グレゴリオ聖歌集
これ Adagioかな?
って思ったけど 僕がAdagioと決めた
若い頃
グレゴリオ聖歌によく救われた
辛い時 悲しい時 やるせない時 ・・・・
いつもこれを聴くと
こころがやすらいだ
若い頃の僕は
ひとりよがりの変わり者で
他の人と違う価値観を持っていた
だから
いつも 心の世界では孤独だった
そのときに
この聖歌は そばにいてくれた
感受性が強く
柔らかなこころが傷ついていたとき
この聖歌は
僕を優しく包んでくれた
結婚して子供が出来てから
あまりというか
ほとんど聴かなくなった
それは 家庭が
僕をやさしく包み込んでくれたからだと思う
最近
久しぶりに聴いてみた
やはり こころが安らぐ ・・・・
土曜日の静かな夜 ・・・・
少しばかり リズムのある曲に疲れて
グレゴリア聖歌を想い出した
うっすらと
闇の向こうにみえるもの ・・・・
きっと それが真実なんだろう
でも もう少し
この世なる雑音と戯れていたいような
気持ちもある
Veni Creator Spiritus
チャイコフスキー
弦楽四重奏曲 第1番 第2楽章 アンダンテ・カンタービレ
生き方の基本は 自助努力
死別して ひとりになっても
人に甘えずに 自分で道を切り拓いていく
でも
たまに 凹んでしまって
どうにもならない時がある
仕事も
50歳の男に求められるものは
半端ではないし
それをこなしながら
家事をやっている
さらに
障害を持つ娘のめんどうみ
これも 半端ではない
身体と知的の両方の障害を持っているから
気を遣ってないと
後から 大変なことになる時がある
それと
これからの人生のことを考えると
あまり大きく拓けることはない
それで
たまに疲れ果てて
凹んでしまう
そんな時は
自己憐憫にどっぷりと はまり込む
女性の胸に顔を埋めて
頭など撫でられて
甘えてみたいと思うけど
なかなか そうはいかない
そんな時に
この曲を聴いて 自分を慰める
何故か
女性に頭を優しく撫でてもらっている感じになる
この優しさとチャイコの男色とは
関係があるのかな~
なんて
アホなことをちょっぴり考えた僕でした
Andante Cantabile
チャイコフスキー 交響曲 第6番 悲愴
初めて聞いた Adagio
若い頃
父に 「これ聴いてみろ」 と言われて聴いてみた
きれいで美しかった・・・・・・・・
第1楽章
Adagioからはじまる
中間部の Andante の甘美で美しいこと・・・・・
生活の苦しみ 悲しみを
優しく癒してくれる Andante
そして
激しく後半部に移っていく
最後は消えていくような Andante
僕が
クラシックに目覚めた曲
チャイコフスキーの音を一言で言えば
「 大地に生活している人々の喜怒哀楽を優しく詠いあげた音 」
だと思っている
彼のメロディーは優しく美しい
そして
劇的でもある
第2楽章の明るさも好きだ
Symphony no. 6 "Pathétique" (1/5)
Symphony no. 6 "Pathétique" (2/5)
マーラー 交響曲5番 第4楽章
天上の 高きところから
ひとすじの黄金の光が 降りてくる
光は 愛のまたの名
いのちは 愛のまたの名
言葉は 愛のまたの名
やさしさは 愛のまたの名
とうめいな
このやすらぎの音 ・・・・
このAdagioを聴くものは
やさしさ と やすらぎのなか
生まれてくる前の
懐かしい あたたかい世界に
もどっていく
いと 高き天上から
地にある人々へ贈られた
愛という名の Adagio
5th Symphony 4. Adagietto
マーラー 交響曲6番 第3楽章
innocent Eve
君が生まれてきたのは
神の美しさを表現するため
君が生まれてきたのは
神の優しさを表現するため
人々が
苦しみの中にいても
試練の中にいても
悲しみの中にいても
君は あたたかい光を与えてくれる
君は 安らぎを与えてくれる
人々がよろこぶ時
君は
そのよろこびを
更に大きなものにしてくれる
君が 男の肋骨からでき
男を慰めるために生まれてきたなんて
そんな神話は
僕は信じない
ましてや 原罪など
僕の信念で
人類の記憶から無くしてやろう
僕たちは 初めから存在し
共に生きてきた
僕は 智慧と勇気
君は 美しさと優しさ
それが
この地球の光
僕は これからも君を見続けて
永遠に君を愛していく
僕と君が愛し合うことが
人類の恋愛の原型になり
愛が地球に生まれた日になるんだ
僕は、このAdagioに 「恋愛の原型」 をみる。
この曲を聴くと、はるか昔のはじめのとき
「永遠の女性」と愛しあった記憶が甦る。
神が与えて下さった、恋愛という感情を受け取り
純粋に愛し合ったはじめの時
それは、
お互いに生かしあい
愛を与えあった美しい時だった
そして、何度も生まれ変わり
この美しさの中を生きてきた
それは
僕の永遠の生命の美しい記憶 ・・・・
ガブリエル・フォーレ レクイエム Pie Jesu
「 いつくしみ深き主イエズスよ
彼らに安息を与え給え
絶えざる安息を彼らに与え給え 」
何回もソプラノでこの歌詞が歌われる
そのメロディーの美しいこと・・・・
どうしょうもない
苦しみ悲しみが次々と襲ってくる
しかし
自分の力ではどうにもならない時がある
その時
苦しみ悲しみを受け入れて
その中で生きていくしかないことを悟る
このぎりぎりの悲しみの中で
はじめて切実に祈りをささげる
もう 祈ることしか出来なくなったとき
信仰が始まる
真剣にイエスの名を呼び
ただ 安息を願う
この切実さが この歌にはある
切実さから生まれてくる美しさ・・・・
このメロディーを聴くと
鎌倉・室町時代の阿弥陀仏信仰を思い出す
「南無阿弥陀仏」とメロディーをつけて唱えるのだか
そのメロディーがこの歌と似ていると思う
無常という言葉を連想させるメロディーを感じる・・・・
Pie Jesu