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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

◆ 「卒業証書授与式」の名称を使うべきではない、との要請に対する大阪市教委回答

2025年01月31日 | 「日の丸・君が代」強制反対

  =D-TaCブログから=
 ◆ 卒業式と「君が代」指導にかかわる要請書(12月4日提出)への大阪市教委の回答(2025年1月20日)が来ました

 ★要請書内容(「卒業証書授与式」は使うべきでない)と市教委回答(現在の正式文書に「卒業証書授与式」のことばはなく、その使用は学校の判断)を全学校に伝えるよう要請

 ★市教委回答は学習指導要領の「君が代」指導にかかわる記述を紹介するだけで、子どもの権利条約理解にかかわる見解表明の要請に答えず  ⇒協議を求めます

 Democracy for Teachers and Children~「君が代」調教やめて~(略称 D-TaC)が2024年12月4日に大阪市教育委員会に提出した『卒業式と「君が代」指導にかかわる要請書』への大阪市教委からの回答が、2015年1月20日にありました。以下に、紹介します。

 ※ 1月24日、大阪市HPにアップされました。
 ○大阪市:D-TaC ~「君が代」調教やめて~
 
 ○卒業式と「君が代」指導にかかわる要請書(2024.12.4)

 ○回答(2025.1.20)

 ※この要請は、D-TaC『卒業式と「君が代」指導にかかわる質問」(2024年6月14日)、大阪市教委回答(8月19日)、大阪市教委とD-TaCの「協議」(9月25日)を踏まえたものです。
 ○大阪市:D-TaC ~「君が代」調教やめて~

目次

【2025.1.20大阪市教委回答】
【卒業式、卒業証書授与式について、その歴史を小野雅章日本大学教授に聞いてみました】

 

★ 【2025.1.20大阪市教委回答】

◆要請1

 卒業式を「卒業証書授与式」と呼んでいる学校があるかどうかについて調査し、戦前の名称である「卒業証書授与式」は使うべきではないと指導してください。

★回答1(指導部 初等・中学校教育担当)

 卒業式については、学習指導要領 第6章 特別活動の項目において、学校行事について、全校又は学年を単位として、次の各行事((1)儀式的行事(2)文化的行事(3)健康安全・体育的行事(4)遠足・集団宿泊的行事(5)勤労生産・奉仕的行事)において、学校生活に秩序と変化を与え、学校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこととし、入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するものとすると示されております。
 また、教育委員会事務局では、卒業式の実施に際して、「卒業式・保育修了式実施日について」及び「卒業式及び入学式における国旗掲揚・国歌斉唱について」を各学校園に通知しております。
 以上のとおり、卒業式は、学習指導要領及び当該通知に基づき実施しており、卒業式の名称については、文部科学省から名称を限定させるような通知はなく、本市においても学校園に通知していないことから、調査はしておりません。

◆要請2

 2024年9月25日の大阪市教委とD-TaCの協議等議事録にある、大阪高裁2009年9月9日判決と子どもの権利条約理解にかかわる意見(別紙)に対する見解を示してください。

(別紙)意見【2024年9月25日協議等議事録(要旨)団体要望概要から】
 過去の判例において、『君が代という国歌が担ってきた戦前からの歴史的役割に対する認識や歌詞の内容から、君が代に対し負のイデオロギーないし抵抗感を持つ者が、その斉唱を強制されることを思想信条の自由に対する侵害であると考えることには一理ある。とりわけ、「唱(うた)う」という行為は、個々人にとって情感を伴わざるを得ない積極的身体的行為であるから、これを強要されることは、内心の自由に対する侵害となる危険性が高い。したがって、君が代を斉唱しない自由も尊重されるべきである』とされているものがある。
 この考え方によれば、すべての情報を提供する必要はないから条約第13条に違反していないというのは誤りであり、君が代の歴史や歌詞の意味の変遷については、子どもの意見表明権を尊重するため、児童・生徒に対し説明する必要があると考える。
 子どもの権利条約第13条「情報を受ける権利」は第12条「意見表明権」の前提で、2つの条項は深く関係しており、現在の大阪市立学校の「君が代」指導のあり方は、第12条・第13条違反といえる。(意見のみ)

