☆★☆ 「君が代」強制反対に刑事罰!? ☆★☆
◇ 結審 3月13日(木)13:30~東京高裁102号法廷
最終弁論(弁護側、検察側とも60分)があり、結審します。
非常識の逆風に抗して一人立ち向かう藤田さんを孤立させないご支援を!

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2007/12/08(土) 渡道
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昨日、大宮から新幹線とやらで八戸に行った。 2時間40分で着いた。 3時間もかからないのでほんとに驚いた。
高校生の時、上野ー青森間、鈍行で24時間かかった。 今はそんな列車はない。 若いというのは凄いことだ。 確か2800円の北海道周遊券を買い、夜行の車中連泊を繰り返して道内を彷徨った。 地図も持たずに大雪山に乗り込んで小屋の親父に怒られた。 旭岳では明治の山岳部の屈強な男が熊が出たといって青くなっていた。 青春とは危険と同義語である。 馬鹿なこと臆面なしである。
八戸から特急で函館に向かう。 海の底を初めて通った。 奇妙だ。 窓外はただただ暗いコンクリートの壁面である。 あの洞爺丸を飲み込んだ海峡の底を通るのだ。 工事でも34名の犠牲者が出ている。 恐ろしい。 蛍の光の歌も汽笛も桟橋もタラップも暗い海の白い波濤も何もない渡道であった。
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2007/12/09(日) 石狩
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石狩に向かう。 寒い。 侘しい。 汽車の駅はない。 小樽に負けて線路が来なかったのだという。
石狩の 月寒々と 雪照らす
石狩の 海流木の 絵が掛かる
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2007/12/10(月) 茫茫
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「あの人もあたった。 この人もあたった」 「あたる」の意味がわからなかった。 卒然としてあたる(中)のである。 卒中であった。 家の内外の気温差が激しいせいであろうかあたりが多すぎる。
凍結した道路は何とも厄介だ。 坂道ともなるとまるで滑り台である。 雪は碌な事はないが山、樹ともに冠雪してまるで一面の花盛りとなる。 ガラス越しに眺める分には雪は至福である。 冬の北海道は自然そのままである。 滂沱の雪と茫洋たる原野、茫茫とはまさしくこの事か。
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2007/12/11(火) 沼切り
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昔、狩勝峠から見た十勝平野の広大な風景が忘れられない。 札幌から釧路に向かう。 何と列車は千歳の方に向かうではないか。 石勝線が出来ていたのだ。 知らなかった。 もうとっくの昔に出来ている。 狩勝峠は過去の話となってしまった。
広大な荒野、湿地帯を行く。 その名の通りのトマム停車。 初めトマトかと思った。 人の乗り降りはない。 新得に着く。 T君に30秒ほど会う。 保線の助役をしていると言う。
池田を過ぎて尺別あたりから太平洋の波濤が迫る。 なにせ波打ち際から線路まで何の障碍もない。 荒れたらまともに車窓まで波しぶきが届くのではないか。
音別を経てパシクル沼通過。 絶景である。 昔、沼切りをやった。 砂を切って沼の水を太平洋に流して貝を採るのである。 今は線路まで水が来ると保線区員が沼切りをするという。 細い水路を完成させたら後は大河のように流れるのだ。
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2007/12/12(水) 谷地眼
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白糠駅降車。 今は特急が停まる。 ホームの階段は何十年も前のまま、駅はほぼ昔のまま。 街に入る。 さいはての・・・・啄木の歌そのまま。 寂れ果てている。
特急は 停まれど人は 影もなし
夕刻、茫然と人のいない商店街に佇む。 寒気一入である。 K氏に電話。 何十年ぶりなのについ昨日の続きのように車でやってきてくれた。
K氏からは「やちまなこ」という言葉を教わった。 「谷地眼」と書くようだ。 別名、「馬殺し」とも。 自分が40年前落ちた穴の名称をやっと知った。
『藤田の日記』
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=fujita63&P=0
◇ 結審 3月13日(木)13:30~東京高裁102号法廷
最終弁論(弁護側、検察側とも60分)があり、結審します。
非常識の逆風に抗して一人立ち向かう藤田さんを孤立させないご支援を!

