世にある日々

現世(うつしよ)は 愛おしくもあり 疎ましくもあり・・・・

相聞歌

2017-11-27 | かってに万葉










ちわ… 久しぶりに「かってに万葉」をやってみようと思います

昨夜 なんとなしに万葉集を読んでおりました
久しぶりに読んだんですが
相聞の歌でも なんか陳腐なもんもあるなぁ~
なんて思ったけど
おもしれぇもんもあるなぁ~

なんて 思ったんですよ

それで やってみようとね・・・・

うん まあさん がんばるからね


ところで 上の ふぉと 光の入り方がイイ感じがしてね
昨日 撮った中で一番お気に入りかな・・・・


あっ いつも通り 訳は勝手に まあさんがしたものね







何時(いつ)はしも 恋ひぬ時とは あらねども
 夕片設(ゆうかたま)けて 恋はすべ無し    

                巻第十一 二三七三


いつといって恋しくないときはないけど
     う~ん 夕暮れ時は 恋しくてたまらんなぁ~




うん うん わかるわかる って思わず言っちゃいそうな歌だよね

しかし なんで夕暮れ時って こころが動かされるんだろねぇ~








思ふにし 余りにしかば すべを無(な) み
             出でてそ行きし その門(かど) を見に 

                         巻第十一 二五五〇


恋しさに思い余って暴走し 行ってしまった
      あの子の家を見に・・・・




あの すいません

中学時代の初恋のときの自分とオーバーラップしちゃって
訳も暴走気味・・・・









色に出でて 恋ひば人見て 知りぬべし
                 情(こころ) のうちの 隠妻(こもりづま) はも


                                        巻第十一 二五六六


好きという仕草をだしたら 人に知らちゃうよなぁ~
            こころの中の すてきな あの人 のこと・・・・




情を こころ と読むのは ステキだよね
隠妻 もイイことばだね~








夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の
            知らえぬ恋は 苦しきものそ

                           巻第八 一五〇〇



夏の野原の草に埋もれて 咲いている姫百合のように
人知られず秘めた恋は 辛いものだよね




洗練されたというか 品のある 言の葉 を感じるな・・・・




それでは まあさんも ひとつ いきましょか



みなのわた ポニーテールに ゆれる恋
              髪よ ほどけ と ことばに隠す

                                 まあ





大来 (おおく) の君

2017-04-20 | かってに万葉










今日の午前中 晴れていたので
白鳥庭園に行きました

どんな花がさいているかなぁ~
なんて 楽しみにして行った

いろいろと咲いていたけどね

馬酔木 (あせび) がまだ咲いていたよ









うつそみの 人にあるわれや 明日よりは
            二上山を 弟世とわが見む                 165


  磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど
            見すべき君が ありと言はなくに           166
 
                                                        万葉集 巻第二



  


私訳    この世で生きている私は 明日から二上山を
                    わが弟として見ていきましょう


           川の岩のほとりに咲く馬酔木を手折って 君に見せたいと思っても
                 その馬酔木を見せる君がいると 誰も言わない ・・・・






きっと君は 弟想いの
やさしいお姉さんだったんだね

僕は 馬酔木を見るたびに
君のかなしさを想うよ

もし 許されるなら
今の世に 降りておいでよ

今度は権力と謀略に翻弄されない
そんな生き方をするといいね

でも

やはり かなしみの中でこそ
言葉は輝くものだし

君も そんな人生は
    かったるいかな ・・・・





白花の 奥ゆかしきを 愛でる恋

              時の彼方の 愛の記憶


                                まあ




















吉野への道

2014-03-22 | かってに万葉




       み吉野の 耳我の嶺に 時なくそ 雪は降りける
       間なくそ 雨は零ける
       その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如
       隈もおちず 思ひつつぞ来し
       その山道を
                                                                25
                                         
                                                                      巻第一



       みよしのの みみがのみねに ときなくそ ゆきはふりける
       まなくそ あめはふりける
       そのゆきの ときなきがごと そのあめの まなきがごと
       くまもおちず おもいつつぞこし
       そのやまみちを


私訳    吉野の耳我の嶺は 
       時しれず 雪が降り
       間なく 雨が降るという
       その雪の 絶え間なく降るように
       その雨の 止まないように
       吉野への道を曲がるごとに
       物思いを続けながら来たものだ
       吉野への山道を・・・・・・・・・




天智天皇が病になられ、弟の大海人皇子 ( おおあまみのみこ 天武天皇 ) を病床に呼ばれた。
天智天皇にお会いするとき、信頼する天智天皇のお付きの者が
「気をつけて、お答えください。」と、ひとこと言う。
そのひとことで、大海人皇子は陰謀があることを知る。

