夕食の食器を洗いながら思った
「 妻が生きていたら
一家の主として ど~んと構えていて
食器洗いはしないだろうなぁ~ 」
と・・・・
食器洗いをしている自分を憐れとか
惨めとか思わないが
まさか 自分の人生
こんなことになるとは思わなかった
まるで
まっすぐ伸びた木の先が折られてしまい
横から新しい枝が出て
ちがう方向に伸びている木のようだ
まぁ その木の格好が
見苦しいか
曲がり具合が
何とも言えない風情を出している
と 思うかは
見ている人たちに任せよう
当の本人は
生きることに精一杯なんだし
かなしみ とか苦しみと
戦い続ける日々を送っている
でも・・・・
けっこう 楽しんでるぞ~
死別してから しばらくした時
「 悲しんでいるのは あなただけではない 」
と 言われたことがある
たしかに そうだなと思った
でも それと同時に
悲しんでいる僕の気持ちが
本当に解っているのかなぁ~
なんて 思った
他人は 他人の悲しみを比べることができるけど
深い悲しみの淵にいる本人は
悲しみを比べることが出来ない
いや
比べることが出来ても
やはり
自分が世界でいちばん悲しい存在なのだ
その人の悲しみの実態は
他の人には観えないのかもしれない
それに
悲しみというのは
比べるものではないような気がする
自分の業との戦いを決意して
苦しんで
かなしんで
独りのときをすごし
自分が観えてきた
苦しんで戦って
無我夢中で前に進んだ
そしたら
ぽかんと 愛の中にいた
与えているつもりが
たくさんの人に愛を与えられている
この世界
我 涙して 人を拝む
戦え
愛を愛とあらしめるために
戦え
自分の こころの中の魔と
戦え
誠実な こころを 踏みにじる悪魔と
常に 汝は光の中にあり
その中にて
風の如き愛を やさしく吹かせるものなり
かなしみの顔は 主にみせて
人には さわやかな笑顔をみせて
そよ風の如き愛を吹かせよ
もう一度 言う
汝は愛のために 戦い
人々のこころに 愛の風を吹かせるのだ
歯みがきのチューブの最後の最後を
絞り出すように
言葉と笑顔を出した
負け戦 なのは わかっている
しばし 時を待ち
力満ちてくるまで 言葉を飲み込もう
ふと
かなしみや 苦しみ さみしさ の果てに
何があるのだろう
って 考えてみた
そりゃぁ
こころを 切られるように かなしんだり
こころを すりおろすように 苦しんだり
なみだが出なくなるまで さみしい想いをしてみたり
そんな果てまでいかないと解らんわな
って こころの中で声が響いた
ただ 解ることは
そこまでいくと
限りなく やさしく とうめい になれる
と いうことかな
大馬鹿者
夕食後 紙とシャープペンを持って
反省に入ってみた
いろいろとカッコイイ反省が出てくる
が ・・・・
シャープペンが止まって しばらくたって
お前 自分の悲しみだけ人に解ってもらいたくて
人の悲しみを観じないでいるのかよ
って こころの中に言葉が響いた
あかんわ
こりゃ
永遠のギリシャ とか
与える側に立つ
どころの話じゃないわ
人として 根本のところで
奪う側に回っとる
まぁ 自分の情けなさと大馬鹿さに
あきれ果てて
怒りを通り越して 自分に大爆笑
そんな まあさんを
カワセミが慰めてくれました
これで 明日からは 生まれ変われることができるかな
今日は 午後から雨
朝から雨が降ると 少しゆううつになるけど
午後からの雨は こころがしっとりとして
やさしい気持ちになる
大好きなショパンのマズルカ Op.50 を聴きながら
もうすぐ春だなぁ~
なんて
春に こころをよせる
何もしない お休みの日
福祉の仕事をしているけど
やっぱり 仕事柄なのだろうか 優しい人が多い
それで その中にいて
つくづく自分が優しくない人だなぁ~
と 思うことがある
だから
いろんな人を見て・聞いて
自分にない優しさを学んで
自分を変えていきたいなぁ~ と思っていた
そう
思っていた だけなんだ
それでね
今日 ある言葉が グサッと こころに突き刺さった
とても 痛かったし苦しかった
でも そんなときの言葉は
自分の至らないところを
ピンポイントで突いていることが多いから
そんなときほど こころを静めて
自分の至らないところを きちんと観ることが大事だと思っている
きちんと 自分を作り直さなければ・・・・
と 思って 反省と思索に入った
まず 今まで見てきた 優しさを思い出して
自分が出来ないこと 苦手なこと 毛嫌いしていたこと
を 考えてみた
いろいろと 苦しんで考えてみた
そしたら 楽しそうに会話している姿が こころに浮かんできた
話をしている方も 聞いている方も楽しそう
そうかぁ~
まず 全部受け入れて 否定したりせずに
うれしそうに話を聴く
そして 返事は
そうだね~ すごいじゃん!