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2007/12/08(土) 渡道
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昨日、大宮から新幹線とやらで八戸に行った。 2時間40分で着いた。 3時間もかからないのでほんとに驚いた。
高校生の時、上野ー青森間、鈍行で24時間かかった。 今はそんな列車はない。 若いというのは凄いことだ。 確か2800円の北海道周遊券を買い、夜行の車中連泊を繰り返して道内を彷徨った。 地図も持たずに大雪山に乗り込んで小屋の親父に怒られた。 旭岳では明治の山岳部の屈強な男が熊が出たといって青くなっていた。 青春とは危険と同義語である。 馬鹿なこと臆面なしである。
八戸から特急で函館に向かう。 海の底を初めて通った。 奇妙だ。 窓外はただただ暗いコンクリートの壁面である。 あの洞爺丸を飲み込んだ海峡の底を通るのだ。 工事でも34名の犠牲者が出ている。 恐ろしい。 蛍の光の歌も汽笛も桟橋もタラップも暗い海の白い波濤も何もない渡道であった。
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2007/12/09(日) 石狩
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石狩に向かう。 寒い。 侘しい。 汽車の駅はない。 小樽に負けて線路が来なかったのだという。
石狩の 月寒々と 雪照らす
石狩の 海流木の 絵が掛かる
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2007/12/10(月) 茫茫
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「あの人もあたった。 この人もあたった」 「あたる」の意味がわからなかった。 卒然としてあたる(中)のである。 卒中であった。 家の内外の気温差が激しいせいであろうかあたりが多すぎる。
凍結した道路は何とも厄介だ。 坂道ともなるとまるで滑り台である。 雪は碌な事はないが山、樹ともに冠雪してまるで一面の花盛りとなる。 ガラス越しに眺める分には雪は至福である。 冬の北海道は自然そのままである。 滂沱の雪と茫洋たる原野、茫茫とはまさしくこの事か。
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2007/12/11(火) 沼切り
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昔、狩勝峠から見た十勝平野の広大な風景が忘れられない。 札幌から釧路に向かう。 何と列車は千歳の方に向かうではないか。 石勝線が出来ていたのだ。 知らなかった。 もうとっくの昔に出来ている。 狩勝峠は過去の話となってしまった。
広大な荒野、湿地帯を行く。 その名の通りのトマム停車。 初めトマトかと思った。 人の乗り降りはない。 新得に着く。 T君に30秒ほど会う。 保線の助役をしていると言う。
池田を過ぎて尺別あたりから太平洋の波濤が迫る。 なにせ波打ち際から線路まで何の障碍もない。 荒れたらまともに車窓まで波しぶきが届くのではないか。
音別を経てパシクル沼通過。 絶景である。 昔、沼切りをやった。 砂を切って沼の水を太平洋に流して貝を採るのである。 今は線路まで水が来ると保線区員が沼切りをするという。 細い水路を完成させたら後は大河のように流れるのだ。
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2007/12/12(水) 谷地眼
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白糠駅降車。 今は特急が停まる。 ホームの階段は何十年も前のまま、駅はほぼ昔のまま。 街に入る。 さいはての・・・・啄木の歌そのまま。 寂れ果てている。
特急は 停まれど人は 影もなし
夕刻、茫然と人のいない商店街に佇む。 寒気一入である。 K氏に電話。 何十年ぶりなのについ昨日の続きのように車でやってきてくれた。
K氏からは「やちまなこ」という言葉を教わった。 「谷地眼」と書くようだ。 別名、「馬殺し」とも。 自分が40年前落ちた穴の名称をやっと知った。
『藤田の日記』
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=fujita63&P=0
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