天智天皇は、天皇の位を譲りたいと大海人皇子に言うが
大海人皇子は
「私は病の身で、国政を司ることのできる身体ではない。
 願わくは、皇后に皇位を継ぎ、大友皇子を皇太子として下さい。  
 そして、国の安泰を祈念するために出家させてほしい。」
と願い出て、天皇即位を辞退する。
そして、出家して国の安泰を祈願するため吉野に向かう。

天智天皇の側近のものは、
「虎に翼をつけて、放つのに等しいこと・・・・・」
と言いながら、大海人皇子を見送る。
やがて天智天皇は崩御され、大友皇子が即位されることとなる
その時、吉野で大海人皇子は、大友皇子側が吉野に兵を送ってくる情報を受ける。
大海人皇子はその情報の真偽を確かめると、本当の情報だった。
そこで、大海人皇子は戦いを決意する。

人々の野望のなかで国政を正し、
この国を、神の国たらしめようと決起する気持ち。
でも、それは悲しく辛い戦い。 
国を二分する戦いなどしたくない。 
出来れば、吉野の地で
国の安泰を祈念し続けたかった。
しかし、時は自分に違うことを要請してきた。

何度この道をたどって吉野に来たことだろう。
しかし、晴れた気持ちでこの道を来たことなど一度もなかった・・・・






暗く重い歌
これを 天智・天武・額田王の三角関係で
恋を失った男の哀愁の歌と解釈するには
あまりにも おめでたい解釈だ
といいたい

男は責任のとれる範囲が
その男の大きさだと思う
一国の責任をとれる男は大きな男だ
でも その男の心の中は日々孤独と闘っている

大海人皇子は天皇の位に就かれ
天武天皇となられてから
つぎつぎと政策を実行し仏教の興隆にも努められた

天智天皇が情熱的な人ならば
天武天皇は静の人だったかもしれない
しかし いったん行動する時は知略を持って
大胆に動く人だろう
でなければ
壬申の乱で勝利することができなかったと思う

でも それまでの道程は辛い道程だったのだろう
天智天皇を兄とし 理想を同じくして
ともに大化の改新を断行して戦ってきたきた日々
それが天智天皇の皇子と戦をしなければならない
情勢になってきたときの苦しみと辛さ

この歌を読むとき
そんな大海人皇子の心の声が伝わってくる








椎の葉に盛る

2014-03-16 | かってに万葉











家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 
                                       旅にしあれば 椎の葉に盛る                    142  巻第二


     いえにあれば けにもるいひを くさまくら
              たびにしあれば しひのはにもる



私訳  (椎の葉に盛られたご飯をうつろな目をしてみながら)
        なにやってんだろ  オレ ・・・・・・・・・・・



なにもふざけて訳をしているわけではありませんが
私には  この歌はこれしかないと思うのです

この歌の作者は有馬皇子です
斉明4年  天皇の行幸中  蘇我赤兄(そがのあかえ)が失政をあげて
有馬皇子に謀反を勧めたとき  謀議を終えたところで逮捕されました
そして  この歌は護送中に詠まれた歌です
この後  有馬皇子は処刑されました

この歌を読むと  少し弱々しくさみしさを感じるけど
有馬皇子は正義感が強く純粋な若者だったんじゃないかなと思う
蘇我赤兄の口にのり ついつい自らの理想に走り
口がすぎてしまったのかもしれない
若さからくる正義感 理想を追い求める情熱は
少しばかり 軽率な行動を取ってしまったのだろう

護送されるとき、皇子はどんなことを思っていただろうか?
今まで皇子として育ってきた身の上
そして  自分の自己実現の夢
そんな人生の途上で起きた信じられない出来事

「 まさか  こんなことになるなんて ・・・・
 なんで  こんなことになったんだろ ・・・・
 あのとき  赤兄の口車に乗らなかったら ・・・・ 」

悔やんでも悔やみきれない思いが
心の中に次々と現れて消えていく ・・・・

しかし  ある時
心の中の嵐がピタリと治まり
静けさが心を支配する

椎の葉に盛られたご飯を見ながら
もうひとりの自分は
この世の無常に翻弄されている自分を見て
呆然としている

「 人生ってこんなもんだろうか ・・・・ 」

この歌を読んでいると
その  もうひとりの自分のつぶやきが聞こえてくる





 
「なにやっているんだろ、オレ」
って  死別してからしばらくはそう思う時があった
ぼーっとして気がつくとそう思っているのだ

今まで  きちんと家庭があって
仕事から帰ってくると 妻が夕食を作ってくれていて
「おかえりなさい」と迎えてくれる
自分の心の中では
それが当たり前になってしまい
まだ  それが引き続いていると
心のどこかで思いこんでいる
今  妻がいなくなって
なにもかも自分でやらなければならない状況が
自分で受け入れられないのだ
しかし  現実の辛い生活が目の前にある

