『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

着物

2021-03-18 01:11:34 | 着物
銀座の王子ホールなのだから、やはりお洒落していきたいよね、と、今回はもう絶対に着物と決めていました。

音楽家講座では、山葡萄の下駄と籠に合う紬、小紋、ですが、せっかくなので、畳表の草履にオーストリッチというちょっとおばさん・・じゃなかった、落ち着いたセットに合わせて訪問着に。

もうおばあさんの年なんだから、たまにはこんな感じも良い。

でも、この訪問着も紬。

多分、母が持っていた着物では、これが一番上等ではなかったかと思います。

母は4人姉妹で、みな仲良しで、よく一緒に買い物にいったり、旅行したりしていました。

「これはね、繭から糸を紡ぐところから、こつこつと手織りするまで、全部田舎のおばあさんが一人で作った白生地からあつらえたのよ。」

ということは聞いていた。

通常は紳士用の反物なのを半分こして、婦人用の着物が2着出来る、ということで、仲良く4人で2反購入し分けて、それぞれに好みの色に染め、柄なども古代友禅?で描いてもらったのだそう。

4姉妹といえば、若草物語や細雪があるけれど、4姉妹って華やかでちょっと憧れる。

母は次女。姉妹で今も元気なのは一番末っ子の叔母一人になってしまって、もうみな逝去してしまったけれど。

最初に逝ってしまったのは、3番目の叔母で、胃癌だった。

葬儀の時には、この紬を纏って旅立ちました。
一番仲良しの叔母で「ちゃま、ちゃま」とおばちゃまのちゃまということで呼んでいた。

ちゃまの紬は無地のきれいな薄紫で、とても似合っていました。

まだ私が大学生の頃のこと。

念のためにと、その時はまだ元気だった母に聞いてみた。

「ママも、あのお揃いの紬にする?」

「あれは、もったいないから、真理にあげる。私は、青海波の紫の江戸小紋でいいわ。
そんなに良いものでもないけれど、あれは、若い頃最初にパパに買ってもらった着物だから。」

ということで、2000年、母が仙骨の癌で逝った時は、実際、そのように取り計らった。

・・・

紬なのに訪問着、というのはいわば掟破りで、そういうのが好きだったのか、とちょっと意外な気もしましたが、石庭の絵柄がちょっと渋すぎる気もして、2回、結婚式に来ただけ。





その1回目は甲野先生の武術関係で親しくなった編集者と私の生徒さんとの結婚式。
その2次会の乾杯の時、なんと赤ワインをザブンと浴びてしまいました。

でも、その時参加されていた史上最強の呉服屋の若旦那が、

「大丈夫!落ちます!!」と断言してくださって、実際、翌日すぐにお預けし、見事に蘇って戻ってきて、ほっとした、というエピソードも増えました。


そして、仕上がったものを届けていただいた際に初情報も。

「そうじゃないかなあ、とずっと気になって見てたんですが、あの着物はやはり加藤改石のものなんですね。」

「それは誰?」

とここで、色々と御教えいただいたのでした。
母はおばあちゃん、といっていたと思うのだけれど、私の記憶違いでおじいちゃんだったのかしら?

二匹の蚕が作る丸くて大きな繭から作った糸なので、とても丈夫な紬。
牛首紬というのがあるのは、着物の雑誌で知っていましたが、これがそうだったとは・・とその時、初めて知りました。

・・ワインをこぼしたお陰で・・

https://www.daimon-ya.jp/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%94%B9%E7%9F%B3-%E7%89%9B%E9%A6%96%E7%B4%AC/

釘も通さないので「釘抜紬」とも言われているそうです。

確かに、大島や結城とは全く違う、いかにも紳士ものに相応しい弾力と艶のある丈夫な生地。

着物熱に浮かされていた40代の頃にはあまり似合わなかったのですが、今の年齢には丁度良い。

螺鈿の袋帯を合わせました。



袋帯を締めるのは5年ぶりくらいで、ちゃんと出来るか不安だったのですが、手が覚えていてくれて無事に完了。

帯締めと帯揚げで春の色に。