないかと危惧した。しかしそれは杞憂に過ぎず、授業の前に教員が「諭吉の考えが正解というわけではない」「自分の頭で考えることが一番大事」ということをはっきり宣言していた。
「世の中で一番尊い事」は「他人を尊重すること」「感謝の気持ちをもつこと」「すべての命を大切にすること」「人権侵害がないこと」「夢中でやれることがあること」「協力し、いがみ合わないこと」などの意見が発表された。
ちなみに心訓では「世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です」「世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です」となっている。
ただ、あの内容盛りだくさんの教科書をみると、もし全部こなさなければいけないとするととてもこんなにていねいな授業はできない。しかも「設問」で22の徳目に「誘導」しているし、教員も「道徳」専門の教員は(いまのところ)おらず担任がやることになっているので、難しいこともおこりそうだ。
さらに「評価」の問題もある。参観後、グループに分かれて少し討論する機会があったので、そんな懸念を伝えておいた。
●B中学の公開授業
当日受け取った「授業内容のお知らせ」をみて、注目したのは1年のクラスの「死刑制度の賛否について」だった。わたくしも関心の深い問題だし、それを1年生にどう教え、どんな着地点が生ずるのか、ぜひみてみたかった。
ところが行ってみるとC.W.ニコルの「みんな、かけがえのない命」という文章を読み、「自分の先祖のありがたさ」を考えるという内容だった。どこかで「死刑制度」の問題が出てくるのだろうとずっと聞いていたが、生徒の黙読、朗読が続き、その後先生から「なぜ僕たちは生き残っているのか」「生命が先祖からつながっているところをどこで感じるか」という質問があり、それを班で議論し、班の意見をまとめて発表するというようなことが続き、どうやらテーマが変わったようで期待外れだった。
仕方なく他の学年の「正しい言葉、適切な言葉」「社会連帯の自覚」という授業を見に行ったが、いかんせん時間が足りなく、一人で考え、グループでまとめる、といった討論授業の形式の見学で終わってしまった。
東京の場合、このサイトに都内のすべての小中学校、中高一貫校、障がい児学校の道徳授業地区公開講座(授業参観)の予定が公表されている。わたくしは次は、今年から教科化された小学校の道徳を見に行きたいと考えている。
じつはもっと心配なのが高校の新教科「公共」だ。いまの予定では東京オリンピックがある2021年に教科書採択の予定になっている。
高校には、さすがに道徳という教科は(ほとんどの県では)ないものの「新学習指導要領・総則」に「各学校においては,第1款の2の(2)に示す道徳教育の目標を踏まえ,道徳教育の全体計画を作成し,校長の方針の下に,道徳教育の推進を主に担当する教師(「道徳教育推進教師」という。)を中心に,全教師が協力して道徳教育を展開すること」(p22)とあり、さらに「公民科の「公共」及び「倫理」並びに特別活動が,人間としての在り方生き方に関する中核的な指導の場面であることに配慮すること」(p23)とある。
「公共」や「倫理」の教員がいかにも「道徳教育推進教師」を担当すべきであるかのように書かれている。
☆ 昨年8月の小学校道徳の採択定例会も傍聴に行った。ところが定員がわずか10人、集まった24人はほとんど教科書会社の社員で、わたくしが知る範囲で区民は5人、抽選で傍聴できたのは1人だけだった。
これはあんまりだと、いくつか都内の例を調べると台東区、府中市、調布市など全員入れるところもあったし、人口がわたくしの区と比較し半分くらいの市なのに20人とか50人近く入れているところもあった。
そこで教育委員会に傍聴定員増員の要請を提出した(賛同署名250筆あまり)。
その結果、7月の定例会で教育委員会傍聴人規則の定員の部分を「ただし教育長が特に必要があると認めるときは、これを変更することができる」と改定し、今年は傍聴人が40人入れる大きな会議室に変更してくれた。残念ながら台風模様の天気のためわたくしがわかる範囲の区民は少し増えただけだったが、無抽選で全員入れたのでよかった。
『多面体F』(2018年08月25日)
https://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/f085008764d125764c893a694c932624
5人の教育委員たち(手前の2人は教育委員会事務局)
今年も教科書採択の8月がやってきた。普通は4年に1度なのだが、「特別の教科・道徳」が通常の学習指導要領改定より1年前倒しで検定されたため、昨年が小学校道徳、今年が中学校道徳、来年が指導要領改定に伴い小学校全教科、再来年(2020年)が中学校全教科と4年連続の採択が続く。
わたくしの住む採択区では8月8日に採択の定例会が行われた。
当日の討論の要旨は下記のとおりだった。
A委員(元・PTA連合会代表):授業の組立てやすさという観点から、東書、学研みらい、光村に注目した。そのなかで東書は、冒頭に4つの視点を掲げ、生徒がぶれずに考え、議論する道徳となり、役割演技の工夫もあるので、東書を推薦する。