まさに  椎の葉に盛られたご飯を
ぼーっと見ている状態と一緒だ

置かれている状況は違うけど
心情は同じものかなと思う

人生  こんなときがあるんだね









絶対的沈黙

2013-01-29 | かってに万葉









夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は
             今夜は鳴かず い寝にけらしも       1511

                                                     巻第八


     ゆうされば おぐらのやまに なく しか は
                         こよいはなかず  いねにけらしも



私訳  今宵は鹿が鳴かないなぁ
                                寝てしまったのだろうか ・・・・




絶対的沈黙  私訳の言葉すらも余分な歌

闇の中で 明かり照らされた
舒明天皇のお顔が浮かぶ

国の責任者としての天皇の役目
豪族同士の権力争い
そして、蘇我氏の陰謀

これらの苦悩の中
独り 明かりの中に佇む舒明天皇 ・・・・

その苦悩を 沈黙のうちに呑みこみ
独り 夜のときを過ごす

「 そういえば 鹿が鳴かないなぁ・・・・ 」

その後の沈黙が かなしみを増していく


きっと この沈黙の中で舒明天皇の皇子
幼い 中大兄皇子 ( 天智天皇 ) と 大海人皇子 ( 天武天皇 ) が
吐息をたてて  安らかに眠っているのだろう

やがて  このふたりが大化の改新を断行し
後の飛鳥時代を作っていく








僕は 万葉の歌の中で
舒明天皇のこの歌が一番好きです

若い頃 舒明天皇を訪ねて
忍坂にある舒明天皇陵に
参拝したことがあります

山の中に入った 静かなところに
その御陵 ( みささぎ ) はありました

僕は 頭を深くさげて参拝したのち
舒明天皇に思いを馳せた

激動の飛鳥時代の中でも
目立たずひっそりと存在している天皇は
静かに 穏やかに
そして沈黙の中で 僕を迎え入れてくださった

そして はるか彼方の万葉の時代に
思いを馳せた

沈黙の中を生きていた方を観じていたかったのです


時は経ち
後ろ髪を引かれる思いで御陵を後にした

そのことが
つい  昨日のことのように思えます



わたつみの

2011-10-15 | かってに万葉









今回は かってに万葉です

上のフォト 知多半島で撮影してきました
とてもキレイな夕日でした

で 内容はこのフォトに負けないくらいにしなければ
と思ってますが
どうなることやら ・・・・



         わたつみの 豊旗雲に 入日射し                           15
                      今夜の月夜 あきらけくこそ


         わたつみの とよはたくもに いりひさし
                       こよいのつきよ あきらけくこそ

                                                                  巻第一


天智天皇の御製ですが
今回は私訳は なし

歌の
意味は 海辺から見た雲が燃えている夕焼けの情景
それを見て 今宵の月夜への期待を歌っているもの

こんなふうに書いたら ただそれだけのことなんだけど
この歌全体の言霊の迫力がスゴイです

海に沈む夕日の美しさと今宵の月への期待を
深い言霊で 簡潔にさりげなく詠いあげた歌

天智天皇の自然と生命の根元への直感把握
そして 極限に純粋化された言霊に
すごい力量を観じます

それは 遙かなる時空を越えて
今もなお 色あせず僕の魂を揺さぶる古今の絶唱

そのように感じます

だから 私訳をしても
この歌の言霊を表現することは 今の僕に無理なんです
完全に力量不足ですね


僕は 「 あきらけくこそ 」 の言霊がまだ解っていないけど
この 「 あきらけくこそ 」 は  僕の持っている万葉集では
「 さやけかりこそ 」 と書いてある

いろいろな読みかたがあるらしい

でも  天智天皇の人間像からみれば
「 あきらけくこそ 」 だと思う
というか
でなければならないと断言したいのです

「 さ 」 の言霊は  「 ささやく 」 とか 「 さらさら 」 とか
小さくさりげなく  出てくるような言霊だと思っている

「 あ 」 の言霊は  「 あらわれる 」 とか  感嘆して声にする 「 あ 」 で
力強く外に押し出していく言霊だろう

大化の改新を断行され
新たな国造りをめざした天智天皇の言葉であるならば
やはり  「 さ 」 より 「 あ 」 の言霊を出されるであろう
と  僕は信じているのです









