今日は咲の運動会
学校の運動会はもう終わったけど
市の連合運動会がある
これが
サッカーの試合をよくやる競技場であった
まあ父さん
本日 送迎が出来ないので
ヘルパーさんを頼んだ
父親の限界を感じている まあ父さんは
朝早く起きて お弁当作り
仕事に行かなければならないので
手間もかけられず
手抜きで
冷凍食品 オンパレードの弁当です
ほうれん草炒め
焼きそば
コーンクリームコロッケ
鶏の唐揚げ
ちくわの磯辺揚げ
と
ゆかりをかけたご飯
まぁ このくらいは
父親でも出来ますね~
しかし
朝早く起きて暗い中で
ひとりで弁当作っていると
ちょっと 気が滅入るな~
2008.10.21 記
鈴懸の径
と 言うことで
2回続けて 食べ物ネタです
昨日は 知らないうちに寝てしまったので
ブログの更新ができませんでした
しか~し
フォトは撮ってあったので
今日 書くことにします
まず 上のフォト
シーチキンサラダねっ
キュウリとシーチキンに塩こしょう
それに 隠し味で しょうゆ ちょっぴり
あと マヨネーズであえるだけね
しょうゆとマヨって合うよね
ケンサキもこれでOK~
その話で思い出したけど
そういえば
最近 ご無沙汰してますね~
メインは ミンチオムレツ
牛ミンチとタマネギをみじん切りにしたものを炒めて
塩こしょう ナツメグで味付け
これも ちょっぴり しょうゆを入れる
フライパンに油 ( マーガリン ) を薄くひいて
たまごを焼く
最近は たまごをとくとき
白身と黄身が完全に混ざるのではなく
ちょっと 白身が残るくらいで
たまごをとくようにしている
なんか その方が
ワイルドな感じがして いいかも~
なんて 思ったからです
それで 炒めたミンチをのせて
ミンチの上に また ときたまごを少しかける
見た目よく たまごをかえして
適当に焼いちゃう
あと フォトのとおり
トマトケチャップをかけて
できあがり
オムレツとトマトケチャップって
やっぱり 定番の組み合わせだよね
でも
まあさんは これにウスターソースをかけちゃう
だって
小さいときから そうやって食べてきたも~ん
でもね~
このオムレツは
僕の母が作っていたものだけど
まさか
僕が 子供に作るようになるとは思わなかった
自分で作った料理って
ゆっくりと食べられないよね~
その点 主婦は大変だと思う
主夫をやってみて
そんなことが分かった
それだから
誰かに作ってもらって
「 うん おいしいよ~ 」
って 言って
食べてみたいなぁ~
愛は傷つきやすく
粋なうわさ
読み返してみたら
最近 仏教の話とか万葉集とか
難しいこと書いてたから
ちょっと 反省がはいりましたので
今日は力を抜いていきます
まず最初に
シナチクとチャーシューを
箸でスープの中にどっぷりと漬ける
次に
レンゲでスープをネギと一緒に飲む
スープの味とネギの感触を味わう
そのあと 麺を少なめに口に入れ
麺とスープのハーモニーを楽しむ
シナチクはその後だよ
そして チャーシューを食べる
でも まあさんは
あまりチャーシューがスキではない
美味しいと食べるが脂っこいと食べないよ~
と いう具合で
ラーメンを食べてきました
9月の雨
今夜は優しい雨が降っているよね~
丈夫や 片恋ひせむと 嘆けども
醜の丈夫 なほ恋ひにけり 117
嘆きつつ 丈夫の 恋ふれこそ
わが髪結の 漬ぢてぬれけれ 118
巻第二
ますらおや かたこいせむと なげけども
しこのますらお なほこいにけり
なげきつつ ますらおのこの こいふれこそ
わがかみゆいの ひぢてぬれけれ
私訳 日本男子たるものが 片思いなどするものでないと嘆くのだが
その 「 しこのますらお 」 たる 日本男子は恋に苦しむのだ ・・・・
その嘆きながら ますらおサン が恋してくださるからこそ
私の髪結いの糸も 濡れて溶け 髪がほどけるのね 。。。。。
うーん
「 勝手にやっとれ」
と言いたくなりますね この二人・・・・
なんか今日は 相聞なんかやるんじゃなかった
舒明天皇か天智天皇の格調高い歌を
やればよかった ・・・・・・
と後悔しています
訳の 「 髪がほどけるのね 」 は勝手な付け足し
髪がほどけると恋されているという話がその当時あったらしい
だから付け加えました
