世にある日々

現世(うつしよ)は 愛おしくもあり 疎ましくもあり・・・・

水煙

2014-03-30 | ひとりごと









無防備な時に こころのいちばん柔らかいところを
グサリと突き刺される時 って あるよね

今日は そんな目にあった

まぁ そのグサリと刺されたもの
っていうのは とても恥ずかしくて書けないけどね~

防ぎようもない事故 っていうことで
  さらさら流していくしかないな ・・・・





上のフォトは イオンに買い物に行った時
夕焼けがキレイだなあ~ と思って空を見渡したら
線路の向こうにある大乗寺の水煙が見えた

そして 思わず水煙を撮ってしまいました

水煙 って
人々の向上心とか仏神に対する信仰心が
高くそびえたっているようで
ステキだよね


小さな頃 読んだ本で仏教系の話の本だけど
ある村の人々が夢の中で
南に行けば とても素晴らしい土地があると
白い象からお告げがあった

それで 村の人々は
その土地を目指して旅に出るのだけど
空腹で疲れ果てしまい みんな倒れてしまった

そこに 白い象が崖の上を通りかかった
白い象は その倒れた村人を見て
自分を崖の上から落として 村人に自分の肉を与えた

村人は その肉を食べて元気になり
南の素晴らしい土地にたどり着いた

そして 真っ先に白い象の像を造り
その 白い象をお祭りした


金山と熱田神宮の間に白い象がいた

それが 中学の時から気になっていて
それで通るたびに 白い象を見て
小さな頃 読んだ物語を思い出していた

それが このストゥーパの水煙が写っている
大乗寺なんだ


そんなことが縁なのだろうか
  今は その白い象の近くに住んでいる ・・・・







やばい ・・・・

2014-03-23 | ひとりごと








やばいっ

琵琶かぁ~

う~ん


あっ 拾っているマイクは ソニーのC38 ですな

あいかわらず イイ音してるな



吉野への道

2014-03-22 | かってに万葉




       み吉野の 耳我の嶺に 時なくそ 雪は降りける
       間なくそ 雨は零ける
       その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如
       隈もおちず 思ひつつぞ来し
       その山道を
                                                                25
                                         
                                                                      巻第一



       みよしのの みみがのみねに ときなくそ ゆきはふりける
       まなくそ あめはふりける
       そのゆきの ときなきがごと そのあめの まなきがごと
       くまもおちず おもいつつぞこし
       そのやまみちを


私訳    吉野の耳我の嶺は 
       時しれず 雪が降り
       間なく 雨が降るという
       その雪の 絶え間なく降るように
       その雨の 止まないように
       吉野への道を曲がるごとに
       物思いを続けながら来たものだ
       吉野への山道を・・・・・・・・・




天智天皇が病になられ、弟の大海人皇子 ( おおあまみのみこ 天武天皇 ) を病床に呼ばれた。
天智天皇にお会いするとき、信頼する天智天皇のお付きの者が
「気をつけて、お答えください。」と、ひとこと言う。
そのひとことで、大海人皇子は陰謀があることを知る。

天智天皇は、天皇の位を譲りたいと大海人皇子に言うが
大海人皇子は
「私は病の身で、国政を司ることのできる身体ではない。
 願わくは、皇后に皇位を継ぎ、大友皇子を皇太子として下さい。  
 そして、国の安泰を祈念するために出家させてほしい。」
と願い出て、天皇即位を辞退する。
そして、出家して国の安泰を祈願するため吉野に向かう。

天智天皇の側近のものは、
「虎に翼をつけて、放つのに等しいこと・・・・・」
と言いながら、大海人皇子を見送る。
やがて天智天皇は崩御され、大友皇子が即位されることとなる
その時、吉野で大海人皇子は、大友皇子側が吉野に兵を送ってくる情報を受ける。
大海人皇子はその情報の真偽を確かめると、本当の情報だった。
そこで、大海人皇子は戦いを決意する。

人々の野望のなかで国政を正し、
この国を、神の国たらしめようと決起する気持ち。
でも、それは悲しく辛い戦い。 
国を二分する戦いなどしたくない。 
出来れば、吉野の地で
国の安泰を祈念し続けたかった。
しかし、時は自分に違うことを要請してきた。