飛鳥時代に燦然として立つ 二本の巨大な光の柱
聖徳太子と天智天皇・・・・

このふたりがおられなかったら
この国の精神は貧困なものになっていただろうし
このあとつづく 仏教文化が花開く
あおによしの奈良時代もなかったと考える

天智天皇に関しては
冷酷非情な人格を持っている という話もある
僕は 天智天皇の一面はそんな方だと思う

それがなければ  蘇我入鹿を天誅し
大化の改新を断行することは出来ないし
冷酷非情さを持ちタフな者でなければ
新しい時代を切り開くことはできない

大津皇子 有馬皇子の和歌を紹介してきたけど
やはり彼らは小人物だと思う

だけど 天智天皇は冷酷非情さとは
別の次元で この和歌を詠まれたような
生命と自然の根元を直感把握する人格を持たれている

このような人を大力量人というのだろう



万葉集を楽しむ人で
天智天皇と天武天皇 額田王の三角関係を
週刊誌の恋愛報道のように楽しむ人がいる

それは モーツァルトをサロンミュージックとして
楽しむのとそう変わらないのじゃないかな

僕は それも楽しみ方のひとつだと認めるし
そのように楽しむ人もいても いいと思っている

しかし 詠まれた和歌には言霊がある

言霊は 飾ることもできないし ウソもつけない
いつも 赤裸々なんだ

天智天皇 天武天皇 額田王の三人の言霊には
この時代を担っていく責任者としての使命があり
切実な生き様がある

僕は この三人の詠まれた歌の現代的恋愛解釈よりも
時代の中で 切実に生きてきた者が
詠んだ歌の言霊を観じていたい



若い頃 山科の天智天皇陵に参拝したことがある

東海道線の山科の駅から歩いて御陵までいった
御陵の入り口からは 鬱蒼と木がはえる暗い参道が続いた

その暗い参道を歩いていたら
突然 視界が開け 目の前に
簡素だが神々しい陵 ( みささぎ ) が現れた

思わず  感嘆の声が出た

「 ここに天智天皇が祭られている 」と
天智天皇に思いを馳せて拝礼したことを覚えている



「 かってに万葉 」 を書こうと思ったときから
この歌をどう書こうか 考え続けてきた
言葉を何度も はんすうしてきた

しかし  はんすうするたびに
この簡潔で深い歌を書き表す言葉が濁ったものに感じていった
長い知的な戦いだった

その結果は満足していない
自分の認識力の低さを まざまざと見せつけられた

そして 私訳をするのではなく
僕の精神性が この歌をどう捉えているかを書くことで
この歌の私訳にしようという結論になった

逃げているといえば そうなんだけどね

でも これだけの記事を書けたことは満足しているよ






     Madman Across the Water






 


二上山哀歌

2011-09-03 | かってに万葉


ちわっ

なんか 久しぶりすね~

久しぶりついでに 「 かってにまんよ~ 」
なんか やっちゃいましょうかね・・・・


今回は挽歌です。
有名な歌なのかな、これは・・・・・・・




  うつそみの 人にあるわれや 明日よりは
            二上山を 弟世とわが見む                 165


  磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど
            見すべき君が ありと言はなくに           166
 
                                                        巻第二



  うつそみの ひとにあるわれや あすよりは
            ふたかみやまを いろせとわがみむ


  いそのうえに おふるあしびを たおらめど
                    みすべききみが ありといわなくに


私訳  この世で生きている私は、明日から二上山を
                  わが弟として見ていきましょう

         川の岩のほとりに咲く馬酔木を手折って、君に見せたいと思っても
                 その馬酔木を見せる君がいると、誰も言わない ・・・・・


 







大来皇女(おおくのひめみこ)が弟の大津皇子が処刑され、
二上山に移葬されたとき詠った歌。

大津皇子の悲劇は、万葉の中では有馬皇子とならんで有名な話。
ここで、その話はしない。
先に書いたように、この時代は血で血を洗うような
生臭い事件が次々と起こっている。
若い純粋な正義を利用され、知らないうちに悪の手先になってしまうことは
この世ではよくあることだ。
また、皇室の内紛は、権力闘争に明け暮れる人々が権力を手に入れる
絶好のチャンスだったのかもしれない。

それよりも、僕は大津皇子が伊勢神宮に
大来皇女を訪ねていったことが気になる。
大来皇女は大津皇子の同母姉であった。
親も、もういなく唯一、血を分けた二人だった。

謀反を起こした罪で処刑された皇子だが、
それに至るまでの思いがあり、
話を聞いてもらいたくて
大来皇女のところにいったのではないだろうか。

いや、話さなくても逢うだけで
心が慰められたのではないだろうか。
男とはそんなものだ。
恋人であれ、妻であれ、姉・母であれ
男性にとって、そのような女性が必要なのだ。
大来皇女もそれを解っていた。
僕はこの歌から、そんなものを感じる。

