『尾形修一の教員免許更新制反対日記』から
◆ 三部制高校で働くということ④
教育について、日ごろから考えてきたことを自分なりにまとめてみたいと思ってきた。別に「教育」だけが重要問題だと思っているわけではないけど、自分が現場感覚で書ける領域は学校についてだけである。で、一般論を展開するのもいいけれど、忘れないうちに自分の関わったことを書いておきたいなと思っているわけだ。
僕が教育について考えたいと思っていることは、大きく言うと二つになる。一つは教育の目的であり、学校が育てるように言われている「(広義の)学力」とはなんだろうということである。これについてはいずれ書きたい。もう一つは、「教育」をシステムととして展開している最大の「現場」である学校という場の問題。特に教師の働きの実情についての問題。
ちょっと一般論から書くけれど、最近の教育行政は「学校は学力向上」、だから「教師の仕事は授業」ということに偏り過ぎていると感じている。
首長や教委や校長が設定する、学力試験の平均点や有名大学の進学実績に関する数値目標達成に向けて、言われた通り頑張るのが教師の仕事と思っているのではないか。だから、「授業力の向上」が叫ばれる。授業は基本的には教師一人ひとりが40人ほどの生徒を相手にする。つまり教育は「個人競技」とされ、大相撲みたいに「稽古しろ」「もっと稽古しろ」「稽古して出世をめざせ」と言われているのが、「10年研修」とか「教員免許更新制」なんだろうと思う。
でも多くの教員の実感とすれば、学校は団体競技なんではないだろうか。
だから個人の教員の力を育成するだけでは学校はよくならない。個人で練習するだけでなく、フォーメーションの確認とかセットプレーの練習とかの方が重要でしょうと思っているのである。なぜなら、東大受験者が沢山いるというような高校は超少数で、圧倒的に多数の教員は、クラス経営や生活指導や行事の運営などに悩んでいるものだからだ。それらは教員どうしのチームプレーで乗り越えていくしかない問題である。しかし、現場の教員の「協働性」を育てると、「教員組合の影響力が増す」という思い込みにとらわれた勢力が大きな力を持っている。
それもあってか、教育行政は学校の現場力を弱めよう、弱めようと努めてきているというのが大部分の教師の実感ではないかと思っている。(ところで、10年研修や教員免許更新講習が、教師個々の力を伸ばす方策というのも間違いだと思うけど。)
さて、やっと三部制高校の場合の「現場の協働性」について。一つは「教員の勤務体制が分かれている」ことの功罪。朝勤務と夜勤務に職員が二分される。だから、「親睦会」が持ちにくい。職員の親睦会(慶弔や忘年会、旅行などのためにお金を積み立てる組織)は大体の職場にあると思う。学校でもほとんどはあると思うけど、これこそほとんど調査研究されていない分野だろう。当然予想されることとして、三部制高校では歓送迎会や忘年会が設定しにくい。全員の勤務時間がそろう行事の後などに設定したりしているが。(ちなみに夜間定時制高校では土曜日に出てくるしかない。)もちろん、「飲みニケーション」で学校が動くというのは本来おかしいわけで、育児や介護をかかえた教員が出てこれない場をそんなに重大に語ることもないわけだ。でも、三部制だとそういうこともあるということ。
二つ目。今、「功罪」と書いたが、勤務体制が分かれていることは共通理解の困難性という問題もあるけれど、やり方によってはいい面もあると思う。保護者への連絡を夜の教師が行いやすい。朝の教員が準備し、夜の教員が片付けることができる。部活や委員会指導なんかも、最後の締めを夜の教員に頼める。特に、最終下校時間と(朝勤務の)勤務時間修了が異なっているので、下校指導は夜勤務の教員がするしかないので朝勤務の担任が帰りやすい。ホームルーム教室もないし。このあたりは、結局は教師個々の関係性の問題になると思う。
三つ目。生徒像の問題にからみ、「二人担任制」というやり方を取っている。1期生から3期生までは、1年次、2年次を各クラスの担任を二人とした。学校開設当初の教員配置からだんだん正規の配置数になるにつれ、最近では2年次から一人担任となっている。これは最初はどういう風に機能するのかよく判らなかった。前回書いたように多様な生徒像があるので、「クロスチェック」「セカンド・オピニオン」という意味で、1年目の生徒にとっては必要なシステムのような気がする。生徒にとっては二人いればどちらかと接触すればいいので、楽だろう。5クラスあるので、1年次担任団は10人で構成される。今は大規模校でも8クラスくらいだろうから、担任団の数としてはこれは経験したことがない多さである。必ずうまくいくとは限らないだろうが、そういうやり方もあるということである。(担任生徒数の方を減らすという学校もあるようだけど、僕の経験は「30人の生徒全員を二人で共同担任する」というやり方である。)
あまり個人的なことを書かないつもりなんだけど、この時の担任団もまた楽しかった。(僕は松江二中でも荒川商業でも六本木でも、非常に恵まれた担任団だった。学年団で苦労している先生には申し訳ないけれど。この学年担任団というのが、学校の最重要の組織なので、そのあり方をもっと考えないといけないと思う。)
補足。三部制高校では「職場会」が持ちにくく、職員団体(教員組合)の活動が難しい。それは一つ目で書いたことと同じである。もっとも今はどこの学校でもやりにくいと思うけれど。
『尾形修一の教員免許更新制反対日記』(2012年04月13日)
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/17505ec8b81ee39c0f2b7c81a3c05daf
