ぴらつか音楽祭が終わって、慌ただしく箆柄暦『九月の沖縄』を作成。続いて、あれこれと作業をこなしているうちに、気がつくと9月も中盤に差し鰍ゥっている。少しづつ、元のペースを取り戻さなければと、ゆるゆるとブログを再起動する。
しかし気がつけば、ブログという表現形態もすっかり過去のものとなり、特に東日本大震災以降はアクセスも激減している。けれども、記録しておくということについては、まだこれよりわかりやすい形は無いというか、これより簡略化してしまうと違うものになってしまうような気がして、しばらく活動記録的に、あるいは書くことの試みとして、使っていこうと思う。
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さて、昨日と今日は、新良幸人×サトウユウ子『浄夜』発売に向けて、これまでにないくらい、じっくりとインタビューさせていただいた。特に二日目は飲みながらの長丁場となった。すごくいいお話を聞くことができた。
このアルバムは、本当に素晴らしい仕上がりになっていると思う。かつて様々な形で、沖縄音楽と洋楽器の融合が試みられてきたが、その最高峰にあると言って良いと思う。
これまでの作品が、唄三線をそのままに、洋楽器が包みこむようなアレンジだったと思う。洋楽器の側の、民謡への理解度によって、それはだんだんと高度な形を取るようになってきた。完成度は、洋楽器側の理解度で違いが出ているという感じがしていた。
しかしこの作品は全く違う。唄三弦の新良幸人は、ソロから始まり、様々な編成を体験する中で、洋楽器とのアプローチをさんざん試みてきたミュージシャンだ。サトウユウ子は民謡を一度体に取り込み、自分の楽器が三線ではなかったというだけのようなレベルで、ピアノという楽器で音を形にできる、それは“アレンジする”というレベルではなく。
この二人が一緒に音を出した時、お互いの音が濃密に絡み合い、スリリング極まりない音の世界を生み出している。そこには、どちらかがどちらか一方を理解しようとか、取り入れようとか、あるいは極度に畏敬の念を抱いたりといった関係性はなく、二人のミュージシャンが、シンプルに、音を重ねあう姿がただあるのみ。あまつさえ、何曲かで新良幸人は三弦を置き、唄だけでサトウのピアノと向き合っている。
ここまで来ると、もはや八重山民謡、沖縄民謡とか、三線の音があるかどうかにほとんど意味はない。新良幸人は自らの音楽の核の部分まで音をそぎ落とし、それでも三弦の音が聞こえてくるような演奏を見せる。サトウユウ子は、囃しの名手のようにピアノで歌い返してゆく。二人のミュージシャンの真摯な演奏からは、音楽的な気高さまでも伝わってくる。
しかし、この作品の真中には、二人のアーティストが愛してやまない、そして二人を結びつける磁場となった、沖縄の音楽があることも確かなのだ。
どうか全ての音楽ファンに聞いて欲しい。沖縄への興味とはかかわりなく幅広いジャンルの音楽ファンの琴線に届く普遍的な作品だと思う。もちろん沖縄音楽が好きだという人には特にこのアルバムを聞いてみて欲しい。このアルバムをどう感じたかで、自分が沖縄の音楽の何処に引かれていたのかを、再発見することになるだろう。
ま、書きかけだけど、これくらい良かったと思っている次第です。
それと、よく眠れること請け合いです。なにせ、子守唄三連発から始まりますから。
『浄夜』新良幸人×サトウユウ子
1. あがろうざ
2. 月ぬ美しゃ(つくぬかいしゃ)
3. ファムレウタ
4. あの夏の日
5. 満天の星
6. 西武門節(にしんじょうぶし)
7. 浜千鳥
8. 安里屋節(あさどやぶし)
9. 赤ゆらの花
10. 浄夜(じょうや)
11. 明空(AKISURA)~ハジマリノウタ
2011/10/12発売
タクミノート B005CLS1K8
しかし気がつけば、ブログという表現形態もすっかり過去のものとなり、特に東日本大震災以降はアクセスも激減している。けれども、記録しておくということについては、まだこれよりわかりやすい形は無いというか、これより簡略化してしまうと違うものになってしまうような気がして、しばらく活動記録的に、あるいは書くことの試みとして、使っていこうと思う。
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さて、昨日と今日は、新良幸人×サトウユウ子『浄夜』発売に向けて、これまでにないくらい、じっくりとインタビューさせていただいた。特に二日目は飲みながらの長丁場となった。すごくいいお話を聞くことができた。
このアルバムは、本当に素晴らしい仕上がりになっていると思う。かつて様々な形で、沖縄音楽と洋楽器の融合が試みられてきたが、その最高峰にあると言って良いと思う。
これまでの作品が、唄三線をそのままに、洋楽器が包みこむようなアレンジだったと思う。洋楽器の側の、民謡への理解度によって、それはだんだんと高度な形を取るようになってきた。完成度は、洋楽器側の理解度で違いが出ているという感じがしていた。
しかしこの作品は全く違う。唄三弦の新良幸人は、ソロから始まり、様々な編成を体験する中で、洋楽器とのアプローチをさんざん試みてきたミュージシャンだ。サトウユウ子は民謡を一度体に取り込み、自分の楽器が三線ではなかったというだけのようなレベルで、ピアノという楽器で音を形にできる、それは“アレンジする”というレベルではなく。
この二人が一緒に音を出した時、お互いの音が濃密に絡み合い、スリリング極まりない音の世界を生み出している。そこには、どちらかがどちらか一方を理解しようとか、取り入れようとか、あるいは極度に畏敬の念を抱いたりといった関係性はなく、二人のミュージシャンが、シンプルに、音を重ねあう姿がただあるのみ。あまつさえ、何曲かで新良幸人は三弦を置き、唄だけでサトウのピアノと向き合っている。
ここまで来ると、もはや八重山民謡、沖縄民謡とか、三線の音があるかどうかにほとんど意味はない。新良幸人は自らの音楽の核の部分まで音をそぎ落とし、それでも三弦の音が聞こえてくるような演奏を見せる。サトウユウ子は、囃しの名手のようにピアノで歌い返してゆく。二人のミュージシャンの真摯な演奏からは、音楽的な気高さまでも伝わってくる。
しかし、この作品の真中には、二人のアーティストが愛してやまない、そして二人を結びつける磁場となった、沖縄の音楽があることも確かなのだ。
どうか全ての音楽ファンに聞いて欲しい。沖縄への興味とはかかわりなく幅広いジャンルの音楽ファンの琴線に届く普遍的な作品だと思う。もちろん沖縄音楽が好きだという人には特にこのアルバムを聞いてみて欲しい。このアルバムをどう感じたかで、自分が沖縄の音楽の何処に引かれていたのかを、再発見することになるだろう。
ま、書きかけだけど、これくらい良かったと思っている次第です。
それと、よく眠れること請け合いです。なにせ、子守唄三連発から始まりますから。
『浄夜』新良幸人×サトウユウ子
1. あがろうざ
2. 月ぬ美しゃ(つくぬかいしゃ)
3. ファムレウタ
4. あの夏の日
5. 満天の星
6. 西武門節(にしんじょうぶし)
7. 浜千鳥
8. 安里屋節(あさどやぶし)
9. 赤ゆらの花
10. 浄夜(じょうや)
11. 明空(AKISURA)~ハジマリノウタ
2011/10/12発売
タクミノート B005CLS1K8
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2011年10月12日発売
2011年10月12日発売