人の思いとはそのようなものだ。
僕は、そんな人の思いを、
週刊誌の記事のような感覚で汚したくはない。

大来皇女は伊勢神宮の斎宮に任ぜられていた。
神を祭ることにすべてを捧げる仕事である。
多分、すべてが公の生活をしていたのだろう。
だから、簡単に伊勢神宮を離れることができず
弟に対する思いも、もどかしいところがあったに違いない。

神様はときに、
ある種の人間に悲劇の主人公を演じさせ、
その人を試される。
それを、となりで見守り、亡くなっていった人を
悲しみ傷む女性の歌がここにある。

二上山は、ふたこぶラクダの背中のような山だ。
僕も飛鳥にいったとき、よくこの山を見ていた。

この山を弟として、見守って生きている女性の歌に
悲しみと共に、女性の優しさと安らぎを
僕は感じる。









この馬酔木、大来皇女に捧げちゃおう ・・・・

すこしは慰めになるかな?

近くの駅のスタバでこれを草稿しているが、
書いている途中で、切なくなってきて涙が出てきてしまった。
ああ恥ずかしい ・・・・


上の文章と矛盾するかもしれないが
率直な感想を書くと
大津皇子は、ちと問題ありだね。

姉が伊勢神宮の斎宮に選任されて
それなりの使命を果たしているのに
のこのこ会いにいくなんてね。
姉が国の公の仕事をしている最中にだよ・・・・
で、父親の天武天皇は危ない状態だった
というから余計だよね。
気持ちはわかるけど、軽率だよね。

日頃の行動でも、この様なことが出るんだろうね。
それで、それなりの評価をされたのかもしれない。
会社の管理職くらいになると、このくらいは読めるようになるよね。

頭がよくて、いい男と書物では書いてあるらしいけど
万葉集にある大津皇子の歌を読んでみても
なにか鼻にかけていて、伝わってこないものがあるなあ。
精神的に弱いのかな ・・・・

男性心理として、女性に甘えたいところは書いたけど
やっぱり分別がなければね。
耐えるところは、やっぱりきちんと耐えて
やることやらなきゃ・・・・

大来皇女の歌は
巻第二の105と106に、訪ねてきた大津皇子を
見送る時の歌がある。
また、巻第二の163と164は、伊勢の国から都に
戻ってきたときに詠んだ歌がある。
どの歌も、読んでみると切なくなる ・・・・

大津皇子が伊勢にきた時、
大来皇女が心を鬼にして会わなかったらと思うこともある。

若さにこんなことを要求をするのは酷なことかな。


でも、きれいでステキなお姉さんだったのだろうね。
歌を読んでいると、感性の豊かさと芯の強さを感じる。
上の馬酔木のフォトみたいな女性だろうなぁ~
一度会って話をしてみたいな・・・・・・・








                In the Wake of Poseidon






なびけ この山

2011-07-09 | かってに万葉



ども まあです 

暑いですね~



今回の 「 かってに万葉 」 は相聞の長歌をやりますよ
長いので読むのが面倒な方は私訳だけでもいいかも ・・・・

それから 反歌二首は省略ね


            石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ
           潟なしと [一云 礒なしと] 人こそ見らめ
           よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟は [一云 礒は] なくとも
           鯨魚取り 海辺を指して 柔田津の 荒礒の上に か青なる
           玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄せめ 夕羽振る 波こそ来寄れ
           波のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 寄り寝し妹を [一云 はしきよし 妹が手本を]
           露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど
           いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎へて
           偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山

                                                                                        131    巻第二


           いはみのうみ つののうらみを うらなしと ひとこそみらめ
           かたなしと[いそなしと] ひとこそみらめ 
           よしゑやし うらはなくとも よしゑやし かたは[いそは] なくとも
           いさなとり うみへをさして にきたづの ありそのうへに かあをなる
           たまもおきつも あさはふる かぜこそよせめ ゆふはふる なみこそきよれ
           なみのむた かよりかくより たまもなす よりねしいもを[はしきよし,いもがたもとを]
        つゆしもの おきてしくれば このみちの やそくまごとに よろづたび かへりみすれど 
          いやとほに さとはさかりぬ いやたかに やまもこえきぬ なつくさの おもひしなえて
           しのふらむ いもがかどみむ なびけこのやま


