パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

『藤田の日記』「貧しき家より」、「青春」

2011年06月13日 | 藤田の部屋
  ★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
  最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!

  ■□■ 4月13日(水)第9回最高裁要請行動を行いました ■□■

「ヒシクイ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

 ◎ 『藤田の日記』 (「貧しき家より」、「青春」)
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 2004/05/12(水)     貧しき家より
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 ・・・・「貧しき家よりこうし出づ」と、何処かで聞いた。ほっとした。ひどいアパートに住んでいたから。秋の嵐で壁土が吹っ飛んだ。穴が開いて、二階の部屋から前の道が見えた。人が集まってきて、こっちを見ていた。目があった。
 学校の帰りにクラスの奴が付いてきた。「お前んちどこだ」「あっちだ」と嘘ついて、違う角を曲がった。
 菓子屋の洋介だけが、家を知っていてよく前の道から私の名を二階目掛けて呼んだ。・・・・
 ずっと「孔子」だと思っていた。ボロ家から、孔子のような立派な人が出る。そんなに恥ずべきことでもないと。・・・・・
 授業で「おい、ボロ家に住んでる奴手を上げな」と言ったら、まず上げない。
 次いで、この言葉を黒板に書いて説明し、やおら「手上げて」と言うと、結構上がる。そうなると、今度は逆に自分ちのボロさ加減を誇りあったりする。コンプレクスが一瞬で解消されたのであろう。・・・・・・
 孔子でなかったが、似たようなものだ。・・・・・・・

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 2004/05/30(日)     青春
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 ・・・「かしら~中」軍隊帰りの教員が叫ぶ。私の通った松沢小学校の朝礼の風景である。各六クラス程あり餓鬼が群れていた。小三の遠足、井の頭公園記念写真は襤褸の群れだ。
 京王線は上り下高井戸駅直後でぐっと左にカーブする。そこのレール上に釘を置くのである。スピードを緩めた電車は全重量を掛けて見事ペちゃんこにしてくれる。
 運動会の朝は、卵を出がけに一つ貰い、針で穴を開けチュウチュウ吸いながら行く。
 収穫後の落花生畑をほっくり返して、焚き火に放り込んで食う。旨かった。何にも悩むことない幸せな餓鬼の時代であった。・・・
 子供の群れにはボスがいて小集団を統率する。ある時ボスが言った。「目ぇ~瞑って走れ」と。道の先には、今より遥かに車が少ないとはいえ甲州街道がある。
 三島が、「危険でない青春時代などない」と何かに書いていた気がするが、まことに危険な青春前期であった。・・・
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