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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「日本における民主主義」は成熟どころか、未熟なまま、破壊されようとしている

2020年05月13日 | 増田の部屋
 ◆ 5.8独大統領演説「ナチスからの解放…」と検察庁法改悪の日本

Twitterにあった、すごくシンプルで分かりやすい絵をご紹介します。

皆さま
 こんばんは。増田です。これはBCCでお知らせしています。重複・超々長文、ご容赦を!
 あまり広くは報道されなかったのですが…少々はあり…件名シュタインマイヤー大統領演説を、ぜひ、お読みいただきたいと思います。下記、ドイツ大使館のHPに日本語訳全文が載っています。
 ※ 「ナチスからの解放と欧州における第二次世界大戦終戦75周年」
https://japan.diplo.de/ja-ja/themen/politik/-/2339710
 1985年のワイツゼッカー大統領演説「荒野の40年」を読んで以来、ドイツ大統領の演説には関心を持っていましたが、この、ナチスドイツ降伏の日である5月8日の演説を読んで、また深く感動し、こんな象徴としての大統領を持てるドイツの人々への羨望と、我が国の首相の体たらくとの天と地との落差が思われて泣けてくる感じでした。
 大統領は先ず「1945年5月8日、ナチスの暴力支配が終焉し…ドイツによる比類のない犯罪…が終焉しました。」として、このドイツ敗戦の日はドイツ国民も「解放された日」とします。
解放の日は感謝の日である。私たちドイツ人は今、そう言えるのです。心の底からこうした確信が得られるまで、三世代の歳月がかかりました。確かに、1945年5月8日は解放の日でした。しかし当時はそれが、大半のドイツ人の頭と心にまだ届いていませんでした。1945年、解放は外からやってきました。解放は外から来ざるをえなかった。」
 さて、日本人は? 「1945年8月15日」(実際は、ヒロヒト天皇が降伏を連合国に申し込んだのは14日)を「解放の日」と公人が呼んだ例は無い気がしますね…一般庶民に至っては、75年後の現在に至るまで、ただ「終戦の日」としか意識できないようになっている現実…
「内なる解放は、1945年5月8日という一日のうちに起きたのではなく、長く、痛みを伴う道のりでした。犯罪行為を知っていた者やそれに加担していた者の過去に関する総括と解明、家族内や世代間の葛藤をもたらした辛い問いかけ、沈黙と隠蔽に抗する闘い。それは、私と同世代の多くのドイツ人が、少しずつこの国に普通の感情を持つことができるようになった数十年の歳月でした。」
私たち自身の歴史と格闘してきたこの歳月は、ドイツにおける民主主義がようやく成熟していった歳月でした。そしてこの格闘は今日まで続いています。記憶するという営みに終わりはありません。私たちの歴史からの救済はありません。記憶を呼び起こさなければ、私たちは将来を失ってしまうからです。」
 日本では「犯罪行為を知っていた者やそれに加担していた者の過去に関する総括と解明」は無かったし、「家族内や世代間の葛藤をもたらした辛い問いかけ」も無かったし、「沈黙と隠蔽に抗する闘い」については、絶対少数ながら真面目な歴史学者や市民たちが今も続けてはいるのですけど…
 「日本における民主主義」は成熟どころか、未熟なまま、破壊されようとしている

 …「分裂を伴わないドイツの愛国心はありません。」
 …私は、最初、この文章を読んで、日本語訳が変なんじゃないかしら? なんて思ったのですが、続きを読んで理解できました。
「ドイツの歴史は、何百万人もの人々に対する殺戮と、何百万人もの人々の苦しみに対する責任を伴う、引き裂かれた歴史です。このことは私たちの心を引き裂きます。だからこそ、引き裂かれた心を持ってしか、この国を愛することはできないのです
これを耐え難いと思う者、終止符を求める者は、戦争とナチス独裁の災禍を記憶から排除しようとするのみならず、私たちが成し遂げてきたあらゆる善きものの価値を失わせ、我が国における民主主義の中核的本質をも否定してしまうのです。」
 ん~~~、と唸ってしまいました(笑)
 …日本では象徴さんとか首相さんとかが「1945年8月15日、大日本帝国の暴力支配が終焉し…大日本帝国による比類のない犯罪…が終焉しました。」
 「日本の歴史は、何百万人もの人々に対する殺戮と、何百万人もの人々の苦しみに対する責任を伴う、引き裂かれた歴史です。このことは私たちの心を引き裂きます。だからこそ、引き裂かれた心を持ってしか、この国を愛することはできない」
 なんて演説するなんてことは夢にも考えられない