いたずらっぽい恋のやりとりを感じる歌でしょ
それで 純粋で素朴さもあってイイ歌だなぁ
と思ってます
この時代の人々は 情感豊かに生活していたんだろうね
コクリ方 もこんな風だと おしゃれですよね
恋愛には 真剣さと気の利いた愛の言葉
それと
きれいな音楽が欲しいね
万葉集の相聞って
おおらかでイイよね ・・・・
たしかな愛
地下鉄を降りてエレベーターの前で
ボタンを押そうとした時
さっと小さな手が現れて ボタンを押した
下を見たら ウサギがいた
いや でも よく見たら 帽子だった
ドアが開いて 僕とその子と
その子の妹を抱いたお母さんは
エレベーターの中に入った
お母さんは
「 小学生になったのに 幼稚園の子みたいだよ~ 」
なんて その子をたしなめて
僕に 「 すいません 」 っていった
僕は そのウサギの帽子をかぶった子に
エレベーターが上に行くボタンと
ドアが閉まるボタンを指で差して教えてやり
「 押しなよ~ 」
といってあげた
エレベーターを降りたとき ウサギ帽子は
にっこりと笑って
「 ありがとう 」っていったよ
僕は ウサギ帽子を撫でてやり
「 イイ子じゃ~ん 」
といって 改札口を出た
お母さんが うれしそうに
「 ありがとうございます~ 」 っていった
僕もうれしくなって
今週の疲れも忘れてしまった
それでね~
なぜか うさぎリンゴを思い出して
食べたくなった
それだけの話だよ~
銀の龍の背に乗って
愛用のギター マーチン D-28
愛用っていうか
普段着のような感覚で弾いている
このギター
オークションで手に入れたもの
出品者は とても誠実な方だった
YouTubeで
このギターを演奏している動画を紹介していた
それを見て
どうしても欲しくなって入札した
でも
僕の評価が低くて入札を取り消されてしまった
次の日 こちらも誠実に対応することを約束するから
入札に参加させて欲しいとメールしたら
入札したのは貴方だけで貴方は信頼出来そうだから
と言って 僕に落札してくれた
そんないきさつで手に入れたので
可愛がっているギターです
それと
思ったより安く入手できたのがラッキ~
でした ・・・・
このギターのシリアルナンバーは 4014**
1978年製のビンテージ物です
ペグはグローバー製
ウエザーチェックがしっかりはいっている
弦はマーチンのブロンズ ミディアムが張ってあります
音はビンテージ物の枯れた音で
中音域がふくよか感じ
ストロークの高音がシャリンとでる
でも
その日その日の機嫌で音がちがうみたい
いずれはストリートに出たいと思っているが
出るなら
このギターを持って出たいと思っている
Harvest moon
生 生まれる苦しみ
老 老いる苦しみ
病 病の苦しみ
死 死の苦しみ
この四つの苦しみが四苦 ( しく )
愛別離苦 (あいべつりく) 愛するものと別れる苦しみ
怨憎会苦 (おんぞうえく) 嫌いな人と会う苦しみ
愚不得苦 (ぐふとっく) 求めても得られない苦しみ
五陰盛苦 (ごおんじょうく) 肉体の煩悩が燃えさかる苦しみ
四苦と この四つの苦しみで八苦 ( はちく )
これで 四苦八苦 ( しくはっく )
この世は苦しみに満ちている
でも この苦しみの中で
あなたなりに小さくてもいいから花を咲かせなさい
ちょうど
泥の中に咲く蓮の花ように
人は永遠の生命を持っていて
あの世とこの世を生まれ変わって
自分というものを生長させている
苦しみの中で生きて自分を生長させたなら
素晴らしい来世が待っている
だから 一生懸命に生きなさい
今世 あなたなりの花を咲かせなさい
いろんな説があるが
僕はお釈迦様の教えは
簡単にいうと
こんな教えだと思っている
彼岸 あちらの岸 あの世のこと
此岸 こちらの岸 この世のこと
こちらからあちらの世界に行った人を偲び
感謝と愛の思いを手向ける日を過ごそう
この世は苦しみで満ちていると知っていたけど
死別し こんなに苦しい思いをするとは・・・・
今まで人の苦しさというものが分かっていなかった
人の気持ちも分かっていなかった
「 本当の人生の苦しみはこんなもんですよ
あなたは 人の苦しみ悲しみは全然わかってないですよ
人生 なめるんじゃないですよ 」
と言われたみたいだ