◆ 三部制高校で働くということ④
教育について、日ごろから考えてきたことを自分なりにまとめてみたいと思ってきた。別に「教育」だけが重要問題だと思っているわけではないけど、自分が現場感覚で書ける領域は学校についてだけである。で、一般論を展開するのもいいけれど、忘れないうちに自分の関わったことを書いておきたいなと思っているわけだ。
僕が教育について考えたいと思っていることは、大きく言うと二つになる。一つは教育の目的であり、学校が育てるように言われている「(広義の)学力」とはなんだろうということである。これについてはいずれ書きたい。もう一つは、「教育」をシステムととして展開している最大の「現場」である学校という場の問題。特に教師の働きの実情についての問題。
ちょっと一般論から書くけれど、最近の教育行政は「学校は学力向上」、だから「教師の仕事は授業」ということに偏り過ぎていると感じている。
首長や教委や校長が設定する、学力試験の平均点や有名大学の進学実績に関する数値目標達成に向けて、言われた通り頑張るのが教師の仕事と思っているのではないか。だから、「授業力の向上」が叫ばれる。授業は基本的には教師一人ひとりが40人ほどの生徒を相手にする。つまり教育は「個人競技」とされ、大相撲みたいに「稽古しろ」「もっと稽古しろ」「稽古して出世をめざせ」と言われているのが、「10年研修」とか「教員免許更新制」なんだろうと思う。
でも多くの教員の実感とすれば、学校は団体競技なんではないだろうか。
だから個人の教員の力を育成するだけでは学校はよくならない。個人で練習するだけでなく、フォーメーションの確認とかセットプレーの練習とかの方が重要でしょうと思っているのである。なぜなら、東大受験者が沢山いるというような高校は超少数で、圧倒的に多数の教員は、クラス経営や生活指導や行事の運営などに悩んでいるものだからだ。それらは教員どうしのチームプレーで乗り越えていくしかない問題である。しかし、現場の教員の「協働性」を育てると、「教員組合の影響力が増す」という思い込みにとらわれた勢力が大きな力を持っている。
それもあってか、教育行政は学校の現場力を弱めよう、弱めようと努めてきているというのが大部分の教師の実感ではないかと思っている。(ところで、10年研修や教員免許更新講習が、教師個々の力を伸ばす方策というのも間違いだと思うけど。)
さて、やっと三部制高校の場合の「現場の協働性」について。一つは「教員の勤務体制が分かれている」ことの功罪。朝勤務と夜勤務に職員が二分される。だから、「親睦会」が持ちにくい。職員の親睦会(慶弔や忘年会、旅行などのためにお金を積み立てる組織)は大体の職場にあると思う。学校でもほとんどはあると思うけど、これこそほとんど調査研究されていない分野だろう。当然予想されることとして、三部制高校では歓送迎会や忘年会が設定しにくい。全員の勤務時間がそろう行事の後などに設定したりしているが。(ちなみに夜間定時制高校では土曜日に出てくるしかない。)もちろん、「飲みニケーション」で学校が動くというのは本来おかしいわけで、育児や介護をかかえた教員が出てこれない場をそんなに重大に語ることもないわけだ。でも、三部制だとそういうこともあるということ。
二つ目。今、「功罪」と書いたが、勤務体制が分かれていることは共通理解の困難性という問題もあるけれど、やり方によってはいい面もあると思う。保護者への連絡を夜の教師が行いやすい。朝の教員が準備し、夜の教員が片付けることができる。部活や委員会指導なんかも、最後の締めを夜の教員に頼める。特に、最終下校時間と(朝勤務の)勤務時間修了が異なっているので、下校指導は夜勤務の教員がするしかないので朝勤務の担任が帰りやすい。ホームルーム教室もないし。このあたりは、結局は教師個々の関係性の問題になると思う。
三つ目。生徒像の問題にからみ、「二人担任制」というやり方を取っている。1期生から3期生までは、1年次、2年次を各クラスの担任を二人とした。学校開設当初の教員配置からだんだん正規の配置数になるにつれ、最近では2年次から一人担任となっている。これは最初はどういう風に機能するのかよく判らなかった。前回書いたように多様な生徒像があるので、「クロスチェック」「セカンド・オピニオン」という意味で、1年目の生徒にとっては必要なシステムのような気がする。生徒にとっては二人いればどちらかと接触すればいいので、楽だろう。5クラスあるので、1年次担任団は10人で構成される。今は大規模校でも8クラスくらいだろうから、担任団の数としてはこれは経験したことがない多さである。必ずうまくいくとは限らないだろうが、そういうやり方もあるということである。(担任生徒数の方を減らすという学校もあるようだけど、僕の経験は「30人の生徒全員を二人で共同担任する」というやり方である。)
あまり個人的なことを書かないつもりなんだけど、この時の担任団もまた楽しかった。(僕は松江二中でも荒川商業でも六本木でも、非常に恵まれた担任団だった。学年団で苦労している先生には申し訳ないけれど。この学年担任団というのが、学校の最重要の組織なので、そのあり方をもっと考えないといけないと思う。)
補足。三部制高校では「職場会」が持ちにくく、職員団体(教員組合)の活動が難しい。それは一つ目で書いたことと同じである。もっとも今はどこの学校でもやりにくいと思うけれど。
『尾形修一の教員免許更新制反対日記』(2012年04月13日)
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