桜の花見をしに一週間ほど来ていた孫が
帰っていった。
賑やかだった我が家がし~んとなった、ちょっと
寂しい気分です。
二歳半だが、ひらがな、カタカナ、アルファベットを
読む。すごい吸収力です。
形で覚えているのかな。
満開に近い桜です。
桜の花見をしに一週間ほど来ていた孫が
帰っていった。
賑やかだった我が家がし~んとなった、ちょっと
寂しい気分です。
二歳半だが、ひらがな、カタカナ、アルファベットを
読む。すごい吸収力です。
形で覚えているのかな。
満開に近い桜です。
今日は風をなく穏やかな一日だった。
朝からてまり寿司を作る。
先々週に習った寿司、彩りを考えて具を乗せてみた。
午後からはちょい悪おやじの集まりで、我が家で桜花を愛でる。
楽しい一日でした。
朝から作ったすしです。
五分咲きです。
アイリスも咲き出しました。
元気です。
明日は、もう孫は東京へ帰ってしまう、なんだかちょっと寂しいです。
今日も気持ちのいい一日でした。
桜はまだ二分咲き程度、なかなか咲いてくれません。
明日はどのぐらい咲くか楽しみです。
で今日は朝から孫と庭で遊び、トーマスの絵本が
欲しいとのことで本屋さんへ行くも、着いたら
車の本がいいようで、そちらを買った。
昼ごはんは、魚料理店、やまと食堂に入った。
孫はよく食べます、大人顔負けです。
この帽子似合うわ。
次は服と帽子を買いに西松屋に行く。
あっちこっち廻って疲れたか、帰りの車の中で
昼寝となった。
今日も一日終わりました・・・・・・
明日はちょい悪おやじたちが我が家に来る、
花見の宴の計画、先日習ったてまり寿司でも作ろう。
今日は随分と暖かい一日だった。
桜もだいぶ咲きだしてきた、今年は開花から
ちょっと開くまで時間がかかっている、朝夕の
冷え込みが影響しているのかな。
朝ごはんもしかkり食べます。
そんな今日は朝から伊良湖岬まで行き、いちご刈りを
してきた。温室の中は結構暑い、30分そこそこで
出てきた。孫もいっぱしに随分と食べていた。
帰りはサンテパルクに寄って孫を遊ばせる、
会社の同僚とばったり出会う、もうかれこれ
7年は経つのかな、元気そうで彼も孫を連れて
きていた。
あっという間の一日でした。
さて明日はどこへ行きますか・・・
朝、冷え込んだ気温も昼前にはぐんとあがってぽかぽか
陽気になった。一輪か二輪だった桜の開花も、もう時間の
問題だ。
さてそんな土曜日は恒例の男の料理教室、今日は洋食です。
①ドライカレー
具は玉ねぎ、人参、えのき、にんにく、ピーマン、合ひき肉
ますが具材をさくさく切って、後はしっかり煮込むだけ、超簡単です。
焦げないようによく混ぜながら煮込みます。
②オニオンスープ
これも簡単です、さくさくしましょう。
玉ねぎ、にんにくを切って、鍋に油とにんにくをいれて炒める、
においたったら玉ねぎをいれ。塩コショーで味を調える。
後は固形スープを入れて10分ほど煮込み感性です。
③たこのマリネ
たこをさっと湯どうしして、水気を取り、薄くそぎ切りにする。
ピーマンもさっと茹でる、パプリカは3分ほど茹でる。
ボウルに調味料を入れ、具材を入れて混ぜ、冷蔵庫に入れて冷やす。
④モカプデイング
デザートです、卵、牛乳、コーヒー、砂糖を使用、キーポイントは
牛乳を沸騰させないこと。
プリンの完成です。
甘さ控えめの美味しさです。
いただきま~す。
吹く風はちょっと冷たい花冷えの今日は奥三河の古戦場めぐりに参加
してきました。
この地域は戦国時代の合戦の地として、武田軍に対して、織田・徳川連合軍が
激突した設楽が原があります。
行く途中の本宮山
豊川疎水 (用水)
かの有名は武田軍の騎馬兵を織田・徳川軍の鉄砲隊が撃破した戦である。
まずは飛平井神社の織田信長の本陣地から極楽寺の陣地を見て
欠下城跡を廻り、信長の次男、北畠(織田)信雄の本陣地・八幡社から
織田信忠の野辺神社、岡崎信康の松尾神社、伝令で重要な役目を
果たした鈴木金七の生誕地へ、その後茶臼山の信長戦地本陣地から
羽柴秀吉の陣地、徳川家康の弾正山陣地跡(八剣神社)と
随分と欲張った。
設楽が原の主だった戦場をぐるっと廻ったことにある。
古戦場には、いろはかるたで詩があり、覚えるのはいい手法である。
今日は随分と歩いた、気持ちいい一日でした。
今日はちょっぴり寒の戻りのような一日、夕方からは
風も出てきて吹く風も心もち冷たく感じる。
花冷えなのか、そんな今日は月一回の写経の日、
街中まで行って、三時間あまり静かな空間に身をおく。
来迎図
今日のお茶菓子は京都老舗の和菓子だそうな。
一輪の桜花