 日本では首相自らが、過去の大日本帝国による比類のない戦争犯罪・人道に反する罪に対し「これを耐え難いと思う者、終止符を求める者」であり、「戦争と天皇制ファシズムの災禍を記憶から排除しようとするのみならず」、日本国憲法「の価値を失わせ、我が国における民主主義の中核的本質をも否定してしまうのです。」
「そうです、過去を想起する営みは重荷ではありません。想起しないことこそ、重荷になるのです。責任を認めることは恥ではありません。責任の否定こそ、恥ずべきことなのです。
 ん~~~、と唸ってしまいます(笑)…あの厚顔無恥なアベ戦後70年談話…完璧に恥ずべき「責任の否定」
 ※ 平成27年8月14日 内閣総理大臣談話
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html
 のっけから「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」? それでもって「二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。」と、まぁ、いけしゃあしゃあと言ったもんです。
 大日本帝国による比類のない侵略と植民地支配による非道な犯罪に対する反省が全く無く、当然の結果「責任を認め」ず「責任の否定」こそアベ日本会議政権の真骨頂…恥知らずな歴史の偽造をし、を吐きまくり、恥を知らない我が日本国の首相…まぁ、首相夫妻や取り巻きの日本会議連中が、だいっ好きな「教育勅語」道徳には「嘘を吐くな、恥を知れ、責任感を持て」なんていう、真人間に必要な道徳は無いですから…
 ※(「高校生にも分かる教育勅語のトリビア」参照のこと)
https://wind.ap.teacup.com/people/
当時、私たちは他者により解放されました。今日、私たちは自らを解放しなければなりません。新たなナショナリズムの誘惑から、権威主義的な政治の魅力から、各国間の相互不信、分断、敵対から自分たちを解放するのです。憎悪や誹謗・攻撃、外国人敵視や民主主義軽視からの解放を進めるのです。これらはみな、装いを新たにしているだけで、かつてと同じ悪の亡霊です。」
 「新たなナショナリズムの誘惑」「権威主義的な政治」を首相自ら推進している我が日本国…「憎悪や誹謗・攻撃、外国人敵視や民主主義軽視」を首相自ら推進している我が日本国…「装いを新たにしているだけで、かつてと同じ悪の亡霊」? まさに…
「終戦から75年。私たちドイツ人は多くの感謝すべき状況に恵まれています。しかし、あれ以来得られてきたそうしたありがたい成果のうち、ひとつとして永遠に保障されているものはないのです。5月8日は、解放が終わった日ではありません。あの日から、自由と民主主義の追求が託され続けているのです。私たちに、託され続けているのです。」
 この最後は本当にジ~~ンと来るものがあります。「1945年8月15日から、『自由と民主主義の追求が託され続けているのです。私たちに、託され続けているのです。』」
 誰から?
 大日本帝国による比類のない戦争犯罪・人道に反する罪の犠牲者たちと、
 侵略戦争に強制動員され、犠牲となった日本兵たち(朝鮮・台湾の人々含め)、その家族たち、
 国内で空襲・原爆の犠牲となった人たちから、
 現在に生きる私たち一人一人に「自由と民主主義の追求が託され続けているのです。私たちに、託され続けているのです。」!!!
 ということで、今、件名後半の悪法案には絶対に反対しなければ!
 戦争法制・共謀罪法等々・憲法破り放題、モリカケ桜等々・法律破り放題、トランプの言うまま米製武器買いまくり辺野古新基地づくりをゴリ押し・「人の税金」使い放題、五輪やりたさにコロナ対策無為無策、延期で愚策炸裂・「人の税金」は極力出し渋りのアベ首相にもう、これ以上、日本国の民主主義を破壊させたら、どうなるでしょう?
 最後に、衆議院HPにあった法案…ギッシリ文字ばかりで探し出すのに一苦労、かつ法律の文章は、もんのすごっく分かりにくい…の一番の問題の個所を挙げておきます。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g20109052.htm
 (検察庁法の一部改正)

 第四条 検察庁法(昭和二十二年法律第六十一号)の一部を次のように改正する
 第九条…第一項の次に次の六項を加える。
 法務大臣は、検事正の職を占める検事が年齢六十三年に達したときは、年齢が六十三年に達した日の翌日に他の職に補するものとする。
 ← つまり、63歳になった検事正はヒラ検事に降格になり、65歳定年。
   しかし、
 法務大臣は、前項の規定にかかわらず…当該検事を他の職に補することにより公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として…引き続き当該検事に、当該検事が年齢六十三年に達した日において占めていた職を占めたまま勤務をさせることができる。
 ← 法務大臣のお気に入りになると、63歳になっても降格されず検事正のままでいられる。
 第二十二条中「検事総長」を「検察官」に改め、「、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に」を削り、同条に次の七項を加える。
 (一項~三項、略)

 第四項
 法務大臣は、次長検事及び検事長が年齢六十三年に達したときは、年齢が六十三年に達した日の翌日に検事に任命するものとする。
 ← つまり、63歳になった次長検事及び検事長は、ヒラ検事に降格になり65歳定年。
   しかし、
 内閣は、前項の規定にかかわらず、…当該次長検事又は検事長を検事に任命することにより公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるときは、
 ← つまり、そのまま、次長検事・検事長の座に据えることが内閣(首相や大臣)にとって都合がいいと、内閣が認めるときは、
 …一年を超えない範囲内で期限を定め、引き続き当該次長検事又は検事長に、当該次長検事又は検事長が年齢六十三年に達した日において占めていた官及び職を占めたまま勤務をさせることができる。
 ← 引き続き、1年間、次長検事・検事長の座に据えることができる。
   さらに、
 内閣は、前項の期限又はこの項の規定により延長した期限が到来する場合において、前項の事由が引き続きあると認めるときは、
 ← つまり、そのまま、次長検事・検事長の座に据えることが内閣にとって都合がいいと、内閣が認めるときは、
 内閣の定めるところにより、これらの期限の翌日から起算して一年…で期限を延長することができる。
 ← つまり、そのまま、次長検事・検事長の座に据えることが都合がいいと認めるときは、2年間、その地位にいられる。
 要するに、この検察庁法改「正」によって、63歳になった検事正や、次長検事・検事長を降格させるもさせないも、内閣・法務大臣の「お気持ち」次第、ということ。
 検察官は首相や大臣が違法なことをした時に逮捕する権限を持つけれど、そんなこと考えていることが分かったら、検事正や検事・検事長の椅子に止まれず、ヒラ検事に降格になる?
 今ですら、検察は、アベ政府に忖度して…特に黒川検事長は…起訴すべきアベのお友達らを見逃しているのに…甘利氏のUR収賄罪疑惑等…この改「正」が実現すれば、検察庁は、制度的にも時の政権の思いのままになり「三権分立」どころの話じゃなくなります。
 民主主義の成熟どころか…

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