『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

四肢の圧

2022-04-14 11:13:06 | 気付き
これも昔から、多くの甲野先生の門人の方々が仰ってきたことなのですが、ようやく自身の実感として繋がってきた。

「四肢の圧を揃える」

これも「骨の先端」に気付いたからこそなのですが・・

思うに、二足歩行というのは、歩くことを下半身だけに委ねてしまって、前脚はぶらぶらさせるだけが癖になっている。
だからこそ、その自由になった前脚で様々なことが出来るのではあるけれど・・

四足歩行の場合は、むしろ前脚が動きの起点となる。
コモドドラゴンみたいに。

ともするとリラックスという名の下に放置されがちな前脚の取り扱い方をきちんとしてやるだけで、身体全体がザザっと変わるのを実感。

そして、それは「指」のレベルでも同じ。

これまた昨日のレッスンの中で、解説しつつ、自分でも聞き入っていた、という気付き。
最近こういうことが多い・・

中音ラから高音ラへのオクターブの跳躍が上手くいかない生徒さんに、

「指のテンションを揃えてみてください。中音ラは鳴らしやすい音でもあるので、安心しきってキィを押さえていない指がダランとしていませんか?使っていない指も、その骨の先端のことを思い浮かべて意識してみてください。エアタッチというか・・そうですね。熟した柿に指を突っ込むくらいの仕事量でどうでしょう?」

と話ていた。

結果、スルルと出来るようになり二人でびっくり。

私も以前よりも、これでさらに跳躍がラクになり、特に高音域で以前は「ヨイショ」と一種の間に合わせをしなければならなかったのが、何もせずとも可能に。
バッハのチェロ組曲第6番、プレリュードの後半で出で来るアルペジオがより自然になりました。


指をさぼらせないのは、コモドドラゴンの手の内を作る時も同様で、こちらは熟したバナナを潰すような感じ。





余談ですが・・

熟した柿が何故浮かんだかというと、スカラ座での話を思い出したから。

不出来だった歌手にはブーと共に熟した柿が投げつけられると聞いたことがあるので。真偽の程は定かではないけれど。

ドイツでもKAKIと書かれて売られていた。
熟したものに、ラム酒をかけてスプーンですくっていただくと最高。
途中、味変でアイスを加えて。生クリームも嬉しい味に。

ラム酒は、地名は忘れたけれど、その地でしか買えないものがあって、そのラムを買いにいったついでにスキーもやっていた。

「もうラムがなくなりそうだから、そろそろ行きませんか?」

と誘い合ってスキーに行っていた。

ミュンヘンからバスで気軽に行ける村。

本当に最高のラム酒だったのに、こじんまりとした良い感じのスキー場だったのに、全く名前が出てこない・・


末端を使うということ

2022-04-13 01:22:29 | 気付き
縁あって、若い世代のフルート奏者をレッスンすることとなりました。

私同様、様々な従来の方法に疑問、違和感を感じながら、悩んできた、という。

とはいえ、演奏の現場では、それなりに間に合わせていかねばならず・・

ある意味、それまで培ってきたことを否定し場合によっては、真逆の提案をせねばならず、もちろん、そのためにお越しになるのだけれど、やはり責任は重大、ということで、色々考えた。

「この奏法を会得するための一番の秘訣は・・『わかったつもりにならない』ということです。」

これは、甲野先生とのご縁が出来、様々な講習会に参加していたころ、兄弟子、中島章夫さんから仰っていただいた言葉そのままだ。

古武術奏法では、従来のメソードとは全く異なる経験することになる。

なのに、それをわかったつもりになると、それは、その時点の自分のレベルでの理解に全て落とし込んでしまうことになる。

この言葉の重さが、改めて、言っている自分自身にも突き刺さる。
「今のところは、こういう理解だけれど、まだ奥があるのだろう」という構えのみが、次への進展に繋がる。

それがなければ、いつまでも同じ場所にとどまることになる・・・

実に大切なことをお教えいただいていたのだなあ、と遅ればせながら、改めて中島さんに感謝です。

さらには、昨日のリモート雑談での成果も。
「~する」はだめで、「結果として~となる」状態に身体を取り扱う、という原理も。

「しっかりお腹で支える」はだめで、「結果としてお腹で支えられているようになる」が〇。

「しっかり~する」は「しっかり」の段階で、かなりの実感と力みを生じてしまっているけれど、これで使われるのは、大概が表面近くの筋肉なのではないかと思う。
効率が悪すぎる。

その上、表面ばかり使うことに慣れてしまうと、それが鎧のようになってしまい、より内側の筋肉へのアプローチは困難になるのではなかろうか?とも思う。
繋がりの為の経路が、そこで分断されてしまうのだ。
私の苦手な身体が痛くなるような音は、楽器、ジャンルの種類を問わず、こうした奏者から出されていることが多い。