B委員(保護司):子どもが主体的に学習することが大切だと考える。自分の考えを他者に伝える活動を学ぶことで、道徳性を身につけることができる。そこで東書と学図に注目した。
東書は冒頭に4つの視点と主題、2つの発問が示され、ぶれずに学習に入れるし、じっくり考え議論することができる。また役割演技しやすいように「アクション」というページが設けられ、付録のホワイドボード用の紙を使えば自分の気持ちを容易に表現できる。
一方、学図は冒頭に「内容項目」「深く考えるポイント」などがあり、生徒が目当てを意識して学習できる。また「学びに向かうために」「心の扉」「学びの記録」などの工夫もある。この2社を検討し、生徒がじっくり考え議論する道徳を目指すには、東書が向いていると思うので、東書を推薦する。
C委員(弁護士):道徳が教科となった経緯を考えると、主たる要因のひとつとして「いじめ」問題がある。東書は、いじめ問題が起きやすい年度初めに「いじめ」を配置するユニット構成になっている。また生徒が多面的多角的に考えられるようになっている。
各社、さまざまな工夫をこらしている。日本教科書は、マイノリティ、たとえば障がい者、性同一性障害など人権教育に配慮した教材を多く取り上げている。ダイバーシティは大切な視点だが、いじめがやや少ないと感じた。そこで総合的に考え東書を推薦する。
D委員(元・PTA連合会代表):本区における道徳教育の必要性を考えた。人口増加が続いており、また2020東京オリンピックに向けますます外国人の訪問が増えていく。そこで子どもたちには、社会的マナーやルールを身に付け相手の気持ちを考え、自主的に行動できる人になってほしいと願っている。それがいじめの減少にもつながる。
教員は型にはまらず、生徒の発言をより多く引き出せる授業展開になることを期待する。その点で、冒頭に意識づけをする問いを設定し、最後に「学びの道しるべ」で3つの発問を設定し、自然に生徒が考え議論することにつながる教育出版を推薦する。
4委員の提案を受け、最後に教育長がまとめた。
E教育長(区の前・企画部長):自分で考え主体的に判断し、議論する道徳、そして教科化の要因として「いじめ問題」があったことはおっしゃる通りだ。
東書、学研、教出は自分の問題として考える工夫をしており、バランスが取れた教科書だ。
日文、あかつきは分冊になっている。教員の授業展開をサポートできる点では価値があるが、「書くこと」が中心になり教員が工夫できることが少なくなる。
3人の委員が推薦した東書を候補にしたい。
ということで東書に決定した。
教科書に関する集会や教科書展示会でみた日本教科書が採択されなかったことはひとまずよかった。
5人の教育委員がそれぞれ各社教科書を読みこみ、各自の観点から検討したことがわかった。ただ、わたしたちが展示会でみる書籍だけでなく、各社が作成したパンフレットも参照しているのではないかと思った。
ところで、日本教科書が「人権教育」を重視していることをわたくしは知らなかった。教科書センターで、もう一度日科の教科書をみてみると、2年の「だから歌い続ける」(p64)でLGBTを教材に取り上げたことを言っているようだ。次ページ(68p)に〈届けたい言葉〉「友達の詩」、69pに〈込められた想い〉「人は違う。それでいい」というコラムを連続して掲載しており、たしかにこの部分はよいと思った。
ただ、たとえば東書も2年「今度は私の番」という教材で障がい者アスリートを取り上げ、脚注でLGBTの説明をしていた。
8月24日時点で、全国590採択地区中203地区で決定したが、わたくしの元に届いている情報では、日本教科書採択地区は栃木県大田原市1つだけに留まっている。大田原は2005年から扶桑社の歴史教科書、いまは育鵬社の歴史・公民教科書を採択している特異な自治体である。
なお日本教科書は、会社としての財務状況がよほど厳しいようで、資本金の全額6600万円を取り崩し減資する決算公告を8月20日付けで掲出している。
それより重要な問題は、来年4月から中学で実際にどのように教えられるかだ。
じつは教科書採択を前に、2回公開授業を見に行った。
(いまの中学は生徒の個人情報などに非常に厳格で、校内の撮影は事実上すべて禁止だったので、残念ながら写真は1枚もない)
●A中学の公開授業
まだ教科書がないせいもあるのだろうが、教師の手作りの教材で授業を行っていた。
2年生のテーマは「中学生は大人か、子どもか」というもの。おそらく民法改正で2022年4月から18歳成人に変わる、つまり現在の14歳が初の18歳成人になることから組まれたものだろう。
授業の冒頭で生徒に寸劇をさせ、それをもとに生徒が現実にどう扱われているか体験談を話させたり、自分の考えを発表させたりしていた。
「大人と思う」については「体が成長した」「駅で大人料金を取られる」という意見、「子どもと思う」については「バイクは16歳、酒は20歳にならないと飲めない」「回りの人に迷惑なことをしている」「親に行動を制限されている」などの意見があり、「子ども」という意見のほうがずっと多かった。
