『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

太田嘉子 リサイタル 3月16日(火)19:00開演

2021-03-17 00:47:37 | 音楽・フルート
フルートの太田嘉子さんのリサイタルを聴きに、銀座・王子ホールにでかけました。

本当は昨年6月に開催予定だったものが、延期となり、本日ようやく開催に。


招待状には「練習する時間が増えました!」と前向きな言葉がありましたが、本当にその通りで、どれも見事な演奏でした。

何より、意気込みと舞台に立ってコンサートを開催できることの喜びがヒシと伝わってくる。


ファゴットのご主人との共演も微笑ましく、素敵な時間を過ごすことができました。

そして・・


コロナになってからずっと会っていなかった、会う機会のなかった沢山の笛吹き仲間に合えたのも嬉しかったです。

もちろん、コロナはまだま終息には程遠い状況ですが、マスク、手指の消毒、ソーシャルディスタンスを心がけていれば、コンサート会場での感染リスクは非常に少ない。


実際、どこもクラスターにはなりませんでした。

そうしたことを踏まえてか、今回は満員の客席、そして通常のたっぷり2時間の開催。

周到に会場スタッフとも打ち合わせして感染予防対策をした上のこと。

まばらじゃない客席が新鮮で、嬉しかった。

残念なのは、打ち上げがないこと。

偶然会えた、ワイン友達のSちゃんと一緒に、「飲みたいよねえ~」と言いながらまっすぐ帰宅しました。

https://www.miyazawa-flute.co.jp/3-16-%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%98%89%E5%AD%90%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AB%EF%BC%A0%E9%8A%80%E5%BA%A7%E7%8E%8B%E5%AD%90%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB/

夜9時だというのに、お店はみな閉まって、閑散とした銀座は、何か悪い夢か、SF映画の1シーンか、といったところ。

とても不思議な景色でした。


3月の設え

2021-03-14 01:12:04 | テーブルコーディネート
庭の蕗の薹もすっかり伸びきってしまい、雑草の花もまだ咲いていません。

お花屋さんにも行きそびれていて、あるのは去年の7月から生き延びているルスカスだけ。

それならば、陶器の花を咲かせよう!?と思いついたのがこのカードスタンドです。


今はリモート開催となってしまいましたが、コロナ以前は両国のとある会社のビルの一室で東京玉翠会(高高同窓会)の幹事会が年3回、行われていました。

数年前、早く到着した時に、寄り道して遭遇した小さな骨董屋さん。

和のものが多かったのですが、その中に、何故か、このカードスタンドがありました。

繊細な細工と美しい色彩に一目惚れ。

家にはもっとボテっとしているけれど、似た感じのエインズレイの花の陶器の置物があったので、

「エインズレイですか?」と聞くと

「そうですよ。お好きなんですね。」と気のよさそうな若い店主。

家にあるのは、それほど好きではないけれど、この小さな細工のものは、とても気に入った、というと、

「ああ、やはり、こちらのものは時代が古いですから繊細ですね。正確にはわかりませんが、60年くらいは経っていると思いますよ。」

としたら、同世代?とますます欲しくなりました。

エインズレイのものが7個、無印のものが6個ありました。

一個2000円、とのことだったので、6つだけもらおうと思い、選んでいたのですが、

「このこもいいけど、このこも可愛い・・ああ困る・・どうしましょう・・」

と真剣に悩む私をみかねたか、あきれたか、

「全部で12000円でいいですよ。」

と嬉しいお申し出が。


その後、これらのカードスタンドは拙宅での宴会で大活躍。

全ての準備を終えて、最後にゲストの顔を思い浮かべながら、その人に似合う花を選んで、名刺大のカードに名前を書いて挿す。

テーブルトークのきっかけにもなり、喜んでいただけました。

でも、コロナになってからは、活躍の場もなくなり、ずっと棚の中でベンチ要員に。

そうだ。君たち今こそ活躍してね、とばかりに、キャンドルスタンドやルスカスの周りに全員集合させました。



一気に華やいだ春に。

ちゃんとカードを挿して使える日を待ちわびつつ、今は今の春を楽しもうと思います。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追加記載