「実感のある動きは全て間違い」

というのは、かの韓氏意拳の教えだけれど、甲野先生も昔から同様のことを仰っていた。

そんな話も交えつつ、立ち方、持ち方、構え方、足の位置、楽器のセッティング、アンブシュア、顎、そしてコモドドラゴンによる肩と横隔膜、喉の開きの変化。

とにかく今回は方向性というか、今、私がやっている「身体」レベルの話を一通りお伝えした。

センスの良い方で、その場でシュルっと変化されるので、こちらも面白かった。

「きっと身体が、このやり方を気に入っているのでしょうね。」
「気に入っています!」

とのことで、良かった。

ご自身のレッスンの中でも生徒さんにも伝えるとのことで、こうして草の根的ではあるけれど、次世代に受け継いでいっていただけることに感謝です。

レッスンで気付きを得ることは多いのだけれど、今回は駆け足とはいえ、ある意味、総まとめ的なものになったので、より、自身の振り返りと反省にも繋がり、多くの気付きをいただけた。

「指先」に関して御教えしている時、勝手に他の誰かがしゃべっているように、解説している自分が居て驚いた。

話すと同時に、そうだったのか!?と感心しながら聞いている自分も居て。
これは、よく音楽家講座で甲野先生が仰っているのだけれど、まさに、そんな感じ。

「指の腹だと、その先は死んでしまって繋がりません。指先というのはもっと先です。末端を使うことで初めて、身体は繋がるのです。で、その末端は何処か・・?それは骨の先端ではないか・と思うんですよね。」

・・今まで、そんなことは思ったことがなかったのだけれど、こうして口にすると、そうだよね!?と思える。不思議な経験でした。

手指、足指の末端、骨の先端を使う。
肉と皮膚に覆われていて触れることはできないけれど、その中に埋まっている骨の先端を意識する。

今までも、「指先から」ということは意識していたけれど、まだまだそのエリアが広かった。これを「骨の先端」と捉えることで、よりピンポイントに。
もちろん、身体の動きは道具の制約を受けるので、例えば、早いパッセージなどの時には難しいかもしれないけれど、このあたりをよりシビアに稽古したらいいかも・・?

さらには、「笛をより下にあてる」の説明をしていて、「そりゃそうだよな」と改めて納得している自分が居る。その結果、もっと下にあてられるのではないか??と思いつく。


とレッスン終了後、早速取り掛かってみました。
びっくりするくらいの変化が。

前回の本番で感じた物足りなさが埋まっていく。
高音域も、より無理なく出るようになったので、ずっと「漬物」にしていたバッハのチェロ組曲第6番に取り掛かる。

以前は、オクターブ下げないと落ち着きのない演奏になっていたのが、そうでもない。
そのまま高音域で演奏できる箇所がかなり増えました。
演奏実感はさらに減り、吹いている気がしないのに、音圧は増している。
あまりに面白くて、楽しくて、6番(まだ譜読み状態ですが)の後、先日吹いた4番、2番、3番、1番、と吹いて、さあ次は5番だ・・・

とやっていたら、フルートを吹き始めるといつも3階に避難するピピがやってきて、吹いている私の足元でスリスリ。

「もうやめてくれ~」

という顔をして見上げるではないですか。
ピピの直訴には抗えるはずもなく致し方なく、本日はここまでに。

初代ロットの写真がなかったことに気付いて撮影。





交流

2022-04-11 21:21:48 | 日常
土、日、月、は色々な方々との交流が続きました。

もちろん、みな、感染対策万全の中ではありますが、以前よりは日常に少し戻れた心地。

やはり人との交流はエネルギーになるということをヒシと感じています。
というか、「生きてる」という気がしてくる。

・・・・・・・・・

土曜日は、2年ぶりのリアル幹事会。

7月の東京玉翠会総会、今年こそはリアル開催!?と平成9年卒の幹事の皆様も張り切って企画してくださっていたのですが、ここにきて、やはり、まだリスクが高いということになり、結局は今年も昨年同様のリモート開催となりました。

残念ではありますが、これはこれで、地方や海外からも参加できるメリットもあるので、楽しい。

今回の幹事会は、リアルとZoomの併用での開催となりました。

こんなことも出来る世の中になっているのね・・

既に3回目の接種を終えられた70代、80代の先輩も数名リアル参加されていて、
お会い出来、嬉しかったです。

同期の健さんから泣きつかれて、うっかり幹事を引き受けてしまったのが20年前。

最初は戸惑いましたが、そのお陰で、同期だけでなく、多くの先輩、後輩の皆様と交流出来たのは、ありがたいことです。

幹事学年毎の個性があるのも、毎回面白い。

昨年は、なかなか歌舞いているね、というとんがった感じで、面白かった。
リモート開催という初めての企画を立ち上げたのだから、その功績はとても大きいし、大変なことだったと思う。

