▼ハーバードが見た原発事故
~組織の中の「恐れ」で明暗 (ハーバードが学ぶ日本企業)
世界トップクラスの経営大学院、ハーバードビジネススクール。その教材には、日本企業の事例が数多く登場する。取り上げられた企業も、グローバル企業からベンチャー企業、エンターテインメントビジネスまで幅広い。日本企業のどこが注目されているのか。
作家・コンサルタントの佐藤智恵氏によるハーバードビジネススクール教授陣へのインタビューをシリーズで掲載する。リーダーシップを研究するエイミー・エドモンドソン教授は最新刊で、原子力発電所の安全性に関わった2つの事例に注目した。
佐藤 「恐れのない組織:職場に学習力・イノベーション・成長をもたらす心理的安全性の創出(The Fearless Organization: Creating Psychological Safety in the Workplace for Learning, Innovation, and Growth)」では、東日本大震災に関する2つの事例が紹介されています。
1つは、国や東京電力が福島第1原子力発電所(以下、福島第1原発)の地震・津波対策を検討する過程で、数々の重要な警告が無視された事例、もう1つは、福島第2原子力発電所(以下、福島第2原発)の増田尚宏所長(当時)とそのチームが卓越したチームワークで危機的状況を回避した事例です。なぜこの2つを取り上げたのですか。
▼ 「恐れに満ちた組織」と「恐れのない組織」
エドモンドソン この2つの事例が対照的だからです。福島第1原発の話は、「恐れに満ちた組織」の決定が日本に悲劇を招いた事例であり、福島第2原発の話は、「恐れのない組織」が日本を救った事例です。
佐藤 まず1つめの2011年以前の福島第1原発の地震・津波対策についてです。
著書では数々の地震学者が安全対策の不備を繰り返し警告してきたこと、東京電力が福島第1原子力発電所に最大10.2メートルの津波が来て、押し寄せる水の高さ(遡上高)が15.7メートルになる可能性があることを08年に社内で試算していたことを指摘しています。
なぜ警告は聞き入れられなかったのでしょうか。
エドモンドソン 心理的安全性が創出されていない組織において、部下は上司から「忠誠心がない」「無能だ」と思われることをことさら恐れます。そのため、上司の意向に沿おうとして、本当はそうは思っていなくとも異論を述べることを控えてしまうのです。
ミーティングで問題が指摘されたとしても、その責任者は上司に「問題がありました」とは言いたくない。そしてその上司は、さらにその上司に「問題がありました」とは報告したくない。
なぜなら、上司は皆、プロジェクトが計画通りに進むことを望んでいるからです。その結果、現場で指摘された問題や警告は「無視」あるいは「先送り」されることとなります。
人間の力で地震や津波が発生するのを防ぐことができないのはわかります。しかしながら、人間の力で想定される被害に十分に備えることはできたはずです。
東日本大震災が起きるずいぶん前から、数々の地震学者はこの地域に津波が来る危険性や安全対策の不備を指摘していました。しかしながら、それらの警告は無視されました。
なぜなら、歴史や数字が示す真実よりも、目の前の人間関係を優先して決断してしまったからです。
これは極めて人間的な行動ではありますが、不確実性の高い現代社会においては、多くの問題を引き起こす要因となります。
▼ 「上司に報告したらどう思われるか」という恐れ
私は著書の中で、恐れには「健全な恐れ」と「不健全な恐れ」がある、と述べました。
福島第1原発の安全対策の事例で説明するならば、健全な恐れとは、「もし巨大な地震や津波が襲ってきたら、どうなるだろうか」と危惧すること。
不健全な恐れとは、「問題を上司に報告したら、どう思われるだろうか」「こんなことを言ったら、周りの人に無能だと思われないか」などと心配すること。
部下が真実を語れない、上司が真実を聞き入れないことは、組織にも国にもリスクをもたらします。
リーダーには不健全な恐れが惨劇を招き、結果的に大きな代償を払わなくてはならないことを認識してほしいと思います。
佐藤 「人の命よりも、目の前の人間関係を優先してしまう」なんてにわかに信じがたいですが、なぜ人間はそのような非合理的な行動をとってしまうのですか。
エドモンドソン 人間には、将来起こりうる可能性を割り引いて考える習性があるからです。
つまり人間の頭は、未来よりも現在を優先して考えてしまうのです。この事実は数々の心理学の調査によって明らかになっています。
今、起きていることは「明白な現実」ですが、未来は「不確実で漠然とした可能性」でしかありません。
これが、未来に対してより楽観的に考える「希望的観測」を生むのです。つまり、「今、ここで問題を指摘しないことが、将来、甚大な被害をもたらす確率」を低く見積もってしまうのです。
同じような現象が病院でも見られます。
