沖縄ジャズ界の長老(重鎮ってのとは違う感じがする)屋良文雄さんが、2010年4月8日10時頃、お亡くなりになられた。本日告別式に行く。
会場には、数々の思い出の写真が飾られ、ジャズが流れていた。そのジャズの音色はレコードではなく、生演奏だった。祭壇の左側にバンドが陣取り、演奏していたのだった。お葬式の最初は沖縄ジャズ協会のビッグバンドジャズ演奏だったそうだ。遺影を飾る花も、音符をあしらったデザインで飾られ、まさに音楽葬という感じだった。
会場には多くの音楽関係者が詰めかけていた。受け付けてくれたのは、上原さんの奥さんだった。列に並ぶと私の前は与世山澄子さんだった。いつもなら声をかけると「あらあらこんにちわ」と笑顔で応えてくれるのだが、さすがに神妙な表情だった。返礼を渡す係は満寿代さんだった。帰ろうとすると、川満まことさんがふらふらと近寄ってきた。力なく「さみしくなる」とただ繰り返していた。
去年の後半あたりから、沖縄の各界の戦後を担ってきたアーティストが次々と唐旅へと旅立っている。全国的にも、昭和を代表する作家、ミュージシャン、演劇人、いろんな人が亡くなっている。時代の転換点に在ると言うことをひしひしと感じる。
ということは、自分もまた折り返し地点くらいに達しているという事に違いなかろう。