今日も朝陽が昇っていつもの日が始まる。
あの日は、市の図書館で本を探していた、その本は
芭蕉の奥の細道関連本だった。
その春、芭蕉にならって東京から歩く予定をしていた。
あれから三年後に歩いた、
現在東京から仙台松島まで歩き、そこで止まっている。
頑丈にできている図書館が揺れた、一瞬何が起きたか
わからなかった、避難訓練など今まで何度となくやって
きたが、いざという時、人はなかなか動かないものだ、
いや動けないものだと思った。
地震だっ、と思って家族にその場で電話した・・・
そしたら図書館の係り員に怒られた、ここでは携帯電話は
禁止です!と。
二階から一階に降りてきたらみんな騒然として電話をしていた・・・・
5年目の東日本大震災の慰霊式典が行われていた。
11日の朝刊に、名著バカの壁の、解剖学者養老猛司さんが興味深い指針を
語られていた。
「五感として残る、外の暴力的事象、脳は大きく変わる」
地震や火山噴火、台風など天変地異絶えないな中で、国民性が
形づくられ歴史が紡がれた。
このうち関東大震災が軍国主義化の契機になったと先生は言う。
脳は入出力装置で見るという入力の結果頭の中で意識が生じる。
つまり外界から受けた影響が残る。五感の結果が心を形作る
のに非常に大きな影響を持っている。
関東大震災では10万人の方が亡くなった、脳は暴力的な
外部からの刺激を受けると、想定外だと騒ぎ、と脳は反応する。
そして脳はそれまでとは大きく変わってしまう。
大震災から戦争まで一直線に流れていったのは、一晩で
あまりに多数の死を目撃して、「あれが現実だよね」といった
生の不条理に直面したことで、命をめぐって心に大転換が
起きたからであろう。
命の値打ちがさがり、戦争を始めるハードルも低くなった。
人は状況に依存して生きている一神教でない日本人は、神を
恐れるというブレーキを持たない、だから状況を変えない、と
いう日本人が持つべき知恵が必要だ。
しかし今回の東日本大震災では大きな変化は生じなかった。
それは今まで何度となく経験した津波など、東北人の粘り強さが
あったからではないか。むしろ今後の被災地で懸念されるのは
その他の地域の記憶から忘れ去られることだ。
「自然に善悪なし、開かれた姿勢で狂気に備えよ」
人間を除いた自然界が、人間の価値観と関係ない力学で
動いていると直視することが大事だ。
自然に善悪はない。
自然食品がことさら優れているわけでもなく、台風、噴火
イコール悪でもない。外部世界をニュートラルに見ないと
社会は狂ってしまう。既成のシステムもその時限り、今の状況に
過ぎないのに、これからも未来永劫、維持されると思い込む
これが頭の中毒だ・・・・方丈記を読まないとね
最後に養老さんは、
「一日15分でよいから人間が作らなかったものを見たほうがいい」
自然が膨大なエネルギーを一気に放出する大震災は脳が心地よいと
感じて出来上がった現代社会を、一瞬で根こそぎ破壊する。
その後、私たちを包むかもしれなね狂気の嵐に巻き込まれないように。
大震災の慰霊式典が東京の国立劇場でしめやかに行われた。
なんで東北でやらないのだろう・・・・・
広島や長崎の原爆式典は現地で毎年おこなわれてるのに・・・・・
5年目の朝に考えたことだった。