著書でも紹介しましたが、ある病院で「医師が間違った投薬をしている」と疑問に思った看護師が、その事実を医師に指摘できなかったことがありました。
なぜこんなことが起こってしまうのか。
看護師は、「万が一間違った投薬をしていた場合、起こりうる事態」を割り引いて考え、「医師に問題を報告した場合に起こりうる事態」のほうが今の自分にとっては重要だと考えてしまったからです。
また航空機のコックピット内でも、同じような現象が多発しています。
副操縦士が機長に問題を指摘できなかったことが要因で、墜落事故が起こることもあるのです。航空機の墜落事故は機長が操縦かんを握っているときのほうが起きやすいと言われていますが、その要因は、副操縦士が目の前にある危機よりもコックピット内の序列を重視し、機長が間違った操作をしていてもはっきりと異議を唱えられないことです。
人の命を優先すべきなのは明らかなのに、目の前の人間関係を優先して行動してしまう。これが人間の習性です。
▼ 不健全な恐れを抱かない環境をつくるのがリーダー
とはいうものの、「人間の習性だからしかたない」と結論づけてしまっていいのでしょうか。私はそのためにリーダーがいて、経営者がいるのだと思います。
この人間の習性を理解した上で、チームメンバーが不健全な恐れを抱くことなく、それぞれの能力を発揮できる環境を確保することはリーダーとしての重要な任務なのです。
佐藤 著書では、福島第2原発の「チーム増田」のケースを、「恐れのない組織」が良い結果をもたらした事例の一つとして取り上げています。
増田尚宏所長(当時)を中心としたチームが卓越したチームワークで、第2原発がメルトダウンや爆発を起こすのを回避しました。
エドモンドソン 福島第2原発の事例については、ハーバードビジネススクールのランジェイ・グラティ教授が書いたハーバードビジネスレビューの記事「そのとき、福島第2原発で何があったか(How the Other Fukushima Plant Survived)」で初めて知りました。
私が注目したのは、どんな状況に対しても謙虚に向き合い、柔軟に対応した増田氏のリーダーシップです。
福島第2原発の事例は、リーダーが極限状態においても心理的安全性をつくることができることを示す好例だと思いました。
この記事を読んで、「チーム増田」の事例は、10年にチリの鉱山で起きた落盤事故から生還したチームの事例と似ていると思いました。
1つめは、当事者が生死に関わるような危機に直面していたこと、
2つめが、不屈の精神でここにいる全員を救おうとしたリーダーがいたこと、
そして3つめが、メンバー一人ひとりが自分の役割を果たしながら、お互いに強い協力体制ができていたことです。
佐藤 増田氏はどのように心理的安全性を創出したのですか。
エドモンドソン 東日本大震災発生後、福島第2原発で働いていた人々は皆、「この原発が甚大な被害を及ぼさないか」「この原発にいる私たちはどうなるのか」と恐れを感じていたはずです。
しかしながら、私の知る限り、人間関係の恐れは抱いていなかったはずです。増田氏をリーダーとする「チーム増田」には、心理的安全性が創出されていたからです。
所長をトップとする序列はありましたが、とてもうまく管理されていました。
極度の危機に直面すると、そこから逃げることを決断する人もいますが、福島第2原発の所員がその場から逃げ去らなかったのは、所長の増田氏を信じたからです。
彼らは増田氏が福島第2原発を隅々まで知り尽くしていることを知っていました。彼なら事態を打開してくれるに違いないと信じたから、所内にとどまったのです。
佐藤 増田氏は、地震発生直後からホワイトボードに「現在わかっていること」をどんどん書いて所員全員に周知していきました。この行動はどのような効果がありましたか。
▼ 人間関係より仕事に集中させたホワイトボード
エドモンドソン ホワイトボードは、目の前の状況に対する「健全な恐れ」を軽減し、人間関係よりも仕事に焦点を集中させる役目を果たしたと思います。
多くの人々が同時に、迅速に行動しなくてはならない緊急時において、「バウンダリー・オブジェクト(異なるコミュニティーやシステムの境界をつなぐもの)」を設けるのは、とても重要なことです。
佐藤 先ほど「人間は将来、起こりうる重大な事態よりも、目の前の人間関係を優先してしまう習性がある」とおっしゃいましたが、増田氏は極限状態においても、メンバーが不健全な恐れを抱くことなく、それぞれの役目を果たせる環境をつくったということですね。
エドモンドソン 繰り返しになりますが、人間は非合理的な決断をする存在です。
顧客に対するサービスを向上させることよりも上司からの評価を優先してしまいますし、患者や乗客の生死に関わるような状況でも職場の上下関係を優先してしまうのです。
人間は、「どうやったらうまく印象操作ができるのか」を常に考えています。無意識のうちに「周りの人たちからの印象をコントロールしたい」と思ってしまうのです。