何度この道をたどって吉野に来たことだろう。
しかし、晴れた気持ちでこの道を来たことなど一度もなかった・・・・






暗く重い歌
これを 天智・天武・額田王の三角関係で
恋を失った男の哀愁の歌と解釈するには
あまりにも おめでたい解釈だ
といいたい

男は責任のとれる範囲が
その男の大きさだと思う
一国の責任をとれる男は大きな男だ
でも その男の心の中は日々孤独と闘っている

大海人皇子は天皇の位に就かれ
天武天皇となられてから
つぎつぎと政策を実行し仏教の興隆にも努められた

天智天皇が情熱的な人ならば
天武天皇は静の人だったかもしれない
しかし いったん行動する時は知略を持って
大胆に動く人だろう
でなければ
壬申の乱で勝利することができなかったと思う

でも それまでの道程は辛い道程だったのだろう
天智天皇を兄とし 理想を同じくして
ともに大化の改新を断行して戦ってきたきた日々
それが天智天皇の皇子と戦をしなければならない
情勢になってきたときの苦しみと辛さ

この歌を読むとき
そんな大海人皇子の心の声が伝わってくる








遙かなる飛鳥

2014-03-19 | ひとりごと









峠を越えたとき 目の前に大きな湖が拡がる
静かな湖の上を 水鳥が滑るように飛んでいる
聞こえてくるのは 鳥の鳴き声と風の音だけ・・・・

なぜか こんな風景を思い出す
あの頃は 今みたいに琵琶湖の周りは家もなく
水辺の植物が一面に生えていた

そして  僕は来る日も来る日も権力闘争に明け暮れる
この国を守ろうと戦っていた
壬申の乱の頃・・・・・・

飛鳥の思い出
心の中にある懐かしい僕の輪廻転生の一コマ

飛んでいる話から入ってしまったが
こんなことが懐かしく思い出されるのだ
きっと  ほかの人が聞いたら気がおかしいと思うだろう
でも  それを承知で書いてみた





この時代は  この国にとって大きなパラダイムシフトの時代
古代から続いている神道に仏教が入り込んできた時代だった
聖徳太子の冠位十二階の制定  十七条憲法の発布  三経義疏の著作
天武天皇の仏教の振興など画期的に政治制度が変わっていき
仏教がこの国に根付き始めた

以後  奈良時代 平安時代 鎌倉・室町と日本神道の上に
仏教文化が花開いていく

しかし 

この大きなパラダイムシフトの時代は日本の危機の時代でもあった
仏教伝来と共に大陸文化もこの国に入り込んできた
その恩恵を受け この国の文化も進んだものとなった
その恩恵を受けた者同士の権力闘争も激しくなってきた
豪族の中には娘を天皇の后にして政治的権力を手中にするものも出てきた
このような権力闘争の時代でもあった
その中で聖徳太子をはじめとする人々が
この国の徳ある政治を作り上げていった


この飛鳥という時代は
その中で非常に美しい文化を創り上げた
飛鳥仏はその代表的なものだと思う
僕は 法隆寺の夢違い観音が大好きだ
百済観音像 中宮寺の弥勒菩薩像
若い頃  何回も法隆寺に行き
いつも長い時間見とれていた


また  万葉集に載せられている歌人たちも飛鳥人だ
自然を  愛を  かなしみをおおらかに詠んだ歌の数々
しかも  歌を詠んだひとは天皇から名も無き人までいる
それが  この時代の文化がレベルの高い文化であることを示していると思う

特に  天皇の詠まれた美しい歌の背景には
先に書いた権力闘争の中での
この国の責任者としての悩み苦しみがある
このことを前提にして歌を読まなければ
歌の本当の意味はわからないと僕は思っている


飛鳥時代を思うとき
僕はこの国の底力を感じる
必要な異文化を飲み込み
いつの間にか自分の国の文化としてしまう
不思議な力がこの国にはある


僕の心の奥底にある懐かしい思い出
人が人としておおらかに生きてきた時代
この国が偉大なるものに挑戦した時代
そして  僕が情熱をもって駆け抜けた時代
遙かなる飛鳥 ・・・・







椎の葉に盛る

2014-03-16 | かってに万葉











家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 
                                       旅にしあれば 椎の葉に盛る                    142  巻第二


