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某SNSをボーっと見ていたら
こんな記事が目に入った。
最初に読んだ時は、「うわ~、ひどいな~」と思った。
でも、よくよく考えたらいろんな思いが浮かんできた。
儂のような、ただ仏教を勉強してるだけの者(それもたかだか5年位の未熟者)が言って良いことなのかどうかわからないけど、どうせここは自分のブログだし、ちょっとだけ自分の考えを書いてみようかなと思う。
仏教やお寺が通過儀礼のためだけにあると考えるなら、この話は確かにひどい。
特に、遺族が知らなかったとか後から聞かされたとかいうのは論外だと思う。
ここの住職が言うように「宗派も知らん」人も多いだろうが、逆に、自分の先祖が代々弔われてきた宗派を信心している人だって多いだろうから、そういう人達にとっては耐えられないことだと思う。
と、ここまでが、儂が最初に思ったこと。(実はもう少しあるけど、儂の印象に過ぎない事なのでやめておくw)
で、その後いろいろ考えてるうちに、また少~し違う考えも出てきた。
そもそも、仏教は葬式や法事のためにあるわけじゃない。
こんなことは儂ごときが言うまでもないこと。
いろいろ難しいことが言われているが、仏教って、儂的には「人が生きるということはどういうことなのか、そして人が人として正しく生きていくためにはどうすれば良いのか」を示してくれるものだと思っている。
そういう意味で考えると、宗派というものにあまりにも拘りすぎるのもどうなのかと思う。
住職は「お釈迦様の教えを実践していくために宗派の別を問わず活動している」と話しているという。ただの言い訳なのかもしれないが、儂的には、言っていること自体は必ずしも間違っているとは思えない。
確かに各宗派にはそれぞれきっちりとした教義というものがあって、それを信じてそれに従う(?)のは大切なこと。
でも、元々の"お釈迦さまの教え"自体はどの宗派でも何も変わらないはずじゃないのかな。ただ、それを実現するための手段や方法、考え方が違うだけだと、儂は思ってる。
この件ついて、この寺の総本山は「真言宗の教義を守ることと他宗派の教えも取り入れることは両立する」と言ったらしいが、これも至極まっとうなことじゃないのかなと思う。
この記事は、最初から"仏教&お寺=葬式・法事のためのもの"という観点でのみ書かれてるように思う。つまり、そもそも儂が前述したこととは観点が違うので、儂の書いてることは的外れかもしれない。
でも、この記事自体、もう少し別の部分、つまり、「本来は仏教やお寺は葬式や法事のためだけにあるのではない」というところに、もっと突っ込んでほしかった。
せっかく最後に、日本仏教会にも取材して、「宗教離れには心のよりどころになれなかった寺院側の問題もある。地域の人の身近な場所になれるかどうかが問われている」という話ももらっているんだし、これこそがより重要な問題じゃないのかと思うのだが。
いやはや、ただ自分勝手に仏教を正しいと思っているだけの儂がずいぶんと生意気なことを書いちゃったな。
「何もわかってないヤツが何をほざいてるか」と思われた方もいるかもしれない。
でも、儂、仏教を勉強していて、仏教が言っている本当のことがもう少し広く知られるようになれば、この世の中ずいぶんと変わってくるんじゃないのかなと思ってるんだよね。
儂、仏さまが言っている「何事にも執着してはいけない」ということはとっても大事なことだと思っているのだ。
つまり、自分のこの考えにも執着してはいけないし、実際執着なんかしてない。
そもそも、仏教ってそんな難しいものじゃないと思うんだよね。