意味深なタイトルですみません。
フルート奏法に関しての話です。
ご遠方の方のリモートレッスンでの気付き。
かなり吹ける方なのですが、ご自身のやり方に違和感を感じるようになり、新潮社の
『身体から革命を起こす』(甲野善紀・田中聡 共著)に掲載された私の記事に感銘を受けた、とコロナ禍になる前は、新幹線に乗ってレッスンを受けにいらしていました。
一か月に1度、数か月に一度だったのが、リモートになり、より頻繁に。
もちろん、リアルレッスンが良いのはいうまでもありませんが、私の様な、身体の取り扱いからフルート演奏を研究しているやり方は、リモートならではの、面白さと効用があることを毎回発見しています。
大概の経験者はフルートを口元に持っていく時から既に、過去に培ってきたやり方で
「フルート」を吹こうとしてしまうので、中々、そこからの脱却が難しい。
実際、私自身も 40代の時、公開レッスンで大失敗し、「このままではやってけない。
これは根本的に何かが違っているんじゃないか?」と奏法を探し求めていた時、友人の紹介でチェコのフィンダ先生に出会ったことで、メウロコ。
そのレッスンは・・
頭部管だけで半年。さらにHの一音を出すだけで1年、という感じだった。
根本から変えるのだからそりゃあ大変だ。
フィンダ先生も、普段はチェコで、来日した折だけのレッスンだったので、猶更。
その上、当時はまだ甲野先生にも、植村先生にもご縁は繋がっていなかった。
今の私が当時の私と会えるものならば、こうして、こうして、こうして、ほらね、とばかりに教えてあげられるのに、と思う。
なので、生徒さんの気持ちと状況もとてもよくわかる。
「フルート、と思うから戻っちゃうんです。フルートじゃない持ち方にしてみましょうか?」
これが、今回、驚くほどはまりました。
キィの上に指を置くのではなく、捧げ持つように、それも今回の「浮き構え」とそれによる「音量自動調整装置」の二つを使う時「指先」を使う方法で。
こんな手指では、絶対フルートにならないので。
それで頭部管、そして組み立てて。
さらに右手はそのままで、左手だけキィーを押さえてGis。
本日はここまででしたが、かなりの成果が上がりました。
「‥少ない息なのに、フルートが中心から鳴っているような感じで音が出ました。こんな風に吹けるなんて!」
ととても喜んでいただけました。
私も過去、そういう風に練習すれば良かったのになあ、と「一抹の苦い想い出と共に過去を懐かしむ」・・
これは再現部の演奏におけるモイーズの言葉ですが、懐かしむだけではなく、今の自分の奏法を顧みて振り捨てるのにもちゃんと有効だ、ということにもすぐに気が付きました。
「フルート」だと思うと、まだまだ間に合わせてなんとかしていることが多いことに気付かせてくれた本日のレッスンでした。
それにしても、
「指先か否か」
「では指先とは一体何処か?」
というお題は、相当研究してもし尽くすことはないのではないか、と思います。
あとおまけの気付き。
「自動音量調整装置」は、ピアノ演奏にも有効でした。
最初は息を使う訳ではないのに、不思議で、錯覚?と半信半疑でしたが、考えてみれば、息以前に背中を中心として身体全体のテンションが変化するので、なるほど、と合点。
今更ですが、この「自動音量調整装置」こそ、まさしく私が2003年、甲野先生を追いかけよう、と思ったきっかけとなった、先生の言葉に通じているのだ、とようやく認識。
その言葉は・・
フルート奏法に関しての話です。
ご遠方の方のリモートレッスンでの気付き。
かなり吹ける方なのですが、ご自身のやり方に違和感を感じるようになり、新潮社の
『身体から革命を起こす』(甲野善紀・田中聡 共著)に掲載された私の記事に感銘を受けた、とコロナ禍になる前は、新幹線に乗ってレッスンを受けにいらしていました。
一か月に1度、数か月に一度だったのが、リモートになり、より頻繁に。
もちろん、リアルレッスンが良いのはいうまでもありませんが、私の様な、身体の取り扱いからフルート演奏を研究しているやり方は、リモートならではの、面白さと効用があることを毎回発見しています。
大概の経験者はフルートを口元に持っていく時から既に、過去に培ってきたやり方で
「フルート」を吹こうとしてしまうので、中々、そこからの脱却が難しい。
実際、私自身も 40代の時、公開レッスンで大失敗し、「このままではやってけない。
これは根本的に何かが違っているんじゃないか?」と奏法を探し求めていた時、友人の紹介でチェコのフィンダ先生に出会ったことで、メウロコ。
そのレッスンは・・
頭部管だけで半年。さらにHの一音を出すだけで1年、という感じだった。
根本から変えるのだからそりゃあ大変だ。
フィンダ先生も、普段はチェコで、来日した折だけのレッスンだったので、猶更。
その上、当時はまだ甲野先生にも、植村先生にもご縁は繋がっていなかった。
今の私が当時の私と会えるものならば、こうして、こうして、こうして、ほらね、とばかりに教えてあげられるのに、と思う。
なので、生徒さんの気持ちと状況もとてもよくわかる。
「フルート、と思うから戻っちゃうんです。フルートじゃない持ち方にしてみましょうか?」
これが、今回、驚くほどはまりました。
キィの上に指を置くのではなく、捧げ持つように、それも今回の「浮き構え」とそれによる「音量自動調整装置」の二つを使う時「指先」を使う方法で。
こんな手指では、絶対フルートにならないので。
それで頭部管、そして組み立てて。
さらに右手はそのままで、左手だけキィーを押さえてGis。
本日はここまででしたが、かなりの成果が上がりました。
「‥少ない息なのに、フルートが中心から鳴っているような感じで音が出ました。こんな風に吹けるなんて!」
ととても喜んでいただけました。
私も過去、そういう風に練習すれば良かったのになあ、と「一抹の苦い想い出と共に過去を懐かしむ」・・
これは再現部の演奏におけるモイーズの言葉ですが、懐かしむだけではなく、今の自分の奏法を顧みて振り捨てるのにもちゃんと有効だ、ということにもすぐに気が付きました。
「フルート」だと思うと、まだまだ間に合わせてなんとかしていることが多いことに気付かせてくれた本日のレッスンでした。
それにしても、
「指先か否か」
「では指先とは一体何処か?」
というお題は、相当研究してもし尽くすことはないのではないか、と思います。
あとおまけの気付き。
「自動音量調整装置」は、ピアノ演奏にも有効でした。
最初は息を使う訳ではないのに、不思議で、錯覚?と半信半疑でしたが、考えてみれば、息以前に背中を中心として身体全体のテンションが変化するので、なるほど、と合点。
今更ですが、この「自動音量調整装置」こそ、まさしく私が2003年、甲野先生を追いかけよう、と思ったきっかけとなった、先生の言葉に通じているのだ、とようやく認識。
その言葉は・・
「息は身体の動きに付随するものです。」