     いえにあれば けにもるいひを くさまくら
              たびにしあれば しひのはにもる



私訳  (椎の葉に盛られたご飯をうつろな目をしてみながら)
        なにやってんだろ  オレ ・・・・・・・・・・・



なにもふざけて訳をしているわけではありませんが
私には  この歌はこれしかないと思うのです

この歌の作者は有馬皇子です
斉明4年  天皇の行幸中  蘇我赤兄(そがのあかえ)が失政をあげて
有馬皇子に謀反を勧めたとき  謀議を終えたところで逮捕されました
そして  この歌は護送中に詠まれた歌です
この後  有馬皇子は処刑されました

この歌を読むと  少し弱々しくさみしさを感じるけど
有馬皇子は正義感が強く純粋な若者だったんじゃないかなと思う
蘇我赤兄の口にのり ついつい自らの理想に走り
口がすぎてしまったのかもしれない
若さからくる正義感 理想を追い求める情熱は
少しばかり 軽率な行動を取ってしまったのだろう

護送されるとき、皇子はどんなことを思っていただろうか?
今まで皇子として育ってきた身の上
そして  自分の自己実現の夢
そんな人生の途上で起きた信じられない出来事

「 まさか  こんなことになるなんて ・・・・
 なんで  こんなことになったんだろ ・・・・
 あのとき  赤兄の口車に乗らなかったら ・・・・ 」

悔やんでも悔やみきれない思いが
心の中に次々と現れて消えていく ・・・・

しかし  ある時
心の中の嵐がピタリと治まり
静けさが心を支配する

椎の葉に盛られたご飯を見ながら
もうひとりの自分は
この世の無常に翻弄されている自分を見て
呆然としている

「 人生ってこんなもんだろうか ・・・・ 」

この歌を読んでいると
その  もうひとりの自分のつぶやきが聞こえてくる





 
「なにやっているんだろ、オレ」
って  死別してからしばらくはそう思う時があった
ぼーっとして気がつくとそう思っているのだ

今まで  きちんと家庭があって
仕事から帰ってくると 妻が夕食を作ってくれていて
「おかえりなさい」と迎えてくれる
自分の心の中では
それが当たり前になってしまい
まだ  それが引き続いていると
心のどこかで思いこんでいる
今  妻がいなくなって
なにもかも自分でやらなければならない状況が
自分で受け入れられないのだ
しかし  現実の辛い生活が目の前にある

まさに  椎の葉に盛られたご飯を
ぼーっと見ている状態と一緒だ

置かれている状況は違うけど
心情は同じものかなと思う

人生  こんなときがあるんだね









不惜身命 但惜身命

2014-03-15 | 記紀雑感








さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 
            火なかにたちて 問いし君はも


さねさし さがむのおのに もゆるひの
           ほなかにたちて といしきみはも


相模の国の野原で火攻めにあったとき
         炎のなかで私を気づかってくださった
                   あなたのやさしい心は忘れません *

                                                          * 私訳


 ヤマトタケルの命(みこと) が東征し 速水の海を渡るとき
海神が怒って 海を荒れさせた

そのとき ヤマトタケルの命の后である
弟橘姫 (おとたちばなひめ) は海神の怒りを鎮めるために
「 私は夫である皇子の身に替わって海に入水します
どうぞ皇子の東征を護らせ給え 」 と念じ
入水し 我が身を海神に差し出した

すると
海が穏やかになり
ヤマトタケルの命たちは 船を進めることができました

この歌は 弟橘姫が入水する前に
詠んだ歌


静岡県に草薙というところがあります
その地で ヤマトタケルの命一行が
豪族の計略にかかり
草原で火攻めにあったとき
ヤマトタケルの命が弟橘姫を気遣ったことを
思い出して詠んだ歌です


古事記 日本書紀に書かれている
とても かなしくて美しい歌ですが
透明感があって 素敵な歌でもあります








この美しい歌を読むとき
いつも 禅の教えの中にある
「 不惜身命なり 但惜身命なり 」 という言葉を思い出す
( 確か 道元禅師 正法眼蔵に書かれていたと思うが ・・・・ )