そのため、「自分はどう思われているか」という懸念が人間から消え去ることはありません。
リーダーの役割は、人間には、目の前の人間関係よりも、もっと重要なことがあることを示すことです。
「印象操作なんてチームのビジョンを達成するのに何の役にも立たないよ」と伝えることです。
さらにはチームメンバーが「自分がどう思われているのか」を気にしないで、自由に発言できるような環境をつくることです。
「チーム増田」のメンバーは「こんな報告をしたら上司や同僚にどう思われるか」などと心配することもなく、増田氏に問題を報告し、事態を打開するためのアイデアも提言し、迅速に行動していきました。
これはまさに増田氏がすべてのメンバーに正しい優先順位を示したからだと思います。
※ エイミー・エドモンドソン Amy Edmondson
ハーバードビジネススクール教授。専門はリーダーシップと経営管理。同校および世界各国にて、リーダーシップ、チームワーク、イノベーションなどを教えている。Thinkers50が選出する「世界で最も影響力のあるビジネス思想家50人」の一人。多数の受賞歴があり、2006年にはカミングス賞(米国経営学会)、04年にはアクセンチュア賞を受賞。著書に『チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ』(英治出版)、「The Fearless Organization : Creating Psychological Safety in the Workplace for Learning, Innovation, and Growth」(Wiley, 2019、2020年日本語版刊行予定)
※ 佐藤智恵(さとう・ちえ)
1992年東京大学教養学部卒業。2001年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。NHK、ボストンコンサルティンググループなどを経て、12年、作家・コンサルタントとして独立。「ハーバードでいちばん人気の国・日本」など著書多数。日本ユニシス社外取締役。
『ハーバードが学ぶ日本企業』(2019/11/5)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO51507310Y9A021C1000000/
~組織の中の「恐れ」で明暗 (ハーバードが学ぶ日本企業)
ハーバードビジネススクール教授 エイミー・エドモンドソン氏
世界トップクラスの経営大学院、ハーバードビジネススクール。その教材には、日本企業の事例が数多く登場する。取り上げられた企業も、グローバル企業からベンチャー企業、エンターテインメントビジネスまで幅広い。日本企業のどこが注目されているのか。
作家・コンサルタントの佐藤智恵氏によるハーバードビジネススクール教授陣へのインタビューをシリーズで掲載する。リーダーシップを研究するエイミー・エドモンドソン教授は最新刊で、原子力発電所の安全性に関わった2つの事例に注目した。
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佐藤 「恐れのない組織:職場に学習力・イノベーション・成長をもたらす心理的安全性の創出(The Fearless Organization: Creating Psychological Safety in the Workplace for Learning, Innovation, and Growth)」では、東日本大震災に関する2つの事例が紹介されています。
1つは、国や東京電力が福島第1原子力発電所(以下、福島第1原発)の地震・津波対策を検討する過程で、数々の重要な警告が無視された事例、もう1つは、福島第2原子力発電所(以下、福島第2原発)の増田尚宏所長(当時)とそのチームが卓越したチームワークで危機的状況を回避した事例です。なぜこの2つを取り上げたのですか。
▼ 「恐れに満ちた組織」と「恐れのない組織」
エドモンドソン この2つの事例が対照的だからです。福島第1原発の話は、「恐れに満ちた組織」の決定が日本に悲劇を招いた事例であり、福島第2原発の話は、「恐れのない組織」が日本を救った事例です。
佐藤 まず1つめの2011年以前の福島第1原発の地震・津波対策についてです。
著書では数々の地震学者が安全対策の不備を繰り返し警告してきたこと、東京電力が福島第1原子力発電所に最大10.2メートルの津波が来て、押し寄せる水の高さ(遡上高)が15.7メートルになる可能性があることを08年に社内で試算していたことを指摘しています。
なぜ警告は聞き入れられなかったのでしょうか。
エドモンドソン 心理的安全性が創出されていない組織において、部下は上司から「忠誠心がない」「無能だ」と思われることをことさら恐れます。そのため、上司の意向に沿おうとして、本当はそうは思っていなくとも異論を述べることを控えてしまうのです。
