朝夕ちょっと冷えます、今日この頃、家の近くに
フランチャイズの喫茶店がオープンした。
野次馬根性で覗いてみた、たくさんの人がコーヒーを
飲むために並ぶ、なんだかな~と思いながら自分も
せっかく来たんでならんだ。
昼からは先週に続いて第二回の、大般若経、石巻神社所蔵
と地域の人々と題した研究論文発表会に行って来た。
今回は「石巻神社所蔵「大般若経」の周辺と題して
ー中世から近世の東三河の歴史と大般若経ーについて
愛大の山田教授の講演と、江戸時代の石巻神社と地域社会と題して
中部大学の田中さんの講演、最後は当館の嘱託員の鶴田による
豊橋地区の大般若経について話があった。
当地細谷郷で大般若経の書写が行われた社会的背景。
鎌倉・室町時代の東三河の歴史を概観する。
愛知県誌資料編に収められた当時の文書や記録をもとに考察
について話があった。
この地域の地理的・位置的なことから多くの豪族、武士、朝廷が
自分の領としたく、そこには寺をも巻き込んでいたこと、それだけ
重要な位置であり、気候的にも恵まれた良地であったであろう。
また伊勢神宮の配下でもあった時代が長く続いた。
特に今回の大般若経の書写は室町時代に行われたことの理由
は戦が終わった後、50年後あたりから、こういう事業が村が多く
参加して行われたようである。
江戸時代には石巻神社は寺領5石となり、二箇所に社を持つ(奥宮と
本社)それを行きかいする神事が神輿の移動として祭りに繋がっていった。
もう一つの大きな行事として大般若経会として納経されたものを
利用することであった。
いまでもその行事はおこなわれている。
そして豊橋地区の大般若経会の実態豊国がなされた。
我が家の近くにある野依神社では今でもきちんと会がおこなわれているようである。
また豊橋地区の寺院にはどれほど大般若経が存在するのかなどの
調査もあって興味深いものであった。