私訳       石見の海の津野の海岸を
             よい入江などないと 人は見るでしょう
             よい干潟などないと 人は見るでしょう
             
             でも ・・・・
             たとえ よい入江はなくても
             たとえ よい干潟はなくても
             私には かけがえのないところ

             この海辺の 和田津の岩場のあたりに
             青々とした玉藻(たまも)や沖の藻(も)が向かい来る

             朝には 鳥が羽ばたくように吹き寄せくるし
              夕べもまた 羽ばたくように波が寄せてくる
            
             その波のままに あちらへ寄ったりこちらへ寄ったり
             揺らぐ美しい玉藻のように 寄り添って寝た妻を
             露 (つゆ) や霜 (しも) が 優しくふってくるように
             津野の里に
置いてきた・・・・

             この道の曲がり角 曲がり角ごとに
       何度も振り返って見るけれど
           
             遠く遠く 妻のいる里は離れてしまった
              高く高く 山も越えて来てしまった
           
             妻は今頃
       夏草が日差しを受け しおれるように嘆いて
               私を慕っているだろう
            
             だから 私は
       この山の向こうにある
       ずっと門に立って見送っていた愛おしい妻を見たいのだ

       山よ 妻を見るじゃまをするな
     
             なびけ この山!



なびけこの山!ってスゴイ言い方だよね

「家の門で見送っている妻が見たい
     じゃまな山よ、どけ!」

ながながと歌っているけど
最後のこの一言でびしっと決めているね
さすが 柿本人麻呂ですね
スゴイ言霊です








この花の花言葉 「 永遠にあなたのもの 」 だって ・・・・


なびけこの山!はスゴイけど
その前は  しっとりと情感豊かに歌っているよね


「 露霜の 置きてし来れば・・・・」

なんて 訳すのに気をつかった

それと

「 波のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 寄り寝し妹を 」

なんて  簡単に読み過ごしちゃうけど
すごく艶めかしく  きれいな表現だよね
夫婦の睦事を こんなきれいな言葉で歌うのは
やっぱり万葉ですね
 ( この阿呆親父 勝手に睦事と決めこんでるよ~ )





万葉の 相聞書きたる 夜ひとり
             いと恋しきは 貴女の言霊


                             まあ






コスモスの咲く (くに)




恋のパーレイ

2011-06-21 | かってに万葉









 久しぶりの かってに万葉~ wwwwwww


それで なんとなく相聞をやりたくなりました
っていうか この歌読んで共感を覚えちゃったんです

恋のパーレイ・・・・
そんな気分です

では いってみましょう~



      み薦刈る 信濃の真弓 わが引かば
                        貴人さびて いなと言はむかも             96


        み薦刈る 信濃の真弓 引かずして
                                 強ひざる行事を 知ると言はなくに         97


           梓弓 引かばまにまに 依らめども
                             後の心を 知りかてぬかも                98


              梓弓 弦緒取りはけ 引く人は
                                  後の心を 知る人ぞ引く                  99


                                                                          巻第二


            みこもかる しなののまゆみ わがひかば
                                 うまひとさびて いなといはむかも


            みこもかる しなののまゆみ ひかずして
                                 しひざるわざを しるといわなくに


            あずさゆみ ひかばまにまに よらめども
                                 あとのこころを しりかてぬかも


            あずさゆみ つらをとりはけ ひくひとは
                                 あとのこころを しるひとそひく




私訳     男      信濃のあの弓を引くように 貴女の心を引いたなら
                 貴女は淑女らしく いやだというのでしょうか ・・・・


        女   あなたは 信濃の弓を引けといいますが
                気を引くために わざと強いているなんて
                私~ 知りませんわよ・・・・


            女    梓の弓を引くように わたしの心をその気にさせれば
                    あなたに依っていきましょう
                    でも その後の心は どうなっていくのでしょうか


            男     梓の弓に弦 (つる) をつけて 人の心を引く (惹く) 人は
                    後々の心を知っているから引く (惹く) のですよ



大人の歌ですね~

惹かれていく女心
でも 女性も百戦錬磨
「私~ 知りませんわよ」 は こんなときの常套句ですね
しかし だんだん落ちていくのです
依りかかりたい気持ちと分からない相手の気持ち
不安の中で揺れる恋心

で 男は 「後の心を知る人ぞ引く」 
なんていって 強引に攻撃をかけるのです

さて この恋の行方どうなるんでしょう
きっと この後 すったもんだがあり
「パーレイ」  なんて どちらかが言うのでしょうか?
それとも 言葉のお遊びで済ますのでしょうか?