★回答2(指導部 初等・中学校教育担当)

 過去の判決についての見解を求められておりますが、大阪市教育委員会としては司法の判決に対する見解を示す立場にないと認識しております。
 学習指導要領における国歌の指導については、小学校の「音楽」においては「国歌『君が代』は、いずれの学年でも歌えるよう指導すること」と記されています。そして、「社会」において、「我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるよう配慮すること。(6年)」と記されています。
 また、中学校の「社会」においては「国旗及び国家の意義並びにそれらを相互に尊重することが国際的な儀礼であることを理解させ、それらを尊重する態度を育てるよう配慮すること。」と記されています。
 さらに、小学校・中学校の「特別活動」においては「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と記されています。
 教育委員会といたしましては、学習指導要領に則り、各校において適切な教育課程を編成することが大切であると考えております。

以上


 【回答1】は、「卒業証書授与式」の名称使用についての大阪市教委としての見解は示さず、調査もしない、各学校の判断で使用しているものだ、と学校に責任を丸投げ。D-TaCは、「卒業証書授与式」使用を続ける学校には、今後、個別に説明を求めることになるので、大阪市教委には、D-TaCの要請と大阪市教委の回答について、すべての大阪市立学校に伝えておくように要請しています。「卒業証書授与式」使用は、式の主役は校長だとの主張を示すものではないかとの疑念(※)を伝えていきます。

 【回答2】は、国歌の指導は学習指導要領に基いて行うというだけで、D-TaCが求めた、「君が代」指導と子どもの権利条約の関係についてのD-TaCの意見への見解をまったく示していません。回答についての説明の場(協議)を求め、見解を明らかにすることを求めていきます。

 ※「卒業証書授与式」は戦前に使われた名称です。

 戦前の卒業式の名称は、「卒業証書授与 ⇒ 卒業証書授与式 ⇒ 卒業式」と変化したようですが、戦前の卒業式の主役は、卒業生ではなく學校長でした。

 【戦前の卒業式の実態(「卒業証書授与式」が意味する卒業式とは?)⇒學校長が主役】

【川島次郎氏著作『学校禮法 儀式編』(1942年)】P21

第四章 卒業式

職員兒童(修業生)式場に入る。
次に卒業兒童式場に入る。
次に来賓式場に入る。
次に學校長式場に入る。
次に一同敬禮。
次に国歌を歌ふ。
次に学事報告。
次に卒業證書を授輿す。
次に學校長訓辭。
次に卒業兒童答辭。
次に卒業生卒業の歌を歌ふ。
次に修業生送別の歌を歌ふ。
次に一同敬禮。
次に學校長退出。

 

 ★ 【卒業式、卒業証書授与式について、その歴史を小野雅章日本大学教授に聞いてみました】

1.「卒業証書授与」の時代:明治5年~1880年代初め

 日本の近代学校発足時の学校編制は、等級制を採用していました。小学校は、学制の場合、下等小学・上等小学の二種類あり、それぞれ第八級から第一級の八段階(第一級が最高学年)の八つの級(グレード)に分かれました。各級は半年の学習として、試験に合格して、初めて次のグレードに進む(進級)することが可能でした。当時の評価は試験のみで合格点に達しなければ原級留置(現在の留年)となり、三回続けて不合格になると放校処分となる、厳しいものでした。
 その結果、一緒に入学した「同級生」のうち一度も原級留置なく「卒業」に至る者は極めて稀であるばかりか、「卒業」に至る者も極少数でした。しかも、その卒業判定は、試験(大試験といわれ、所謂卒業試験です)の結果次第ということになっていました。卒業を証明する「卒業証書」は大試験当日の採点結果を待って授与がなされました。しかも、結果発表は夕刻以降となり、該当者は数名いるかいないか、の状況で、式など存在しない校区もあったようです。少なくとも1870年代は「卒業証書授与」が一般的でしたが、なかには難しい試験を通り、卒業証書を得た子どものために厳かな式典を行った校区もあり、これが卒業証書授与式と呼ばれていたものと思われます。
 学校教育の方針も、その後の教育勅語発布以降の集団主義的教育よりは、個人の学習成果を重視する方針が強かったことも多くの研究が指摘しているところです。卒業したことを証明する卒業証書は、その後の子供たちの社会上昇とも直結したものであり、この国のエリートとしての証でもある卒業証書は重要な意味を持っていました。何よりも卒業証書を授与されることが重要であったと思われます。しかも、きわめて個人主義的色彩の強いものとして。さらに卒業証書は、最終学年の修了証明のものではなく、各等級の課程を修了し合格したことを証明するものであり、各等級ごとに卒業証書が存在しました。最終段階の卒業証書は現在の卒業証書と同じ意味を持つものであり、その授与には盛大な儀式をした例も確認できますが、字のごとく卒業証書を授与しただけの事例も確認できます。試験という比較競争に勝ち抜いた証としての「証書」授与が主目的であったため、この用語が使われたのだろうと思います。その勝者が一定数になれば、式が成立するようになるわけです。