でも この環境の中で
小さくてもいいから
きれいな花を咲かせてみせる
この世で社会的に認められなくても
死んだ後 自分の人生をみたら
きれいな色とりどりの愛の宝石を
ちりばめた人生になるように生きたいな
2006.9.24 記
地球はメリ-ゴ-ランド
上の娘が高校3年のある日
「 おとん モーツァルトのレクイエム持っとる? 」 と聞いてきた
持ってなかったので
「 持っとらんぞ 」 と言った
「 そんならええわ・・・・ 」 と部屋に帰っていった
2・3日たって
テレビでレクイエムをやっていたので
娘をよんで一緒に見ていた
そのとき
小林秀雄氏のモオツァルトの話をした
「 ふーん 」 と興味なさそうに聞いていたので
娘にはまだ難しいかなと思っていた
しばらくたってから また唐突に
「 おとん 小林秀雄のモオツァルト持っとる? 」 と聞いてきた
持っていなかったので
「 ないよ 」 と言った
今度は
「 ふーん 」 と言って 少し残念そうに帰っていった
そのとき
むかし持っていた文庫本の 「 モオツァルト 」 のことを思い出した
どういう訳か表紙が破れてしまい
ぼろぼろになった本を5年くらい
持ち歩いて読んでいた
裏表紙に W・A・Mozart と大きく鉛筆で書いたのを覚えている
中学校の3年だったと思うが
国語の教科書に小林秀雄氏の 「 無常という事 」 が書かれていた
最初に読んだとき
こんな難しい文章もあるんだ
と思ったが
その文章の深さにおどろいた
言うまでもないが
小林秀雄氏の文章はむつかしい
すべて やまとことば 書かれていて
ひとつひとつの言葉に明確な深い意味がある
これをすっとばして読もうものなら
文章全体がわからなくなり
読み終わったとき
何を書いていたのか解らなくなる
僕は
その深い言葉がつづられた文章に惹きつけられ
一行一行をじっくりと解るまで何度も読んでいくという
とんでもない読書の虜になってしまった
娘と本屋に行ったときに
「 モオツァルト 」 を買って娘に渡した
「 ありがとう 」 と言ったが
あまり うれしそうではなかった
「 もういらないのかな?」 と思った
それからしばらくベットの上に
その本が置いてあった
見るごとに 本の位置が変わっていたから
きっと 読んでいるのだろう
その後
娘は何も変わらないように見えるが
たまに娘から沈黙というものを感じる
表現しようとしているものを飲みこみ
自分の中でその言葉を醸造しているように思える
こんなふうに思うのは
親の欲目だろうか・・・・
美は人を沈黙させるとはよく言われる事だが
この事を徹底して考えている人は 意外に少ないものである
「モオツァルト」 小林秀雄 より
2006.9.10 記
Lacrimosa Requiem k.626
LET IT BE THE BEATLES
ぎこちない音
盛り上がらないセッション
ポールとジョージの口論
ばらばらな4人の心
見ている僕は悲しくなってくる
大好きなビートルズがだんだん崩壊していく ・・・・
映画 「 LET IT BE 」 のワンシーン
でも
最後のアップル・ビルの roof top のライブで
この悲しみが昇華していく
「 Don't let me down 」
このアルバムには入ってないが
やさしいジョンのあたたかい思いを感じる
ビートルズの中で一番好きな曲
僕はビートルズで
このアルバムが一番好き
ABBEY ROAD が事実上の最後のアルバム
ということは知っている
でも
このアルバムがビートルズと別れて
思い出を引きずっている
最後のアルバム ・・・・
ビートルズが解散した後のジョンに狂気を感じるのは
僕だけかな・・・・
心のひだが深ければ深いほど感受性が強くなり
その言動が狂気を帯びてみえる
その感受性は傷つきやすく
人には理解できない苦痛をいつも感じている
そのことが他人から見ると奇人に見えるときがある
また その感受性の深さが ジョンの優しさになっている
ジョンの音楽を聞く人は ジョンの優しさを感じて癒されるのだろうが
その奥にある感受性の強さからくる心の苦痛を分かる人は少ない
そして それを理解できる人は もっと少ない
ひょっとして 小野ヨーコがいてもジョンは孤独だったのかもしれない