たまたま、頂き物で家にあるので、時折百貨店などでも見かけるエインズレイを知っていましたが・・

なんと、実はこれ、エインズレイではありませんでした。

無印のものも、剥げていただけで、よくルーペで他の裏側をみると、メーカー名がありました。

どちらもイギリスに古くからあるボーンチャイナの工房で、

Royal Adderley と Lea Floralsでした。

A とleyがあったので、店主も私も,知っている Aynsleyだとばかり、思い込んでいたということが数年後の本日ようやく発覚。
お恥ずかしい限りです〜

日本では知られていないけれど、イギリスにはこうした良いメーカーが、きっと色々あるのでしょう。

アフタヌーンティー発祥のお国柄が偲ばれる小物達です。



かくれんぼ

2021-03-08 01:31:18 | ピピ
ピピは遊びをみつける天才猫です。

ずっと階段を使った「いないいないばあ」(本当は「いにゃいいにゃいば~」)がお気に入りで、必ず毎日やっていたのですが、最近はそれに加えて、「かくれんぼ」も。

ピピの部屋の向かい側に私の個室があり、ベッドは、掃除とベッドメイクをしやすいように、壁から50㎝ほど離して置いてあります。

小さなサイドテーブルはアンティークのもので、下側の隙間はピピがギリギリ通れるくらいのサイズ。

つまり、そこさえクリアすれば、ベッド周りをグルっと一周できる。

ピピは、その隙間にニョロっと忍び込んで隠れたつもりに。

尻尾は見えているのですが、そこは見て見ぬ振りをして

「あれ?!ピピがいないにゃあ~?ピピはどこかにゃ~?ピピちゃん、どこですか~?」

と、普段よりも1オクターブ高い、わざとらしい作り声で捜すフリをする。

この時、少しだけ足音を大き目にするのは私の親心です。

ピピはしばらくじっとしているのですが、この足音と声を聴くと、すぐに、私が進んだ方向とは逆方向にちゃんと飛び出してきて、猛スピードで、まさに脱兎のごとくピョンピョ~ンと真向いの自分の(あ、本当は息子のだった・・)部屋に突入。

この時に必ず、「どうだ!?」というドヤ顔をして、チラっとこちらを振り返るのが、なんとも、可愛いというか、悔しいというか・・

・・本当に、なんて頭がいいんだろう・・

これを3回くらい繰り返す。

そして、昨日から一階の玄関先からリビングにかけても、同じことをやるようになりました。

最初は、本当に姿が見えなくなって、大騒ぎ。
夫と二人で、家中、あちこち真剣に探していたら・・

玄関に置いてあるアンティークのツイストのサイドテーブルの、4つに仕切られたその一番奥に身体を小さくまとめて隠れていました。

それも、ちょっと陶器のタヌキの置きものみたいに気配を消して。






写真を写すために灯りをつけましたが、真っ暗な中だったので、本当にわからなかった。

この時は、こちらの声が真剣だったので、最初は「出るに出られず」といった風情でしたが、その後私がいつもの作り声呼びかけをすると、2階でやるのと同様、一目散にリビングに駆け込んでいきました。もちろん流し目付きで。



猫なのに、あんなにドタドタと音を立てて走って良いのだろうか?

と、猫としての心得を説いてはみるものの、まあ、楽しそうなので、よいことに。


12月初旬にピピが来てくれてから、早3か月が過ぎました。

掃除も頻繁にしないと、すぐに、ピピの長い毛に埃がついて、貧相なモップ猫になってしまうので、やはり毎日の掃除機がけは欠かせない。

おまけに、「・・ああ・・そこは、やめて・・!?」という隅っこに入り込んだりするので、隅々まで手が抜けない。

先日は、ピアノと壁の隙間に入り込めない幅に、一人でアップライトを移動させました。
成せばなる。

洗濯ものにも猫の毛がつくので、取り込む時にはブラシ。

トイレも終わるとすぐにやってきて脚にすり寄ったり、オデコをごつんとぶつけて、「お掃除よろしく~」と教えにくるので、せっせと・・

何度も腰をかがめての作業の日々。

こんなにしゃがんだことは、息子が赤ちゃんの時以来。
あの頃はまだ30代だったからなんとかなったけれど、今は気を付けないとね。

(もちろん、音楽家講座で培った色々な技を駆使しています!)

そしてデイリーエクスサイズの「いにゃいいにゃいばあ」と「かくれんぼ」。

さらには、オプションメニューで「ねずみサッカー」というのもある。

ピピは前脚で華麗なドリブルも披露し、時々咥えて運んできてくれるのですが、ねずみのオモチャを拾いにいくのは、大概は私の役目。

お陰で、運動不足解消となっているこの頃です。


『アウトブレイクからパンデミックへ』 藤井 潤 著

2021-03-06 00:51:01 | 日常
『アウトブレイクからパンデミックへ』藤井潤 著


https://www.amazon.co.jp/dp/B08XPJY63V/ref=mp_s_a_1_1?dchild=1&keywords=%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%B8&qid=1614551647&s=books&sr=1-1