マリーゴールドを植えてみた。
花壇の枠にレンガを並べてみた。
バーベナも植えてみた。
葉牡丹も終わりかな・・・・
朝夕ちょっと冷えます、今日この頃、家の近くに
フランチャイズの喫茶店がオープンした。
野次馬根性で覗いてみた、たくさんの人がコーヒーを
飲むために並ぶ、なんだかな~と思いながら自分も
せっかく来たんでならんだ。
昼からは先週に続いて第二回の、大般若経、石巻神社所蔵
と地域の人々と題した研究論文発表会に行って来た。
今回は「石巻神社所蔵「大般若経」の周辺と題して
ー中世から近世の東三河の歴史と大般若経ーについて
愛大の山田教授の講演と、江戸時代の石巻神社と地域社会と題して
中部大学の田中さんの講演、最後は当館の嘱託員の鶴田による
豊橋地区の大般若経について話があった。
当地細谷郷で大般若経の書写が行われた社会的背景。
鎌倉・室町時代の東三河の歴史を概観する。
愛知県誌資料編に収められた当時の文書や記録をもとに考察
について話があった。
この地域の地理的・位置的なことから多くの豪族、武士、朝廷が
自分の領としたく、そこには寺をも巻き込んでいたこと、それだけ
重要な位置であり、気候的にも恵まれた良地であったであろう。
また伊勢神宮の配下でもあった時代が長く続いた。
特に今回の大般若経の書写は室町時代に行われたことの理由
は戦が終わった後、50年後あたりから、こういう事業が村が多く
参加して行われたようである。
江戸時代には石巻神社は寺領5石となり、二箇所に社を持つ(奥宮と
本社)それを行きかいする神事が神輿の移動として祭りに繋がっていった。
もう一つの大きな行事として大般若経会として納経されたものを
利用することであった。
いまでもその行事はおこなわれている。
そして豊橋地区の大般若経会の実態豊国がなされた。
我が家の近くにある野依神社では今でもきちんと会がおこなわれているようである。
また豊橋地区の寺院にはどれほど大般若経が存在するのかなどの
調査もあって興味深いものであった。
昨日、宇陀路から夜遅く帰ってきて、今日は定例の
地元歴史をひもとく会に出席した。
先回は若狭の旅に出かけていたので欠席したので
その分の資料をもらい、目を通す。
今回も引き続いて芭蕉の笈の小文の最終回
芭蕉と杜国が渥美半島まで来て友情を深め、伊勢で会う約束を
して熱田に行く場面。古文の解読は難しいです。
二次元目は、私の小浜の旅編を(大したことないですが・・)
一昨日、いい天気に恵まれ、三重から奈良へでかけた。
友人から知らせがあり、三重の弥勒寺にすごい仏像が
おられると、しかも写真もOKとかで、さっそく行くことにした。
東名高速から伊勢湾岸道路を通り、東名阪、西名阪で
まずは、弥勒寺へ。
トリトン
着くと近所のおばちゃんたちが本堂などの掃除をしており
挨拶して拝観させてもらった、おばちゃんがしっかり寺伝や
仏像について話してくださった。
水田の広がる長閑な場所にあるこの弥勒寺は遠くに
青山高原が望め、田植えが終わったあとの田圃には月が映えるとか
それはそれはいい眺めだとか、是非また来て欲しいと・・・
薬壷を持たない薬師如来
十一面観音菩薩立像
ゆっくりさせてもらい、名張まで来たんで、赤目四十八滝まで行って
お昼ごはんにする。
その滝の近くに、桜でも有名な役の行者で有名なお寺にも寄った。
赤目四十八滝 不動の滝
忍者体験
でここまで来たなら大野まで行き、巨大な魔崖仏がある大野寺へ
係りの人にお願いして本堂まで上がらせてもらった。川の向こうに
そびえ立つ大きな岩盤に弥勒菩薩の絵が描かれている。すごい迫力です。
大野寺
魔崖仏
そして反対側の室生寺まで足を伸ばす。
ここ室生寺はもう何回来ただろうか、何度来てもここはいい、まさに
仏像のデパートだ。特に金堂におられる十一面観音菩薩立像は
色も残っており妖しいお姿をされておられる。そしてご本尊の釈迦如来の
前に立つ、十二神将も立派に役目を果たしておられる。
今月初めに行った若狭小浜のお寺に似ている作りは心を落ち着かせる。
かの土門拳さんが雪の降るのを待って逗留したといわれる、この室生寺
病気の彼をここまで魅了するものは、やはりここの落ち着いた雰囲気、
建物の配置、木々なのか、神仏の醸し出すオーラのようなものが
あるのだろうか。
この道しるべの左奥にその旅館はあった。
自然災害に痛んだ塔も修復されている
そんな他愛ないことを想っていたら友とはぐれた(笑)
少し早いが帰路についた、しかし東名阪で事故があり
2.5時間の渋滞の巻き込まれる、御在所岳SAで時間をつぶして
夜遅く帰ってきた。