ビートルズというオブラートがジョンの狂気を覆っていた
そんなことを思う
このアルバムの後 ビートルズの以前の音源が
アルバムとなって出てきている
でも 僕は聞く気がしない
このアルバムでビートルズはすべて終わったのだ
ここで終わらせておくのが思い出としては一番うつくしい
無常の世の中で
人は生まれて死んでいく
そして 巡り会い別れていく
始めがあり 終わりがある
この世で永遠に続くものなど何もない
でも 短い命でさえ
その生き様は とてもとても深いものかもしれない
恋愛だってそうだ
ビートルズもそうだ
今夜は久しぶりにライブハウスにいってきた
ビートルズのコピーバンドで
ビートルズナンバーを堪能してきた
その興奮冷めやらずっていうことで
こんな記事を書いている
このバンドのメンバーたちの世代は
ビートルズを生で見たことがない世代だと思う
でも
ビートルズが好きっていう
感情が伝わってくる演奏だった
もちろん
僕の大好きな
「 don't let me down 」 も演奏したよ
楽しかった~
don't let me down
「オレをがっかりさせるなよ」という意味だが
「倒れちゃダメだよ」とジョンが歌っているようだ
やさしく、そして、、ソウルフルな歌
大好きだ
SAM COOKE THE MAN AND HIS MUSIC
サム・クック ・・・・
ノリがよくてメロディーが繊細で軽いのがステキ
ひとことで言えば
洒落ているからスキ
でも
それだけでないソウルをかんじる
どの曲もいいけど
「 A Change is Gonna Come 」
が いちばんお気に入り
聴いていると
ついつい遠くを見つめてしまう
「 You send me 」 もイイ
ちなみにこの曲
僕のケイタイの着信曲で使ってます
この時代は多重マルチ録音なんてなかったから
セーノで一発録りで録音していたんだよね
だから
スタジオで録音していてもノリが伝わってくる
今は録音技術が発達して
昔に比べるといい音になってきた
でも
このへんの時代のサウンドを聴くと
なにかのびのびとして、
生の楽器の音のよさを感じるのは
僕だけかな・・・・
上の娘が高校生だった頃
家族で車に乗っていた時 サム・クックを流していた
その娘は
「 この曲 喫茶店で聴いたことあるよ
マスターとイイ曲だねと話していたよ 」
と言った
僕は運転しながら
どんな話を喫茶店のマスターとしていたのかな
と考えていたら
自分の顔が うれしそうな顔をしていることに
気がついた・・・・
しかし
高校生の分際でサム・クックがいいって
どんな高校生なんだ・・・・
A Change Is Gonna Come
You Send Me
Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band BEATLES
サージェントペッパーズ ロンリー ハーツ クラブ バンド ビートルズ
このアルバム
ロックの歴史を変えた名盤と言われているが
まっ
そんなのはどうでもいいことです
それよりも
このアルバムを聴くと思い出す
若い頃の思い出の方が大事なんです
高校3年のころ つきあっていた人がいた
高校生で遠距離恋愛
といっても
高校生の遠距離恋愛は
大人の遠距離恋愛に比べると
少しばかり距離が近い
Lovely Lita
この曲が好きで
彼女を リタ とよんでいた
夏休みの終わりの頃
お互いの気持ちがすれ違うようになってきた
夜の公園
リタ は泣いていた
しばらくふたりは黙ったまま ・・・・・・
ぽつんと リタ が
「 おでこにキスしてあげる・・・・ 」
といって
やさしくおでこにキスをしてくれた
「 さよなら・・・・・ 」
といって
僕は立ち上がり公園を後にした
When I'm Sixty-Four
虚ろな日
宇宙の中にポツンと
置き去りにされたような気がする
母を探す子供のように
泣きじゃくるわけにはいかず
かといって
ひとりで耐えるには ちと辛い
そんなときは
音楽か欲に逃げていく
自分で自分を慰めることが
だんだんうまくなってきた
やだな ・・・・
夏の夜の海
スタバにいるときに思いだしたこと・・・・
若い頃 職場のおばちゃんに可愛がってもらっていた