どちらにしても 厄介な恋物語かも・・・・ (笑)
(でも 笑い事じゃないかも・・・・)



    梓弓 引きてのちに 噛みつかれ
           後のこころは 瀕死の重傷 ・・・・

                        まあ




         
恋と愛の間




雪事件

2011-01-03 | かってに万葉













年が明けて 正月なんだけど
左手が使えないので
なにも 出来ない正月です

それで ブログの更新もサボり気味・・・・

ふぅ~

でも 今日は 「かってに万葉」 いきますね

今回は天武天皇とお后さまの歌のやりとりです
子どもの いいあい みたいな歌ですよ

行ってみましょう



    わが里に 大雪降れり 大原の
            古りにし里に 落らまくは後         103


    わが岡の おかみに言ひて 落らしめし
            雪の催けし 其処に散りけむ       104

                                巻第二



    わがさとに おおゆきふれり おおはらの
                      ふりにしさとに ふらまくはのち


    わがおかの おかみにいひて ふらしめし
                      ゆきのくだけし そこにちりけむ



私訳  ( 威張りながら・・・・・ )
     私の住んでいる所に雪が降ったぞ!
     お前の住んでいる大原に雪が降るのは
     しばらく後だろう
     ( 勝った!)

     ( いたずらっぽく・・・・)
     そうぢゃありませんよ
     私が この里の龍神様にお願いして
     降った雪のかけらがそちらに流れて
     降ったのですよ
     ( 「そんなことで威張らないで下さいな 」  と思いながら 負け惜しみ ・・・・・・ )




このやりとりの情感豊かなこと
天武天皇とお后の藤原夫人とのやりとり
雪が先に降った降らないでいいあう仲
イイですね
羨ましいです
この歌から  天智天皇と額田王と天武天皇の関係は微塵も見えませんね

前に  吉野への行幸の暗い歌を載せたけど
こんな歌もあるのです




         





額田王

2010-10-20 | かってに万葉











久しぶりに 「 かってに万葉 」 をやります

今回は額田王の歌
相聞と挽歌  ひとつづつです

知性というのは
自分を良く見せるための飾りとか
自分を守るためのヨロイとか
知らないあいだに そう思っていたのを
しばらく反省していました

なんとか
僕なりに落としどころが見えてきて
落ち着いてきたので
今日は やります




君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の
        すだれ動かし 秋の風吹く                 488

                                            巻第四


かからむの 懐知りせば 大御船
           泊てし泊りに 標結はましを         151

                                            巻第二                                                         



      きみまつと わがこひをれば わがやどの
             すだれうごかし あきのかぜふく


          かからむの おもいひしりせば おおみふね
              はてしとまりに しめゆはましを





あなたを待っていて 恋しさが胸をかすめていった時
      秋の風が 家のすだれを動かした・・・・


あなたがお隠れになってしまう  そんなあなたの
お気持ちが判っていたなら
あなたの乗られる船を 標に結んで
       出られぬようにしておきましたのに・・・・




二つの歌は 天智天皇のことを詠った歌
額田王の天智天皇への想いが感じられる

相聞の 「 すだれ動かし 秋の風吹く 」 なんていいよね
すだれが動いて天智天皇が入ってこられるかと思ったら
秋の風が家の中に入ってきた
そのあとの余韻 ・・・・
切ないね
僕も こんな思いしたことあるよ


挽歌は 言霊がやわらかで悲しみが
じわっと心に染みてくる
「 はてしとまりに しめゆはましを 」 なんて
口に出して読んでみると
絶妙な  やわらかい言葉のリズムの中に
悲しみを感じるね












若い頃  大和和紀と思ったけど
天智・天武天皇 額田王が出てくるマンガがあったね

「 天の果て地の限り 」 とかいう題だっけ
何回か読んだけど ( 若い頃少女マンガはよく読んだ )
もう内容は忘れてしまった

でも  額田王がすごく可愛かったことを覚えている
天智天皇は  すごくダンディで
天武天皇は 甘いマスクのイケメンだったような気がする

で  何が言いたいかというと
額田王は天武天皇を愛し  その後 天智天皇を愛したのでは
ないだろうかと思うのです
この歌を読んで天智天皇の謀略で一緒になったしまっただけで
愛していなかったとは考えにくいし ・・・・

どうなんだろう?