そして、今年は、ほっこりする感じ。
「お約束」の先輩方からの突っ込みも笑顔でかわしつつの和やかな会となりました。
やっぱり、リアルはええなあ、とみんなでうなずき合う。



・・・・・

日曜日は、演奏表現学会で知り合ったチェロ奏者・作曲家の北條立記さんのコンサート。

古典と現代~音楽とは歴史との団欒である~ 
4月10日(被16時30分開演
シンフォニーサロン201号室


チェロ組曲に現代舞踏がコラボしていたり、バッハ、近藤浩平、北條立記、モートン・フェルドマン、フェデリコ・モンポウなどがチェロ(北條立記)、ピアノ(杉浦奈々子)で演奏されました。

バッハのチェロ組曲第二番は現代舞踏とのコラボ。
かつてヨーヨーマがこうしたことをやったそう。

こうした試みを聴き観るのは初めてのことで、最初は??でしたが、実際に始まってみると思いの他、スっと入ってきて驚いた。

ゾンビみたいな白塗りメイクの踊り手(細田麻央)は異界からやってきた依代で、だからこそ、奏者もバッハの神託をより聴くことが出来るのではないか?などなど、色々と考えさせられた。

・・って、私もかつて、イサン・ユンのソリで、甲野善紀先生の剣舞とコラボさせていただいてたじゃないか?!・・と今思い出す。

その時が、まさにそういう感じだった。
そこに「我ならざる我の発動」の萌芽があったのかもしれません。

この日は、ピアノの杉浦奈々子さんによるBWV998が特に素晴らしく感銘を受けました。あの狭い空間で、グランドピアノというのは奏者によっては、とても辛い思いをすることもあるのだけれど、どんなに大きな音量でも、深く身体に染みてくる心地よさ。
様々なタッチ、繊細なペダリングで、紡ぎ出される響きを堪能しました。

色々とシャッフルされ刺激を受けたコンサートでした。




・・・・・

本日、月曜日はリモートで雑談会。

S教授と、そのご友人のN教授。

御二人は東大で同期だったそう。

「東大出身の大学教授御二人とリモート会議なの」とちょっと偉そうに夫に言ったら、

「真理は、まあラットというかモルモットというか、研究対象だよね・・」

 と鋭い指摘。

実際、お話の中で、「表面ではなく、より深い深層部にある筋肉の動きも「細い針」を刺して計測することが可能なんですよ~」

みたいな話も出て、「それは嫌です・・」
ラットというのも、当たらずとも遠からずだったか・・

でも、足裏にかかる圧の変化とか、計測してわかることは色々とありそうです。

今回、私から事前に提案した、お題は

【「ゾーンに入る」を科学する】

先日のコンサートで、生まれて初めて、それに近いことを経験したので、それを今後も発動していくためには、どうしていけばよいか、ということを可能なかぎり調べてみたかったし、一流の研究者である御二人の意見を聞きたかったのでした。

「我ならざる我」の発動。そしてゆくゆくは「something great」の発動へ。


N先生は、趣味でチェロやチェンバロなどをたしなまれていて、その発表会で2回も過去に「ゾーンに入る」を経験されていました。その時の様子をうかがうと、もう「まさにそれです!」というくらい、全てが一致していました。

やはり、あれは、そうであったか、と。

結論というのではありませんが、いくつかのソーンに入るための必要十分条件というのをS先生、N先生がまとめていかれる様が見事でした。

そして、とても参考になりました。

いつか、研究の成果となる日が待ち遠しいです。

ゾーンに入る大きな要因となった、コンサート本番の10日?くらい前に気付いて、その恩恵が大きかったプチ発見、
「コモドドラゴン」を披露したところ、「本当に、かなり肩が下がりますね」と驚かれました。

