=『東京新聞』【こちら特報部】から=
◆ 国際機関「ノー」再勧告
教員の思想・良心 「世界標準」ならば 守られて当然
東京や大阪の学校現場で続く「日の丸・君が代」の強制がまた、国際機関に叱られた。国際労働機関(ILO)と国連教育科学文化機関(ユネスコ)の合同専門家委員会「CEART(セアート)」が今月十日、強制にノーを突き付ける再勧告を承認したのだ。ウクライナ危機を受けて日本でも愛国心やナショナリズムが刺激される中、改めて浮き彫りになった「君が代強制」の危うさを探った。(石井紀代美)
手にした英文資料をぱらぱらめくり、鋭い視線を走らせる。日比谷公園の緑が目に入る千代田区のオフィスで、宮川光治弁護士は淡々と語り始めた。
「うん、これは、言い方はソフトだけど、言っていることは日本政府を厳しく叱責(しっせき)しているに等しいですよ」。セアートがまとめた再勧告をこう評した。
最高裁判事を務めた二〇〇八~一二年、学校の卒業式などで立って歌うよう校長が職務命令を出し、従わなければ懲戒処分する「君が代強制問題」の訴訟を複数回担当した。
判決で多数の判事が「違憲とまでは言えない」と判断した一方、「自らの歴史観・世界観に照らして譲れないという真摯(しんし)な思いから、起立して斉唱しないことは思想・良心の自由の観点から許容される」と反対意見を書いた。
「当時、どんな審議をしたのか、どう考えたのかは述べられない」と宮川氏は前置きしつつ、セアートの判断について「根本にある考えは、私と同じだと思う」と語る。
ILO日本事務所によると、日本政府に向けられた再勧告は昨年十月にセアートがまとめ、今月十日にILO総会で承認された。
前回の勧告では、「公務員である教員は職務命令に従う義務がある」と訴える文部科学省の主張に対し、「たとえ職場であっても」と念押しした上で、座ったまま静かに「君が代」を拒否する行為は周囲に混乱をもたらさず、「市民的権利の範囲内」と強調した。
そして、懲戒処分の回避のほか、起立斉唱したくない教員も適応可能なルール作りに向け、教員団体と対話するよう求めていた。
しかし、事態は改善せず、今回は「勧告に関する進展が遅々としていて、政府と教員との見解の相違が依然大きい」「これまでの勧告に十分配慮を」と政府をたしなめた。
加えて、文科省が拒んできた「日本語訳の作成」も求めた。「日本語版がないことが現場での読みやすさと普及を制限している」とし、自治体の教育委員会と共有するよう促している。
セアートに働きかけてきた元都立特別支援学校教諭の渡辺厚子さんは「教員団体と一緒に翻訳しなさいと言っている。その作業の過程そのものが、互いの見解を埋めるための対話の一歩」と感慨深げに語る。
セアートは、ILOとユネスコによる一九六六年の「教員の地位に関する勧告」を機に設立された。
この勧告では教員の責任や権利、待遇の原則を約百五十項目にわたって規定。強制力を持たないが、教員の地位に関する「世界標準」として認知される。各国の状況をチェックするのがセアートで、日本は「君が代強制」で二回目のノーを突き付けられたことになる。
前出の宮川氏はサッカーの名選手を例に出してこう語る。
「アルジェリアにルーツがあるジダン氏はフランス代表だった際、フランス国歌を歌わなかった。でもそれは許容された。日本はいまだに国際標準から外れることをしていて、恥ずかしいことだと思います」
◆ ウクライナ侵攻「同調圧力」強まる?