意味は 僕なりにいえば
「 この命や体を惜しむなかれ ただ そのために命と体を惜しむなり 」
と いうことだろうか

弟橘姫は
ヤマトタケルの命に東征の使命を果たしていただくために
この命と体を惜しまずに 海神に捧げた
ヤマトタケルの命は
東征の使命を果たすために命と体を海神に捧げた弟橘姫を見守り
ただ 命と体を惜しんで悲しみに耐えで
東征を行っていった


その日その日を安穏に暮らして
命や体をただ惜しんで暮らして
無難な人生を送ったとしても 人生でなんの学びがあるだろうか

それよりも
かわりに自分が死んでもいいような苦しみを受け取り
それを生きる理由として
ただ この命と体を惜しんで生きていく

そこに 大いなる人生の学びがあると思う


このあと ヤマトタケルの命は足柄峠で早水の海の方を向き
「 吾妻はや 」 ( 我がいとしい妻よ )
と 嘆いたそうです


この命と体を惜しまず ただ命と体を惜しんで
  人々のために生きていく・・・・

そんなことが 大切なことなのかな








マーラー 交響曲第9番 第4楽章

癒しを求めている人はこのAdagioを聞かない方がいい

死という現実を見せつけられるから・・・・


最初からどんよりと重くのしかかってくるストリングス
死の寸前を彷彿とさせるメロディー

今までの人生のシーンが頭の中を過ぎっていく
息が絶え絶えになり
やがて死を迎える

魂が地球の重力の支配から解放されて
肉体から離れていく

魂が地上の生に決別を告げる


それにしても
この重厚なストリングスの中にある
きれいなメロディーは何なのだろう

あたかも
「 死はひとつの解放である 」
といっているようだ

そして
死というものを  荘厳という言葉で表現していると思う


この交響曲を完成させ 10番目の交響曲を未完成のまま
マーラーは世を去った

彼の魂は
きっとそのことを知っていたのだろう
でなければ
こんなAdagioを創れるはずはない

やはり 癒しを求めている人は
このAdagioを聞かない方がいい・・・・


・・・・ でも  この作品たまに聞いちゃうんだよね

なにか惹きつけられるんだ ・・・・




Heart Of The Sunrise

2014-03-09 | ひとりごと








本当に苦しいとき

一日いちにちを がんばって生きていると
地中で すごい圧力を受けてできる 宝石みたいに
心が煌めくようになってくるよ

魅力的な人になれると思うよ

苦しんでいるなら そこまでがんばって
素敵な人になってみようよ







宝石がきれいに輝くのは
地中ですごい圧力を受けて結晶するから

人も同じだよ

辛く苦しいときを耐えて
生ききったら
すばらしい輝きを持った人になれる

その輝きは 宝石とは比べられないほど
価値のあるものだよ

苦しみ 悲しみの中にいるのなら
そこまでがんばって
光り輝く自分になってみようよ

今の試練を乗り越えて
光り輝く君を信じているよ

そして いつも見守っているよ・・・・


そんな声が 心の中に響いてきた。

ありがとう 心の中の guardian angel ・・・・








ひなまつり

2014-03-02 | ひとりごと








明日は ひなまつり

僕は 男ばかりの兄弟だったから
この日は ぜんぜん縁がなかった

でも

僕の家庭は 女の子に恵まれた

子供が小さな頃は
娘たちと妻とで ひな人形を飾っていた

僕は その姿を目を細めてみていたよ

そして

夜 みんなが寝静まってから
ひな人形の飾ってある部屋にひとり入って
雅な感じを楽しんだものだ

その娘たちも
今は いい大人になって家を離れ
きちんと自分の人生を生きている

僕も自分の人生を生きたいのだが
それが 出来ないでいる

この歳になって
こんなことで苦しむなんて思わなかったけど

まぁ これが人生ってものかな~








انت عمري

2014-03-01 | これがスキ!








音って ある振動が音波になって耳に届く

物理的に言えば そうなんだけどね

ある振動 - 音源というのだろうかねぇ~

音楽っていうのは
その 音源が音を発する前に こころ というか 想いがある
そして 音源の振動が耳に届いて
それを聴いて こちらのこころに
その想いが届く

となると 音の判断は
その こころや想い は如何に ?
と いうことになる

そんなふうに音を聴いていると
聴き入ってしまうものや
とても じゃないけど
聴くに堪えないものがある

こころを 揺さぶる音に出会うことは
そんなにないなぁ

でも そんな音に出会うと
本当にうれしくなる