『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

甲野陽紀先生の個別講座  5回目

2022-04-22 21:06:29 | 甲野陽紀先生の個別講座
今回は、3月26日のコンサートのご報告。
こちらにも記した、本番での生まれて初めての体験や変化をお話しました。

最近、銀の5代目ロットも新たな響きとなってきて面白いので、こちらを持参。

「・・・いつもの初代とは違う笛なのですが・・」

と前置きしてからシランクスを吹きました。

陽紀先生からも、

「仰っていたことがよくわかりました。本当に大きく変化されましたね。特に下半身が安定してきました。」

との言葉をいただく。

今後の悩みとしては、やはり、新たな「欲」との葛藤。

「我ならざる我」をいつも発動できるようにしたい。
毎回ゾーンに入れる演奏ができるようになりたい。

これに尽きる。

これは道元が説いている「自分をなくす」にも通じているのかもしれないけれど、自分をなくしたら、じゃあ私は誰?何故私は私として生まれてきたの?

という素朴な問いにも繋がり、これもまた長年の悩みにも通じる。

何故フルートか?何故音楽か?

まあ、面白くてやりたいからやっているのだけれど、それもまた「私」であって、という堂々巡り。

昔、師匠から「ハイデガーの『存在と時間』を読みなさい。」と言われたけれど、ようやく、その領域の話が一番の課題となってきた感もある。

最初から年齢は関係ない、と思ってはいるものの、自身の子供世代に近い陽紀先生の深い見識をうかがえたのは、良かった。

巡り巡れば、自分の為なのかもしれないけれど、それが、その自他の境界がなくなり全部のためになる、という発想は私には皆無だった。

これは「心即理」という陽明学の教えにも通じている。

・・ああ、私は還暦越えても私欲まみれ・・
私と他者との境界線は、線というよりも壁に近いかも。

このあたりを乗り越えるためにフルートで修行しなさい、と何者かに言われてやっているのかもしれないなあ、とぼんやりと思う。

そして感覚という曖昧な言葉に関しての知見。
前回は「呼吸に関して研究しているんですよ~。」
ということで、「間の呼吸」をお教えいただき、これがお守りの様に、本番の時に役立った。

そして今回は「最近は『感じる』ということを研究しているんですよ~。」
ということで、お教えいただいたのは「感じることと生じることの違い」

これは、「自分を失くす」にも通じて来るもので・・・

やはり陽紀先生の教えは一言でポンと通じる人には通じるものなので、詳細は書けないけれど、これもまた日々のフルートとの付き合い方、稽古の仕方の大きな柱になる教えとなった。

そして「我ならざる我の発動」「自分はアシスタントに徹する」ための準備として、今、私はざっくり数えても

・コモドドラゴンの手の内
・羊座りの立ち方
・首
・四肢の圧
・間の呼吸
・目の呼吸
・抜刀の構え
・鯉口の手の内
・浮き構え
・手と反対側の足指操作
・より下にあてる

・・・などなどの確認をしてからようやく一音出す、というのをやっていて、少しずつそれが「普通」の身体にはなりつつあるけれど、ここが雑だとやはり「主役」は来てくれない。

でも、状況によっては、ここまで丁寧に出来ないこともあるし、おそらくこの「準備」の要素はこれからも増え続けていく・・・

なんていう話をしたら、

「ショートカットメニューを作ればよいのでは?」

なるほど。

これだけは外せない、というものに絞り込む。

これは、また今後の進展に伴って変化していくものではあるけれど、以下の3つに絞りました。

「1.コモドドラゴン、2.四肢の圧、3.手と反対側の足指操作」

これを忘れなければ、他のことは付随してくるような気もする。

羊座りや目の呼吸、間の呼吸は、もちろん大事だけれど、意識しなくてもやるようになってきているので。

以下、学びの記録

1回目・・「フルート体」・末端から動く
2回目・・足 、「ヒトデとウニ」(これは私のイメージ)
3回目・・下駄・目・置く
4回目・・足先・呼吸(間の呼吸)
5回目・・「感じる」と「生じる」の違い・「自分を失くす」・ショートカット