ミーティングで問題が指摘されたとしても、その責任者は上司に「問題がありました」とは言いたくない。そしてその上司は、さらにその上司に「問題がありました」とは報告したくない。
なぜなら、上司は皆、プロジェクトが計画通りに進むことを望んでいるからです。その結果、現場で指摘された問題や警告は「無視」あるいは「先送り」されることとなります。
人間の力で地震や津波が発生するのを防ぐことができないのはわかります。しかしながら、人間の力で想定される被害に十分に備えることはできたはずです。
東日本大震災が起きるずいぶん前から、数々の地震学者はこの地域に津波が来る危険性や安全対策の不備を指摘していました。しかしながら、それらの警告は無視されました。
なぜなら、歴史や数字が示す真実よりも、目の前の人間関係を優先して決断してしまったからです。
これは極めて人間的な行動ではありますが、不確実性の高い現代社会においては、多くの問題を引き起こす要因となります。
▼ 「上司に報告したらどう思われるか」という恐れ
私は著書の中で、恐れには「健全な恐れ」と「不健全な恐れ」がある、と述べました。
福島第1原発の安全対策の事例で説明するならば、健全な恐れとは、「もし巨大な地震や津波が襲ってきたら、どうなるだろうか」と危惧すること。
不健全な恐れとは、「問題を上司に報告したら、どう思われるだろうか」「こんなことを言ったら、周りの人に無能だと思われないか」などと心配すること。
部下が真実を語れない、上司が真実を聞き入れないことは、組織にも国にもリスクをもたらします。
リーダーには不健全な恐れが惨劇を招き、結果的に大きな代償を払わなくてはならないことを認識してほしいと思います。
佐藤 「人の命よりも、目の前の人間関係を優先してしまう」なんてにわかに信じがたいですが、なぜ人間はそのような非合理的な行動をとってしまうのですか。
エドモンドソン 人間には、将来起こりうる可能性を割り引いて考える習性があるからです。
つまり人間の頭は、未来よりも現在を優先して考えてしまうのです。この事実は数々の心理学の調査によって明らかになっています。
今、起きていることは「明白な現実」ですが、未来は「不確実で漠然とした可能性」でしかありません。
これが、未来に対してより楽観的に考える「希望的観測」を生むのです。つまり、「今、ここで問題を指摘しないことが、将来、甚大な被害をもたらす確率」を低く見積もってしまうのです。
同じような現象が病院でも見られます。
著書でも紹介しましたが、ある病院で「医師が間違った投薬をしている」と疑問に思った看護師が、その事実を医師に指摘できなかったことがありました。
なぜこんなことが起こってしまうのか。
看護師は、「万が一間違った投薬をしていた場合、起こりうる事態」を割り引いて考え、「医師に問題を報告した場合に起こりうる事態」のほうが今の自分にとっては重要だと考えてしまったからです。
また航空機のコックピット内でも、同じような現象が多発しています。
副操縦士が機長に問題を指摘できなかったことが要因で、墜落事故が起こることもあるのです。航空機の墜落事故は機長が操縦かんを握っているときのほうが起きやすいと言われていますが、その要因は、副操縦士が目の前にある危機よりもコックピット内の序列を重視し、機長が間違った操作をしていてもはっきりと異議を唱えられないことです。
人の命を優先すべきなのは明らかなのに、目の前の人間関係を優先して行動してしまう。これが人間の習性です。
▼ 不健全な恐れを抱かない環境をつくるのがリーダー
とはいうものの、「人間の習性だからしかたない」と結論づけてしまっていいのでしょうか。私はそのためにリーダーがいて、経営者がいるのだと思います。
この人間の習性を理解した上で、チームメンバーが不健全な恐れを抱くことなく、それぞれの能力を発揮できる環境を確保することはリーダーとしての重要な任務なのです。
佐藤 著書では、福島第2原発の「チーム増田」のケースを、「恐れのない組織」が良い結果をもたらした事例の一つとして取り上げています。
増田尚宏所長(当時)を中心としたチームが卓越したチームワークで、第2原発がメルトダウンや爆発を起こすのを回避しました。
エドモンドソン 福島第2原発の事例については、ハーバードビジネススクールのランジェイ・グラティ教授が書いたハーバードビジネスレビューの記事「そのとき、福島第2原発で何があったか(How the Other Fukushima Plant Survived)」で初めて知りました。
私が注目したのは、どんな状況に対しても謙虚に向き合い、柔軟に対応した増田氏のリーダーシップです。
福島第2原発の事例は、リーダーが極限状態においても心理的安全性をつくることができることを示す好例だと思いました。