「君が代強制」が危ういのは、内心の自由を脅かすだけではない。目を向けなければならないのが、愛国心の喚起という問題だ。
日本国内ではウクライナ危機を受け、保守系の政治家や論客の間で軍拡やナショナリズムを想起させる発言が目立っている。
まずは防衛予算の増額。参院選で複数の政党が公約に掲げる。自民や維新は「GDP比2%」程度に増額すると訴える。安倍晋三元首相がテレビ出演時に「核シェアリング(共有)」を口にしたのも記憶に残る。
とりわけ印象に残るのは三月二十三日にウクライナのゼレンスキー大統領が国会議員を前にリモート演説した直後の出来事。参院議長の山東昭子氏のあいさつだ。
「閣下が先頭に立ち、また貴国の人々が命をも顧みず祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感激しております」
戦前戦中に「お国のために」死ぬことが美徳と教え込まれた日本。文字通り多くの若者が命を顧みれない状況に追い込まれ、死んでいったのだが…。
東京大名誉教授の高橋哲哉氏(哲学)は「自分の国は自分で守る、戦う国にならなければ、米国も守ってくれないというのが保守系の論調。山東氏はそのアピールをしたとも考えられる」と指摘する。
◆ 「国のために戦いますか」国際意識調査の回答
日本は60ヵ国中最下位
高橋氏が注目する数字がある。「世界価値観調査」と呼ばれる国際的な意識調査で、世界各国の十八歳以上の男女が対象だ。
数ある質問の一つに「もし戦争が起きたら、あなたは進んで国のために戦いますか」との項目がある。
一七~二二年に行われた最新の調査では、約六十力国中、「はい」と答えた割合が最も高いのはベトナムの96・4%。
隣の中国は88・6%で、韓国は67・4%だ。米国でも59・6%に上る。
日本はというと、13・2%で最下位。他国との違いは顕著だ。
「過去三十年六回の調査で、日本はいつも10%台。戦後の平和主義の中で、多くの国民に『戦争は嫌』『日本は戦争放棄の国』との意識があるからでしょう」
ただ、勇ましい発言を繰り返す為政者にとっては、まさにここが最大の問題となる。
「ウクライナ侵攻を見て、いよいよ国民の意識を変えないとまずいと思っているはずです。『一糸乱れず国のために戦う気概を教育現場で育成しないといけない』と。そんな時に、国旗国歌を尊重しないように見える教員がいること自体がネックになる」
東京で本格的に「日の丸・君が代」、の強制が始まったのは石原慎太郎都政時代の〇三年以降、大阪では橋下徹府政となり、大阪維新の会が府議会の過半数を占めた一一年からだ。当初は不起立で抵抗する教員も多かったが、現在はごくわずかになっている。
高橋氏は「愛国心教育が強化され、『戦う気概を持たなければ』という社会の同調圧力が強まっていくのではないか」と日本の行く末を案じた。
こんな意味合いもあるだけに、セアートに叱られた当事者が再勧告をどう受け止めているのか気になる。
本紙は都教委の対応を尋ねるべく、四月に就任した浜佳葉子教育長に文書でコメントを求めたが、「教育長に説明する時間が取れない」(指導企画課の加藤憲司氏)とのこと。回答期限を2回延長したが、28日夕までに得られなかった。
一方、文科省初等中等教育企画課の小林寛和氏は「日本語訳を作るかどうかも含めて検討している」と話すにとどまっている。
日本は民主主義に重きを置く先進国のはずだから、対話を通して修正し、早く国際基準を満たすべきだ。
※ デスクメモ
再勧告を受けた都側の反応が引っ掛かる。「教育長に説明する時間が取れない」とは、どういうことか。再勧告を何より重く捉えていれば、他の業務に先んじで教育長の耳に入れ、判断を仰ぐだろう。でも、実際は違うよう。どんな実情が秘められているんですかね、あの言葉の裏には。(榊)
『東京新聞』(2022年6月29日【こちら特報部】)
◆ 国際機関「ノー」再勧告
教員の思想・良心 「世界標準」ならば 守られて当然
東京や大阪の学校現場で続く「日の丸・君が代」の強制がまた、国際機関に叱られた。国際労働機関(ILO)と国連教育科学文化機関(ユネスコ)の合同専門家委員会「CEART(セアート)」が今月十日、強制にノーを突き付ける再勧告を承認したのだ。ウクライナ危機を受けて日本でも愛国心やナショナリズムが刺激される中、改めて浮き彫りになった「君が代強制」の危うさを探った。(石井紀代美)
手にした英文資料をぱらぱらめくり、鋭い視線を走らせる。日比谷公園の緑が目に入る千代田区のオフィスで、宮川光治弁護士は淡々と語り始めた。
「うん、これは、言い方はソフトだけど、言っていることは日本政府を厳しく叱責(しっせき)しているに等しいですよ」。セアートがまとめた再勧告をこう評した。
最高裁判事を務めた二〇〇八~一二年、学校の卒業式などで立って歌うよう校長が職務命令を出し、従わなければ懲戒処分する「君が代強制問題」の訴訟を複数回担当した。
判決で多数の判事が「違憲とまでは言えない」と判断した一方、「自らの歴史観・世界観に照らして譲れないという真摯(しんし)な思いから、起立して斉唱しないことは思想・良心の自由の観点から許容される」と反対意見を書いた。
「当時、どんな審議をしたのか、どう考えたのかは述べられない」と宮川氏は前置きしつつ、セアートの判断について「根本にある考えは、私と同じだと思う」と語る。
ILO日本事務所によると、日本政府に向けられた再勧告は昨年十月にセアートがまとめ、今月十日にILO総会で承認された。
前回の勧告では、「公務員である教員は職務命令に従う義務がある」と訴える文部科学省の主張に対し、「たとえ職場であっても」と念押しした上で、座ったまま静かに「君が代」を拒否する行為は周囲に混乱をもたらさず、「市民的権利の範囲内」と強調した。
そして、懲戒処分の回避のほか、起立斉唱したくない教員も適応可能なルール作りに向け、教員団体と対話するよう求めていた。
しかし、事態は改善せず、今回は「勧告に関する進展が遅々としていて、政府と教員との見解の相違が依然大きい」「これまでの勧告に十分配慮を」と政府をたしなめた。
加えて、文科省が拒んできた「日本語訳の作成」も求めた。「日本語版がないことが現場での読みやすさと普及を制限している」とし、自治体の教育委員会と共有するよう促している。
セアートに働きかけてきた元都立特別支援学校教諭の渡辺厚子さんは「教員団体と一緒に翻訳しなさいと言っている。その作業の過程そのものが、互いの見解を埋めるための対話の一歩」と感慨深げに語る。
セアートは、ILOとユネスコによる一九六六年の「教員の地位に関する勧告」を機に設立された。
この勧告では教員の責任や権利、待遇の原則を約百五十項目にわたって規定。強制力を持たないが、教員の地位に関する「世界標準」として認知される。各国の状況をチェックするのがセアートで、日本は「君が代強制」で二回目のノーを突き付けられたことになる。
前出の宮川氏はサッカーの名選手を例に出してこう語る。
「アルジェリアにルーツがあるジダン氏はフランス代表だった際、フランス国歌を歌わなかった。でもそれは許容された。日本はいまだに国際標準から外れることをしていて、恥ずかしいことだと思います」
◆ ウクライナ侵攻「同調圧力」強まる?