そのおばちゃんは よくおもしろい話をしてくれた
そんな話の中で お年寄りの話を思いだした
家の近くに 連れ合いを亡くした者同士
仲良くしているカップルがいるそうだ
お互い 子供に養ってもらっているので
あまり堂々と逢いびきは出来ない
お金もないので
マーケットの焼きそば屋さんで
いつも仲良く焼きそばを食べている
夜になると男の方が 窓から女の家に忍び込み
逢いにいくそうだ
それを 年寄りの仲間がおもしろがって見物しに来るという
なんでも 性行為はもう出来ず
お互い抱き合っていれば 幸せなんだって・・・・
でも しばらくして女の方が亡くなり
男は しおれきった姿で生きているそうだ
そんな話を聞いたとき
とてもおかしくて 僕は笑い転げた
でも 今その話は笑えない
妻を亡くし家庭を支えて生きていると
とても辛い
さみしくて さみしくて仕方がない
こころの中で
誰かの愛の思いを依りどころとしなければ
とても 辛くて生きていけない
そんなふうに思うようになった
だから
その老人の話は身につまされる
人は いくつになっても愛が欲しい
愛を依りどころとしなければ辛くて生きていけない
歳をとっても さみしさはなくならない
こんなことが身に染みてわかった
人は愛を求めて さみしい思いをして
少しづつ愛の本質に近づいていくのかなぁ・・・・・・
愛
やさしさ
お互い身体を与えあい癒しあうこと
そして
お互いを依りどころとして生きていくこと
こんなことをエロスというのだろうか・・・・・・
愛がなかったら生命が枯れちゃうよなぁ・・・・・
死ぬまでさみしい思いして生きていくのかなぁ・・・・・
死んであの世に帰ったら さみしい思いはしないのかなぁ・・・・・
こうやって愛を学んでいくのかなぁ・・・・・・・
切ないなぁ・・・・・・・
勉強はどこかに飛んでしまい
こんなことを考えていた
2007.4.2 記
Lady Blue
チャイコフスキー
弦楽四重奏曲 第1番 第2楽章 アンダンテ・カンタービレ
生き方の基本は 自助努力
死別して ひとりになっても
人に甘えずに 自分で道を切り拓いていく
でも
たまに 凹んでしまって
どうにもならない時がある
仕事も
50歳の男に求められるものは
半端ではないし
それをこなしながら
家事をやっている
さらに
障害を持つ娘のめんどうみ
これも 半端ではない
身体と知的の両方の障害を持っているから
気を遣ってないと
後から 大変なことになる時がある
それと
これからの人生のことを考えると
あまり大きく拓けることはない
それで
たまに疲れ果てて
凹んでしまう
そんな時は
自己憐憫にどっぷりと はまり込む
女性の胸に顔を埋めて
頭など撫でられて
甘えてみたいと思うけど
なかなか そうはいかない
そんな時に
この曲を聴いて 自分を慰める
何故か
女性に頭を優しく撫でてもらっている感じになる
この優しさとチャイコの男色とは
関係があるのかな~
なんて
アホなことをちょっぴり考えた僕でした
Andante Cantabile
わが背子は 仮廬作らす 草無くは
小松が下の 草を刈らさね
11 巻第一
わがせこは かりほつくらす くさなくは
こまつがしたの くさをからさね
ひと夜の宿を作る草がないのなら
そこの松の下の草をお刈りなさいな
愛しいお方 ・・・・
今回は雑歌 といっても相聞ぽい歌だよね
きっと 夫婦の契りを交わしたばかりの旅の途中の歌だろうね
旦那の方が ひと夜の宿を作るために草を刈っているが
刈る草が無くなってきたみたい
そこで奥方が 「 そこの松の下の草を刈るといいわよ 」 って言っている
ただそれだけの歌だけど
夫婦の優しく暖かいやりとりを感じるし
その情景が目に浮かぶよね
ホントになにげない歌だけどイイ歌でしょ
万葉集の中で好きな歌のひとつです
訳の「愛しいお方・・・・・」というのは蛇足のような気がする
どうせ入れるなら 「 愛しいお方・・・・・・ウフ。。。 」
というくらいにまでした方が いいかも ( ちょっとのりすぎかな? )
歌にも 背子とあるから入れてもいいのだけども・・・・
でも これがないと通じないかもと思って
うーんと考えながら入れました
Easy Does It & Sister Moonshine