すかさず、S先生が

「手の内ですね!」

なるほど、そう言われてみれば、真似する時の微妙な動きは確かに「手の内」。


御二人とも、早速夫々の楽器(S先生はヴァイオリンとピアノ)で試みてみるとのこと、結果が楽しみです。

本日の成果の一部ですが、

「締まる」はよくて「締める」はだめ、というのも、とてもよくわかる言い方。

これは、お腹の使い方にも通じる良い言い方だと思います。

「腹に力がこもる」はよくて「腹に力をこめる」はだめ。

実りの多い雑談会となりました。

ピピ辞典

2022-04-05 00:02:24 | ピピ
ピピの写真が溜まったので整理を兼ねて・・

【あざと可愛い】




【頭隠して尻隠さず】



【寛ぐ】



【姿勢を正す】



【凄む】



【遠吠え】




【ドヤ顔】



【睨みを利かせる】




【睥睨する】





【八つ当たり】



洒水の滝

2022-04-02 23:50:03 | 旅行
コンサートの翌日は、いつも通りにお掃除をして、その後はリモートによるレッスン。

若い頃の方が、いや、前回、2年前までの方が、もっと疲れが出ていたと思います。

加齢に伴う衰えはきっとあるのだろうけれど、幸いなことに、それを感じない、どころか、より疲れなくなっている、というのはちょっと不思議で気味悪いくらいです。

それもこれも、やはり身体と心の使い方ひとつで変わるというのだから面白い。

翌々日は、夫とドライブで、南足柄の弟夫妻の家に遊びに。

今回は曇りで全く富士山が見えず残念。

はやぶさロスで休職し、すぐにジロを飼い始めた弟。

しばらくは、頼まれれば川口先生達と共に講演したり、東大の院で教えたりもしていたけれど、それらも全て辞めて完全リタイア。

それを機会にジロの為に、より自然の豊かなところに、ということで、横浜からこちらに越してもう5年くらいか?

丹沢の山々が目の前に迫り、ビルなどもないので、空が広い。
この山が近くに見える、というのが子供の頃暮らしていた高松の木太町の景色に似ていると弟が言っていて、驚いた。

言われてみれば確かにそうかも。

でも、弟が高松で過したのは小学校6年生まで。
父が急逝して、その後一年、私の高校卒業を待ってすぐに、母方の祖父の居る西鎌倉に転居したのだから、むしろ、弟はこちらで過した時間の方が長い。

短い時間であっても、両親の元で過ごした高松での子供時代が、弟には一番の想い出だったのか?と驚かされた。

私がそうでない、という訳ではないけれど、あまり過去は振り返らない性質なので・・
今居る場所が一番好きな場所、と自然に思えるのは、現実派だから?

姉弟であっても、男女差というか、個々の性格の違いなのだなあ、としみじみ。


そのジロももう12歳。すっかりおじいさん犬に。
でも、色艶もよく、中々若々しい。





その後は、夫と一緒に、近くにある洒水の滝に。

「しゃすいの滝」。

よく見ると漢字も酒ではなく、一本横棒が足りない字。

密教からの由来であるとか、蛇水から、とか諸説あり。

前回、滝行の長谷川智先生のことを思い出したことから、確かこのあたりだったか?と初めて行ってみました。



岩が落ちてくる恐れがあるとのことで、もう滝つぼの方には入ることが出来ず、入口付近だけではありますが、シンとした独自の空気が流れていてました。

ここは行場として、滝行にご縁のある方々には、とても有名な場所。
甲野先生からもお教えいただいたことがある。
私は、そういった霊性的なこととは無縁だけれど、色々とある場所なのだろうな、と思います。

一度だけ、甲野先生の奥多摩合宿の帰途、偶然出会った滝行をやっているお坊さんに誘われて、私も洋服のまま、滝行をやったことがあるのだけれど、まだ40代半ばで若かったし、夏だった。

通りすがりのいわばプチ体験コース?ではあったけれど、ちゃんと塩でお清めし、お神酒を上げて、お経を唱えてくださって、お作法通りに、失礼のないように取り計らってくださったのでした。

今でも、何故、そんな経緯になったのか、不思議といえば、不思議。

後から調べると、どうやら、「滝行体験」を有料でやっているお寺のイベントの一環だったらしいけれど、そのついでに、何か変なのが紛れ込んできた、という感じだったのだろうか。・・無料だった・・と今気付く。感謝です。

小さなチョロチョロとした滝だったけれど、それでも、滝から落ちて来る水は冷たく、勢いがあり身体に突き刺さる様だった。
それがしばらくすると、なんともいえない多幸感と有難いという感謝の気持ちが生じてきた。出た後は身体もポカポかしていて、爽やかな心地。
しばらく歩いて風で乾かし、その後近くの温泉に入って着替えて帰宅したのでした。

貴重な経験をさせていただいたけれど、夏でもあんなに冷たかったのに、冬に大きな滝に打たれるというのは、本当に覚悟と信念がなくては出来ないことだろうな、とかつてこの洒水の滝で修行された様々な方々のことを思いました。

ついでに思い出したのは・・・

この後、ちょっと感化されて自己流の「水行」をやっていたことがある。
一か月くらいでやめてしまいましたが。
お風呂の最後に、ひたすら水を浴びるというだけのもので、これもなんとなくではあるけれど、心身がシャキっとしてそれなりの効用はあったと思う。
シャワーだと雰囲気が出ないので、オケに水をためて、ジャバーっと勢いよく。

何故、一か月で止めてしまったか、というと・・・10月になるとやはり寒くって、というのと、水道料金を調べる係の方から「急に使用料が増えていますが、何か理由がございましたか?なければ、水漏れの可能性もあるのでお調べしますが?」と言われてしまったから。

「あ、・・・・大丈夫です!」とまさか、水浴びしてた、とは言えず、その後は水行も終しまいに。