この記事を読んで、「チーム増田」の事例は、10年にチリの鉱山で起きた落盤事故から生還したチームの事例と似ていると思いました。
1つめは、当事者が生死に関わるような危機に直面していたこと、
2つめが、不屈の精神でここにいる全員を救おうとしたリーダーがいたこと、
そして3つめが、メンバー一人ひとりが自分の役割を果たしながら、お互いに強い協力体制ができていたことです。
佐藤 増田氏はどのように心理的安全性を創出したのですか。
エドモンドソン 東日本大震災発生後、福島第2原発で働いていた人々は皆、「この原発が甚大な被害を及ぼさないか」「この原発にいる私たちはどうなるのか」と恐れを感じていたはずです。
しかしながら、私の知る限り、人間関係の恐れは抱いていなかったはずです。増田氏をリーダーとする「チーム増田」には、心理的安全性が創出されていたからです。
所長をトップとする序列はありましたが、とてもうまく管理されていました。
極度の危機に直面すると、そこから逃げることを決断する人もいますが、福島第2原発の所員がその場から逃げ去らなかったのは、所長の増田氏を信じたからです。
彼らは増田氏が福島第2原発を隅々まで知り尽くしていることを知っていました。彼なら事態を打開してくれるに違いないと信じたから、所内にとどまったのです。
佐藤 増田氏は、地震発生直後からホワイトボードに「現在わかっていること」をどんどん書いて所員全員に周知していきました。この行動はどのような効果がありましたか。
▼ 人間関係より仕事に集中させたホワイトボード
エドモンドソン ホワイトボードは、目の前の状況に対する「健全な恐れ」を軽減し、人間関係よりも仕事に焦点を集中させる役目を果たしたと思います。
多くの人々が同時に、迅速に行動しなくてはならない緊急時において、「バウンダリー・オブジェクト(異なるコミュニティーやシステムの境界をつなぐもの)」を設けるのは、とても重要なことです。
佐藤 先ほど「人間は将来、起こりうる重大な事態よりも、目の前の人間関係を優先してしまう習性がある」とおっしゃいましたが、増田氏は極限状態においても、メンバーが不健全な恐れを抱くことなく、それぞれの役目を果たせる環境をつくったということですね。
エドモンドソン 繰り返しになりますが、人間は非合理的な決断をする存在です。
顧客に対するサービスを向上させることよりも上司からの評価を優先してしまいますし、患者や乗客の生死に関わるような状況でも職場の上下関係を優先してしまうのです。
人間は、「どうやったらうまく印象操作ができるのか」を常に考えています。無意識のうちに「周りの人たちからの印象をコントロールしたい」と思ってしまうのです。
そのため、「自分はどう思われているか」という懸念が人間から消え去ることはありません。
リーダーの役割は、人間には、目の前の人間関係よりも、もっと重要なことがあることを示すことです。
「印象操作なんてチームのビジョンを達成するのに何の役にも立たないよ」と伝えることです。
さらにはチームメンバーが「自分がどう思われているのか」を気にしないで、自由に発言できるような環境をつくることです。
「チーム増田」のメンバーは「こんな報告をしたら上司や同僚にどう思われるか」などと心配することもなく、増田氏に問題を報告し、事態を打開するためのアイデアも提言し、迅速に行動していきました。
これはまさに増田氏がすべてのメンバーに正しい優先順位を示したからだと思います。
※ エイミー・エドモンドソン Amy Edmondson
ハーバードビジネススクール教授。専門はリーダーシップと経営管理。同校および世界各国にて、リーダーシップ、チームワーク、イノベーションなどを教えている。Thinkers50が選出する「世界で最も影響力のあるビジネス思想家50人」の一人。多数の受賞歴があり、2006年にはカミングス賞(米国経営学会)、04年にはアクセンチュア賞を受賞。著書に『チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ』(英治出版)、「The Fearless Organization : Creating Psychological Safety in the Workplace for Learning, Innovation, and Growth」(Wiley, 2019、2020年日本語版刊行予定)
※ 佐藤智恵(さとう・ちえ)
1992年東京大学教養学部卒業。2001年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。NHK、ボストンコンサルティンググループなどを経て、12年、作家・コンサルタントとして独立。「ハーバードでいちばん人気の国・日本」など著書多数。日本ユニシス社外取締役。
『ハーバードが学ぶ日本企業』(2019/11/5)
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