コンサートの翌日は、いつも通りにお掃除をして、その後はリモートによるレッスン。
若い頃の方が、いや、前回、2年前までの方が、もっと疲れが出ていたと思います。
加齢に伴う衰えはきっとあるのだろうけれど、幸いなことに、それを感じない、どころか、より疲れなくなっている、というのはちょっと不思議で気味悪いくらいです。
それもこれも、やはり身体と心の使い方ひとつで変わるというのだから面白い。
翌々日は、夫とドライブで、南足柄の弟夫妻の家に遊びに。
今回は曇りで全く富士山が見えず残念。
はやぶさロスで休職し、すぐにジロを飼い始めた弟。
しばらくは、頼まれれば川口先生達と共に講演したり、東大の院で教えたりもしていたけれど、それらも全て辞めて完全リタイア。
それを機会にジロの為に、より自然の豊かなところに、ということで、横浜からこちらに越してもう5年くらいか?
丹沢の山々が目の前に迫り、ビルなどもないので、空が広い。
この山が近くに見える、というのが子供の頃暮らしていた高松の木太町の景色に似ていると弟が言っていて、驚いた。
言われてみれば確かにそうかも。
でも、弟が高松で過したのは小学校6年生まで。
父が急逝して、その後一年、私の高校卒業を待ってすぐに、母方の祖父の居る西鎌倉に転居したのだから、むしろ、弟はこちらで過した時間の方が長い。
短い時間であっても、両親の元で過ごした高松での子供時代が、弟には一番の想い出だったのか?と驚かされた。
私がそうでない、という訳ではないけれど、あまり過去は振り返らない性質なので・・
今居る場所が一番好きな場所、と自然に思えるのは、現実派だから?
姉弟であっても、男女差というか、個々の性格の違いなのだなあ、としみじみ。
そのジロももう12歳。すっかりおじいさん犬に。
でも、色艶もよく、中々若々しい。
若い頃の方が、いや、前回、2年前までの方が、もっと疲れが出ていたと思います。
加齢に伴う衰えはきっとあるのだろうけれど、幸いなことに、それを感じない、どころか、より疲れなくなっている、というのはちょっと不思議で気味悪いくらいです。
それもこれも、やはり身体と心の使い方ひとつで変わるというのだから面白い。
翌々日は、夫とドライブで、南足柄の弟夫妻の家に遊びに。
今回は曇りで全く富士山が見えず残念。
はやぶさロスで休職し、すぐにジロを飼い始めた弟。
しばらくは、頼まれれば川口先生達と共に講演したり、東大の院で教えたりもしていたけれど、それらも全て辞めて完全リタイア。
それを機会にジロの為に、より自然の豊かなところに、ということで、横浜からこちらに越してもう5年くらいか?
丹沢の山々が目の前に迫り、ビルなどもないので、空が広い。
この山が近くに見える、というのが子供の頃暮らしていた高松の木太町の景色に似ていると弟が言っていて、驚いた。
言われてみれば確かにそうかも。
でも、弟が高松で過したのは小学校6年生まで。
父が急逝して、その後一年、私の高校卒業を待ってすぐに、母方の祖父の居る西鎌倉に転居したのだから、むしろ、弟はこちらで過した時間の方が長い。
短い時間であっても、両親の元で過ごした高松での子供時代が、弟には一番の想い出だったのか?と驚かされた。
私がそうでない、という訳ではないけれど、あまり過去は振り返らない性質なので・・
今居る場所が一番好きな場所、と自然に思えるのは、現実派だから?
姉弟であっても、男女差というか、個々の性格の違いなのだなあ、としみじみ。
そのジロももう12歳。すっかりおじいさん犬に。
でも、色艶もよく、中々若々しい。
その後は、夫と一緒に、近くにある洒水の滝に。
「しゃすいの滝」。
よく見ると漢字も酒ではなく、一本横棒が足りない字。
密教からの由来であるとか、蛇水から、とか諸説あり。
前回、滝行の長谷川智先生のことを思い出したことから、確かこのあたりだったか?と初めて行ってみました。
「しゃすいの滝」。
よく見ると漢字も酒ではなく、一本横棒が足りない字。
密教からの由来であるとか、蛇水から、とか諸説あり。
前回、滝行の長谷川智先生のことを思い出したことから、確かこのあたりだったか?と初めて行ってみました。
岩が落ちてくる恐れがあるとのことで、もう滝つぼの方には入ることが出来ず、入口付近だけではありますが、シンとした独自の空気が流れていてました。
ここは行場として、滝行にご縁のある方々には、とても有名な場所。
甲野先生からもお教えいただいたことがある。
私は、そういった霊性的なこととは無縁だけれど、色々とある場所なのだろうな、と思います。
一度だけ、甲野先生の奥多摩合宿の帰途、偶然出会った滝行をやっているお坊さんに誘われて、私も洋服のまま、滝行をやったことがあるのだけれど、まだ40代半ばで若かったし、夏だった。
通りすがりのいわばプチ体験コース?ではあったけれど、ちゃんと塩でお清めし、お神酒を上げて、お経を唱えてくださって、お作法通りに、失礼のないように取り計らってくださったのでした。
今でも、何故、そんな経緯になったのか、不思議といえば、不思議。
後から調べると、どうやら、「滝行体験」を有料でやっているお寺のイベントの一環だったらしいけれど、そのついでに、何か変なのが紛れ込んできた、という感じだったのだろうか。・・無料だった・・と今気付く。感謝です。
小さなチョロチョロとした滝だったけれど、それでも、滝から落ちて来る水は冷たく、勢いがあり身体に突き刺さる様だった。
それがしばらくすると、なんともいえない多幸感と有難いという感謝の気持ちが生じてきた。出た後は身体もポカポかしていて、爽やかな心地。
しばらく歩いて風で乾かし、その後近くの温泉に入って着替えて帰宅したのでした。
貴重な経験をさせていただいたけれど、夏でもあんなに冷たかったのに、冬に大きな滝に打たれるというのは、本当に覚悟と信念がなくては出来ないことだろうな、とかつてこの洒水の滝で修行された様々な方々のことを思いました。
ついでに思い出したのは・・・
この後、ちょっと感化されて自己流の「水行」をやっていたことがある。
一か月くらいでやめてしまいましたが。
お風呂の最後に、ひたすら水を浴びるというだけのもので、これもなんとなくではあるけれど、心身がシャキっとしてそれなりの効用はあったと思う。
シャワーだと雰囲気が出ないので、オケに水をためて、ジャバーっと勢いよく。
何故、一か月で止めてしまったか、というと・・・10月になるとやはり寒くって、というのと、水道料金を調べる係の方から「急に使用料が増えていますが、何か理由がございましたか?なければ、水漏れの可能性もあるのでお調べしますが?」と言われてしまったから。
「あ、・・・・大丈夫です!」とまさか、水浴びしてた、とは言えず、その後は水行も終しまいに。