とか 肯定の返事をする
このようなことは 分かっていて
やってはいたけど
良好な人間関係を作るためにやっていて
やさしさ とは ほど遠いものだと知った
愛をもって
正しく 素直に聴く ということ
愛をもって
正しく まず否定せずに話す ということ
そのようなことが やっと 解ってきた
自分が 孤高の人 であることは自覚していた
それが 自分のスタイルだとも思っていた
でも
やさしさを学びたい
いや 本当にやさしくなりたい と願った 今
孤高の山を降りて ふもとの人里に入り
こころを開いて 生活するときかもしれないな・・・・
生きる (空と有)
生きる死ぬは この世に存在するか
あの世に存在するか ということだけで
あまりたいしたことではない
病とて ひとときの苦しみで
人生の問題集とおもえば
自分を否定するものでも 自分をおとしめるものでもない
肉体的な視点でみるから病気は魔物にみえるのだ
この世的なるしがらみが生活苦となって襲ってくるのだ
霊的な視点で見れば
病気でも健康な状態でも
肉体の状態が変わっただけで 生きていることに変わりはない
生きている限り 人生の問題集の問題は終わらず
自分の使命を果たしていかなければならない
また この世でどのように存在しようと
それもたいしたことではない
大切なことは
その環境の中で
何を学び 何をおもい 何をしたのか
と いうことだ
常に 霊的な視点で生きていけば
苦しみも意味をもっていることが解ってくる
霊的な視点に立ち
生死を超越し 今を生きる
今 このときをかけがえのないとき として生きる
今 この一瞬に永遠の自分の命を生きる
そのように心して生きていこう
生死と戦い それを超越した あの頃
深い とうめいなかなしみ の中で
生み出された かなしみの言霊
あの頃から 今の自分をみれば
情けないかぎりだ
生きる・・・・
淡々と 愛の風を吹かせていくことだ
いやね
もう そんな想いは
空高く投げてしまったし・・・・
もう きれいな星になって
あそこあたりで輝いているよ・・・・
それにしても
ノクターンが うざい夜だ
無我とかね
空の思想とか
中道のあり方とかね
それって 自分を解放する道なんだけど
なぜ こんなに苦しむのかな
きっと まだまだ我欲があるからなんだろうけど・・・・
いつも 解ったつもりになって
野狐禅になっている自分がいる
覚悟が足りないし 切実ではないのだ
う~ん
小さな子供が 無心で歩いていくような
歩けることが うれしくて仕方ないような
そんな こころになりたいよ
まぁ 自分が愚かなのは 解っているし
軸足の置き場も 解っているから
落ち込みはしないけどね
せめて 福寿草のふぉと でも載せてみましょうかね・・・・
う~ん 歳をとると 経験値が多くなってきてね
いろんなことから逃げたりするのがうまくなる
まぁ ズルいということなんだろうけど
このズルいに分別が加わると
老獪 (ろうかい) という
でも
いつまでも 青い気持ちは持ち続けているぞ
なっ
やっぱりオレ 逃げるのヘタだわ