ところが「どちらでもない」という生徒が一人現れた。こういう場合、NHKの「クローズアップ現代+」でで出てきた小学校の授業では先生が反駁し生徒が黙ってしまう(泣いてしまった)という場面があったが、この学校ではそんなことはせず、意見を述べさせた。
「小学校時代と比べ責任感がつき、しっかりしてきた。いっぽうまだ子どものところもあり、人に迷惑をかけることがある。だから中どもだ」という意見で、なるほどと思った。そしてこういう授業をできる教師がいるのなら、道徳の授業があってもよいなと、力づけられた。
3年生は「福澤心訓」といわれるもの、たとえば「世の中で一番さびしい事は、○○です」「世の中で一番尊い事は、○○です」の○○は何か、生徒に話し合わせるものだった。
これは下手をするといかにも「道徳授業」的な福沢なり、二宮尊徳なりの「教え」の注入になるのではないかと危惧した。しかしそれは杞憂に過ぎず、授業の前に教員が「諭吉の考えが正解というわけではない」「自分の頭で考えることが一番大事」ということをはっきり宣言していた。
「世の中で一番尊い事」は「他人を尊重すること」「感謝の気持ちをもつこと」「すべての命を大切にすること」「人権侵害がないこと」「夢中でやれることがあること」「協力し、いがみ合わないこと」などの意見が発表された。
ちなみに心訓では「世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です」「世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です」となっている。
ただ、あの内容盛りだくさんの教科書をみると、もし全部こなさなければいけないとするととてもこんなにていねいな授業はできない。しかも「設問」で22の徳目に「誘導」しているし、教員も「道徳」専門の教員は(いまのところ)おらず担任がやることになっているので、難しいこともおこりそうだ。
さらに「評価」の問題もある。参観後、グループに分かれて少し討論する機会があったので、そんな懸念を伝えておいた。
●B中学の公開授業
当日受け取った「授業内容のお知らせ」をみて、注目したのは1年のクラスの「死刑制度の賛否について」だった。わたくしも関心の深い問題だし、それを1年生にどう教え、どんな着地点が生ずるのか、ぜひみてみたかった。
ところが行ってみるとC.W.ニコルの「みんな、かけがえのない命」という文章を読み、「自分の先祖のありがたさ」を考えるという内容だった。どこかで「死刑制度」の問題が出てくるのだろうとずっと聞いていたが、生徒の黙読、朗読が続き、その後先生から「なぜ僕たちは生き残っているのか」「生命が先祖からつながっているところをどこで感じるか」という質問があり、それを班で議論し、班の意見をまとめて発表するというようなことが続き、どうやらテーマが変わったようで期待外れだった。
仕方なく他の学年の「正しい言葉、適切な言葉」「社会連帯の自覚」という授業を見に行ったが、いかんせん時間が足りなく、一人で考え、グループでまとめる、といった討論授業の形式の見学で終わってしまった。
東京の場合、このサイトに都内のすべての小中学校、中高一貫校、障がい児学校の道徳授業地区公開講座(授業参観)の予定が公表されている。わたくしは次は、今年から教科化された小学校の道徳を見に行きたいと考えている。
じつはもっと心配なのが高校の新教科「公共」だ。いまの予定では東京オリンピックがある2021年に教科書採択の予定になっている。
高校には、さすがに道徳という教科は(ほとんどの県では)ないものの「新学習指導要領・総則」に「各学校においては,第1款の2の(2)に示す道徳教育の目標を踏まえ,道徳教育の全体計画を作成し,校長の方針の下に,道徳教育の推進を主に担当する教師(「道徳教育推進教師」という。)を中心に,全教師が協力して道徳教育を展開すること」(p22)とあり、さらに「公民科の「公共」及び「倫理」並びに特別活動が,人間としての在り方生き方に関する中核的な指導の場面であることに配慮すること」(p23)とある。
「公共」や「倫理」の教員がいかにも「道徳教育推進教師」を担当すべきであるかのように書かれている。
☆ 昨年8月の小学校道徳の採択定例会も傍聴に行った。ところが定員がわずか10人、集まった24人はほとんど教科書会社の社員で、わたくしが知る範囲で区民は5人、抽選で傍聴できたのは1人だけだった。
これはあんまりだと、いくつか都内の例を調べると台東区、府中市、調布市など全員入れるところもあったし、人口がわたくしの区と比較し半分くらいの市なのに20人とか50人近く入れているところもあった。
そこで教育委員会に傍聴定員増員の要請を提出した(賛同署名250筆あまり)。
その結果、7月の定例会で教育委員会傍聴人規則の定員の部分を「ただし教育長が特に必要があると認めるときは、これを変更することができる」と改定し、今年は傍聴人が40人入れる大きな会議室に変更してくれた。残念ながら台風模様の天気のためわたくしがわかる範囲の区民は少し増えただけだったが、無抽選で全員入れたのでよかった。
『多面体F』(2018年08月25日)
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