法隆寺 夢殿
けっこうスキなんです
なんかね ここから
異次元空間につながっている気がしてね
でも
ボーっとしているときは
いつも どこかに魂がとんでいるようなもんだから
あまり 言挙げ するようなことではないな
これは 今年の8月10日に撮ったもの
このときくらいから
親鸞が気になってきて
そう 夢殿での夢のお告げなんだけどね
一度 思うことを書いてみようと思っていたけど
まだ 僕の思考のなかにあるんだ
4か月ほど はんすう しながら
想いを深めている
それにしても 親鸞さんは
あまり好きじゃないけどね・・・・
まぁ 今年最後の日だから
少しまとめて 言葉に出してみるか
世間虚仮 唯仏是真 なれど
今 我が身は 虚仮の世界にある
この虚仮の世にて
わが命は展開している
それが すべて
この身は 虚仮であり真でもある
そして わが命の展開は
愛の展開 そのものである
・・・・ ってね
また 異次元空間にぶっ飛んで行っちゃった
罪人
ある日 僕の心の中に声が響いた
「罪とは 真理を解らずに犯す過ちである」 と
それまでは
自分を罪人と呼ぶのは
自分のプライドが許さなかった
人間は神の子で 罪の子ではないと
昔から信じてきたから・・・・
自分を罪人と思うことはできなかった
でも 知らず知らずのうちに罪を犯してきた
真理を解っていない愚か者が ここにいる
自分の仏性を認めて 生きていくのも真理
自分を至らぬ者と認めて 生きていくのも真理
我 至らぬ者なるが故に
愛を信じて生きていく
我 至らぬ者なるが故に
やさしい笑顔と言葉を与えて生きていく
我 至らぬ者なるが故に
自分の歩むべき道を ただ愚直に歩む
この人生は
どのように生きても後悔する
どのように生きても
自分を愚か者と確認する人生となる
どのように生きても
自分を至らぬ者と認識する人生となる
でも その旅は
愛を与える旅に
なっていくのだろうか・・・・
ひかり は外にあると思うでしょう
じつは こころの内にもあるのです
愛しさ とか
やさしさ とか
慈しむ気持ち とか
思いやり とか
そのようなものの奥には
ひかりがあって
こころ の奥からにじみ出てくるものなのです
どんなに ひかりがない時でも
自分の こころの中にある
ひかり を光らせることで
あなたのまわりは 幸せになるのです
それが ひかり の感覚なんですよ
まぁ 兼六園だよね
人が多すぎてね フォトの中に人が入ってくる
しょうがないな・・・・
出発
見飽きた
・・・・ いたるところにわだかまっている幻影
もう沢山だ
・・・・ 昼も夜も 一日中いつでも街の喧騒だ
十分わかっている
・・・・ 人生の節目 ― おお喧騒よ 幻影よ!
新たな情愛と騒音に向けて出発だ!
アルチュール・ランボー 作
相方に金沢に連れて行ってもらった
ひがし茶屋街に行きたいなぁ~
と 思ってね
ぷらぷらと歩いてきましたよ
工芸品が沢山あってね
いいものを いっぱい観てきました
まぁ ベタな ふぉと ばかりだけどね
これを撮っているとき
相方が 「遠近法~」
なんて言っていたのを思い出した
ある理性に
お前の指が太鼓をひと叩きすると
あらゆる音が飛び出し 新しいハーモニーが生じる
お前がひと歩きすると 新兵たちの行進のように勇ましい
お前が頭の向きを変えると 新しい愛が生まれる
お前が頭をもとに戻すと そこにも新しい愛が生まれる
「運命を変えよう 疫病を克服してやり直そう」
子どもたちがそうお前に歌う
「肝心なのは運と意欲さ」
皆はお前にそういう
時が熟せば どこへでも行くさ
アルチュール・ランボー 作