みなと祭りの花火がベランダから見える
あの 梅干しを干しているベランダなのだが ・・・・
花火が上がったので 撮ってみた
実は 花火を撮ったことがない
誰でも 最初は初めてなのだ
と 自分に言い聞かせて
シャッタースピードを短くするために
ISOを大きめにして
途中から 絞りも開放気味にして撮ってみた
ブレた
決戦の日
パワーを増すために指輪などしてみる
が ・・・・
なんかしっくりこないし 指輪が重い
自分の魂の色に近い
紫の水晶の腕輪をしようと思ったが
しなくてもいいかぁ~
と 思い直した
なにもつけずに 空手(くうしゅ) にて立つ
それが 自分の戦い方だと気がついた
空手来 空手去
この世に何一つとして自分の物はない
全て 仏のものだ
そして 自分に必要なもの すべてが
仏より 与えられている
自分に必要な修行もだ
それを信じて進むしかないか ・・・・
感謝 合掌 ですな
人を恨まず 人を妬まず
人のせいにせず
すべては自分の責任として全うして
許す愛をもって 突き進め
と 自分に言い聞かせてみる ・・・・
独立する精神の軌跡 ・・・・
どこかで聞いたことのある言葉だ
蓮の花を撮っているせいか
仏教的思想とか哲学的なことを考え
書きたくなってしまう
まぁ 読みたくない人は飛ばして
蓮の花だけでも見てください
日曜日の のんびりした朝
YouTube で イエスを聴いていた
最初は ビル・ブラッフォード かっこいいなぁ とか
リック・ウェイクマン すげえなぁ
とか思って聴いていたが
And You And I を聴いているとき
当時 高校生だったが 歌詞に哲学的なものを見出して
いろいろと哲学らしいことを思考していたことを思い出した
私は懸命に聞いたけど観えなかった
人生の速度は 自分の外と中で変わっていく
伝道師は 修行して自分の名前を失くした
教師は 旅をしても同じようなものを見ていた
最後には 私たちは理解して 受け入れ 不滅にするだろう
その真実が 彼の人生観の中で成熟していく
そして すべてはあなたとの生活の中で できあがっていく
高校生当時の訳は かすかに覚えているが 大半は忘れた
暇な日曜の午前にまかせて
面倒だが 少し哲学的に訳してみた
このようなものに 惹かれて熱をあげ
「 放浪する魂はいずこへ 」
なんてアホなことを言っていたことを思い出し
少し恥ずかしくもあり 懐かしくもありだ
ふと あれからどんな道をたどって
自分の思想
・・・・というと大げさだが でも少しためらって使ってしまおう
あれから どんな道をたどって
自分の思想は歩んできたのだろうか ?
今 自分はどこにいるのだろうか?
なんて 青いことを思ってもみるが
もう 67歳 老獪になっているので
その辺の こころの中での処理の仕方は心得ている
蓮の花に懐かしさを覚えるのは
その昔 懸命に仏の教えを学んだせいなのか ・・・・
それと
この人生の最後
自分は どのような思想や悟りをもって
死んでいくののだろうか
蓮の花を見て そう思う
う~ん 最後まで 青いのかな ・・・・
そういえば 昨日 歌番組をやっていたので
最近は どんなミュージックがあるのだろう
と 少し見ていた
私 テレビは ほとんど音を出さないでつけている
つけているというのは ほとんど見てない
たまにちらっと情報を入れるために見ているだけなのです
それで 少しボリュームを上げて見てみた
サウンドは きれいというか鮮明になんだけど
なんか 温かみというか そんなものがなくてね
歌は 青くて・・・・ 青臭いという意味です
ついていけない
けど その青臭いのを歌える若さを
少し羨ましく思う
完全に じじいになってしまっている自分を
確認した次第であります
音を上げてミュージックなんぞ
聞かなきゃよかった ・・・・
十二因縁の 有 (う) というものがある
お坊さんや学者さんのように専門的に
仏教思想は学んでないけど
様々なものを見たり感じたりして
認識して生きていくうちに 自分の傾向性が固まっていく
それが 有 の状態なのかなと思っている
自分なりに 簡単に言えば
がんこじじい になってしまった状態が
有 の状態なのかな
ああ 齢(よわい)67にして 有の自分を知る ・・・・
この ひかりの感覚 気に入っている
存在し 有の縁起は 仕方なきものも
あたたかき まなざしは 忘れるなかれ
まあ
何日も前から蓮を撮りたいと思っていた
天候とか予定が入ったりして撮れないでいた
が ・・・・
やっと 撮ってきました
近いところで 鶴舞公園に行ってきました
暑かったけど 撮ってきました