「君が代強制」が危ういのは、内心の自由を脅かすだけではない。目を向けなければならないのが、愛国心の喚起という問題だ。
日本国内ではウクライナ危機を受け、保守系の政治家や論客の間で軍拡やナショナリズムを想起させる発言が目立っている。
まずは防衛予算の増額。参院選で複数の政党が公約に掲げる。自民や維新は「GDP比2%」程度に増額すると訴える。安倍晋三元首相がテレビ出演時に「核シェアリング(共有)」を口にしたのも記憶に残る。
とりわけ印象に残るのは三月二十三日にウクライナのゼレンスキー大統領が国会議員を前にリモート演説した直後の出来事。参院議長の山東昭子氏のあいさつだ。
「閣下が先頭に立ち、また貴国の人々が命をも顧みず祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感激しております」
戦前戦中に「お国のために」死ぬことが美徳と教え込まれた日本。文字通り多くの若者が命を顧みれない状況に追い込まれ、死んでいったのだが…。
東京大名誉教授の高橋哲哉氏(哲学)は「自分の国は自分で守る、戦う国にならなければ、米国も守ってくれないというのが保守系の論調。山東氏はそのアピールをしたとも考えられる」と指摘する。
◆ 「国のために戦いますか」国際意識調査の回答
日本は60ヵ国中最下位
高橋氏が注目する数字がある。「世界価値観調査」と呼ばれる国際的な意識調査で、世界各国の十八歳以上の男女が対象だ。
数ある質問の一つに「もし戦争が起きたら、あなたは進んで国のために戦いますか」との項目がある。
一七~二二年に行われた最新の調査では、約六十力国中、「はい」と答えた割合が最も高いのはベトナムの96・4%。
隣の中国は88・6%で、韓国は67・4%だ。米国でも59・6%に上る。
日本はというと、13・2%で最下位。他国との違いは顕著だ。
「過去三十年六回の調査で、日本はいつも10%台。戦後の平和主義の中で、多くの国民に『戦争は嫌』『日本は戦争放棄の国』との意識があるからでしょう」
ただ、勇ましい発言を繰り返す為政者にとっては、まさにここが最大の問題となる。
「ウクライナ侵攻を見て、いよいよ国民の意識を変えないとまずいと思っているはずです。『一糸乱れず国のために戦う気概を教育現場で育成しないといけない』と。そんな時に、国旗国歌を尊重しないように見える教員がいること自体がネックになる」
東京で本格的に「日の丸・君が代」、の強制が始まったのは石原慎太郎都政時代の〇三年以降、大阪では橋下徹府政となり、大阪維新の会が府議会の過半数を占めた一一年からだ。当初は不起立で抵抗する教員も多かったが、現在はごくわずかになっている。
高橋氏は「愛国心教育が強化され、『戦う気概を持たなければ』という社会の同調圧力が強まっていくのではないか」と日本の行く末を案じた。
こんな意味合いもあるだけに、セアートに叱られた当事者が再勧告をどう受け止めているのか気になる。
本紙は都教委の対応を尋ねるべく、四月に就任した浜佳葉子教育長に文書でコメントを求めたが、「教育長に説明する時間が取れない」(指導企画課の加藤憲司氏)とのこと。回答期限を2回延長したが、28日夕までに得られなかった。
一方、文科省初等中等教育企画課の小林寛和氏は「日本語訳を作るかどうかも含めて検討している」と話すにとどまっている。
日本は民主主義に重きを置く先進国のはずだから、対話を通して修正し、早く国際基準を満たすべきだ。
※ デスクメモ
再勧告を受けた都側の反応が引っ掛かる。「教育長に説明する時間が取れない」とは、どういうことか。再勧告を何より重く捉えていれば、他の業務に先んじで教育長の耳に入れ、判断を仰ぐだろう。でも、実際は違うよう。どんな実情が秘められているんですかね、あの言葉の裏には。(榊)
『東京新聞』(2022年6月29日【こちら特報部】)
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