高校の同期で、鳥取大で、muse細胞の研究もしている細菌学者・藤井 潤教授の電子書籍が、発刊されました。

本を書いている、というのは、以前からうかがっていましたが、発刊の運びとなり本当に良かったです。

編集作業も、同じく同期のRちゃん。
彼女が編集者、それも医学系の、とは全く知らなかったのでびっくり。

能ある鷹はなんとやら、の例えもあるけれど、いつも同窓会では楽しそうに穏やかな笑顔でニコニコして、みんなに気配りして、自分のことはそういえば、あんまり話さなかったなあ。

それにしても藤井潤氏、寝食を削っての研究だけでなく、著作まで。

それもこれも、みな、彼の研究に対する情熱と使命感ゆえなのだなあ、と感服です。

表紙の健気に咲く一輪の薔薇の花のイラストはお嬢さんの手によるものだそうです。

電子書籍を購入したことはなく、やり方もよくわからないので、

今度、息子が来た時にやってもらう予定ですが、早く読みたい!

・・スマホといい、電子書籍といい、文明開化の波に翻弄されている日々・・

試し読みも出来るので、良かったら。


「のせる」から「つまむ」に

2021-03-04 01:25:39 | 気付き
右手の話です。

左手親指は、元々が「曲げる派」だったので、今回の「自動音量調整レバー」(勝手に仮のネーミング)を行うのには丁度良かったのですが、問題は右親指。

ずっと伸ばした側面にフルートを載せて吹いていた。

一時、勝手に曲がっていた時期もあったものの、結局はまた伸びて。

今回、「浮き構え」とそれに伴う新たな手の内とその操作による「自動音量調整レバー」を行ってみて愕然としたのは、この親指の状態により、右腕全部、いや、右半身全部がザザザっと変化すること。

のばした親指の時は、いわば縄をかけられたよう、

それが、カクカクと曲げた状態の時は、その縄が解かれて、自由の身に。

特に、腕全体の内側の感覚の差が著しい。

これは、今までに感じたことのないものでした。

・・ざくっと半世紀、縛られ続けていたんだね、私の右腕は・・
はいはい。伸ばして載せるのが「普通」だったからね。

と、なんともやるせない心の声。

この「自動音量調整レバー」は、私の感覚では、カクカク親指にして「浮き構え」をやり続けているような感じ。

即ち、「浮き続ける」ことの出来る技。

とはいえ、最初は苦労しました。

ゆっくりの時はともかく、早いパッセージではまだまだ。

その上、低音の時などはキーを押さえ損なって,鳴らなかったりもして、びっくり。

大概、モデルチェンジする時は、驚くくらいにスルっと新たなものが古いものと入れ替わるのですが、こんなに難儀しているのは、今回が初めてです。

それだけ、右親指の間に合わせが刷り込まれていたのだと思う。半世紀分だもの、しょうがない。

でも、それでも、敢えて練習しない1週間にし、0から右手を工夫することで、ここ2日ばかりで、ようやくメドが立ちました。

「つまめばいいんだ」というのが結論。

それも、例えば、電車の中で、軽くバーに触れる程度の「つまむ」
・・まあ、昨今は電車ではもうどこにも触れないけれど・・

ガシっと握りしめなくても、チョンと触れるだけでも転びにくくなる、といった感じです。

「つまむ」ができるのも、数年前に気付いて実践している

「頭を使う」

という技をやっているからこそ。

頭は頭でも、その中身ではなく、頭の重さを利用。

左腕と頭で楽器を挟むようにし、頭の重さを載せることで、本来アンバランス(右側が重い)なフルートの重心を変化させ、釣り合わせる、という凄い?技。

もう何年も前からこうしていたのに、まだ親指に楽器を載せていたのだなあ・・

今は「つまむ」

それも、フルートの腹?に親指先端を突き刺すような感じの「つまむ」です。

これらのカクカク親指にした後の「自動音量調整レバー」による変化は、多分過去最大。

「水月・浮雲」の評判が、ありがたいことにとても良く、それはもちろん嬉しいけれど、

でも、あのCDの音とは、全く異なる別世界、格違いの音が出た。

自動で音量が調節できる、ということは、実感としての吹き方はみな同じ。

より「生」の実感からは遠ざかる。

もしかしたら、これこそが、師・植村泰一先生が仰っていた

「自分には聴こえないように吹くんだよ」

ではなかろうか?

音量をわずかに上げるレバーを操作すればよいのだから、使う息はより少なくても良い。

ピアニシモの吹き方がそのままフォルティシモにもなる、って?

本当にそうなのだから、魔法みたいです。

家電の省エネ化がどんどん進化しているのだそうですが、そんな感じ。

・・かつては、なんと無駄に息を使ってしまっていたんだろう・・

それにしても、「虎拉ぎ」や「浮き構え」を思いつかれる甲野先生、って・・

本当に、とんでもない方なのだなあ、と改めて感じ入ってしまいます。