2.「卒業証書授与式」と卒業式との併用(混同)の時代:1886年~

 試験という、きわめて個々人の「能力」のみを重視する教育の在り方は、天皇を君主と仰ぐ立憲君主制国家の構築を目指す明治政府にとって、このような個人主義的な教育についての修正を行う必要性が出てきました。個々人の立身出世と直結する教育では、国家・社会のために身を挺する「国民」が養成できないとの懸念からです。プロイセンドイツを範とする君主が強い権限を持つ立憲君主制国家の構築に舵を切った明治政府は、教育の在り方に大きな変更を行いました。第一次伊藤博文内閣(1885年~)に文部大臣として入閣した森有礼は、学校の集団性に着目し、そこに、国民教育の活路を見出しました。試験による過度な個人主義を否定し、「人物第一、学力第二」の方針のもと、立憲君主国家に奉仕する人材こそが国家が求める人材としました。学校から試験のみによる評価を廃止して、日ごろの人物学習や生活態度を含めた評価を取り入れるようになりました。それとともに、学校編制も等級制を廃止し(1885年)、1年単位の学級による集団主義による学級制を前提とする学年生による教育編制を採用しました。厳格な試験を廃止して、日頃の人物評価を重視することで、原級留置を極力避けるようになります。結果として、卒業生が増加します。
 学年制への移行後、単なる卒業証書授与に儀式としての性格が強くなったと推測しています。その儀式の内容は、天皇制国家の構成員となるためのもので、天皇制と深く関係する儀式が強制されるようになるわけです。一度入学した「同級生」は、定められた期間(4年乃至6年間)同じ経験をし、個人主義ではなく、集団主義の中で忠実な「臣民」になるための誓いの儀式が入学式、そして、忠実な「臣民」になるための課程が修了し、これから「臣民」としての分を尽くすことを確認するのが卒業式とがセットで注目されるようになったと推測しています。これが1910年代以降と思われます。学年制を前提とする教育編制の定着とともに、学校儀式における入学式が重要視されるようになりました。学年制に移行すると、卒業は最終学年のその課程修了を確認し、卒業証書を授与されることよりも卒業そのものを確認する内容へと変化したと思われます。1910年代までの学校文書では卒業証書授与式、授与式、卒業式が混在しますが、第三次小学校令による戦前日本の義務教育が軌道に乗るころには卒業式が一般化されたように思われます。その時期と入学式・卒業式の儀式内容が三大節・四大節学校儀式の内容に準じるようになったと考えます。
 なお、法令によって定められた学校儀式は四大節(一月一日=四方拝、紀元節、天長節、明治節)であり、それ以外は法令によって規定されていないと思います。つまり、法令用語ではないということです。歴史的には、卒業証書授与 ⇒ 卒業証書授与式 ⇒ 卒業式という流れであると思います。法令用語とは言えませんが、学習指導要領など政府・文部科学商の公文書は、卒業式を用いています。現状の学校行事においては、卒業式を用いるのが通常であることは間違いないと思います。敢て、卒業証書授与式とするのならば、その儀式は、卒業証書授与が主目的であり、卒業を祝うという意味が薄れる恐れはあると思います。

以上

『教職員なかまユニオン』(2025.01.25)
https://www.nakama-kyoiku.com/archives/2054


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