この時代の恋愛感覚と
現代の恋愛感覚とは異なるだろうしね

だから
天智・天武天皇 額田王の恋愛・結婚の話を
現代の恋愛感情と一緒にして言葉にするというのは
僕は ちょっとごめんなさい
って言って パスしてしまう

でも額田王の歌は  言葉の響きは絶品だよね
これだけは まちがいない







天智天皇は飛鳥の都から琵琶湖のほとりに都を移した
遷都だよね
大化の改新以降  内患外憂の中で
この国の舵をとり続けた天智天皇

時に心を鬼にして  皇族を切ったこともあるだろうし
目をつぶって  心ない豪族に官位を授けたこともあるだろう
気が休まらない日々を送っておられたのだろう

その御心を慰めたのは琵琶湖の水面を飛び交う
水鳥だったのかもしれない
また船に乗り その水鳥たちを愛でて
心を癒されたのかもしれない

そのことを
その心を
         額田王は 我が事のように思っていたとしたら ・・・・


そんな
僕の勝手な想像が
この挽歌のかなしみの色をより深めていく






月のしずく




しこのますらお

2010-09-25 | かってに万葉









丈夫や 片恋ひせむと 嘆けども
                    醜の丈夫 なほ恋ひにけり          117

嘆きつつ 丈夫の 恋ふれこそ
                       わが髪結の 漬ぢてぬれけれ           118 

                                    巻第二


      ますらおや かたこいせむと なげけども
         しこのますらお なほこいにけり


        なげきつつ ますらおのこの こいふれこそ
          わがかみゆいの ひぢてぬれけれ



私訳     日本男子たるものが  片思いなどするものでないと嘆くのだが
                  その 「 しこのますらお 」 たる 日本男子は恋に苦しむのだ ・・・・


     その嘆きながら ますらおサン が恋してくださるからこそ
            私の髪結いの糸も 濡れて溶け 髪がほどけるのね 。。。。。



うーん
「 勝手にやっとれ
と言いたくなりますね この二人・・・・

なんか今日は 相聞なんかやるんじゃなかった
舒明天皇か天智天皇の格調高い歌を
やればよかった ・・・・・・

と後悔しています





訳の 「 髪がほどけるのね 」 は勝手な付け足し

髪がほどけると恋されているという話がその当時あったらしい
だから付け加えました

いたずらっぽい恋のやりとりを感じる歌でしょ
それで  純粋で素朴さもあってイイ歌だなぁ
と思ってます
この時代の人々は 情感豊かに生活していたんだろうね
コクリ方 もこんな風だと おしゃれですよね

恋愛には 真剣さと気の利いた愛の言葉
それと
きれいな音楽が欲しいね

万葉集の相聞って
おおらかでイイよね ・・・・





たしかな愛




わが背子は ・・・・

2010-09-04 | かってに万葉










わが背子は 仮廬作らす 草無くは
               小松が下の 草を刈らさね

                                            11   巻第一



     わがせこは かりほつくらす くさなくは
               こまつがしたの くさをからさね




ひと夜の宿を作る草がないのなら      
そこの松の下の草をお刈りなさいな
愛しいお方 ・・・・




今回は雑歌  といっても相聞ぽい歌だよね

きっと  夫婦の契りを交わしたばかりの旅の途中の歌だろうね
旦那の方が ひと夜の宿を作るために草を刈っているが
刈る草が無くなってきたみたい

そこで奥方が 「 そこの松の下の草を刈るといいわよ 」 って言っている
ただそれだけの歌だけど
夫婦の優しく暖かいやりとりを感じるし
その情景が目に浮かぶよね

ホントになにげない歌だけどイイ歌でしょ
万葉集の中で好きな歌のひとつです







訳の「愛しいお方・・・・・」というのは蛇足のような気がする
どうせ入れるなら 「 愛しいお方・・・・・・ウフ。。。 」
というくらいにまでした方が いいかも  ( ちょっとのりすぎかな? )
歌にも 背子とあるから入れてもいいのだけども・・・・

でも  これがないと通じないかもと思って
うーんと考えながら入れました





Easy Does It & Sister Moonshine




いのち短し 恋せよ をとめ

2010-08-16 | かってに万葉










ちわっ!

最近 ストイックの道を究めようと
精進 精進の まあ です~

このストイックの道を極めて
「 禁欲生活の果てに 」
副題 「 我がストイシズムの栄光 」
という本を かなりマジで書こうかなって思ってます
( きっと無理でしょうけど・・・・・・ )



今日は 「 かってにまんよー 」 です
今回は  おもいっきり力を抜いていきます
ヨロシク~
 
あっ そうそう
もちろん 今日は相聞ですよ~
では いってみましょ~





      事も無く 生き来しものを 老いなみに
             かかる恋にも われは遇へるかも      559

    こともなく いきこしものを おいなみに
             かかるこいにも われはあへるかも


        私訳  ( 品のあるお局様風の女官が空を見上げつつ )

今まで何事もなく生きてきたのに
           こんな歳になって、、、
        こんな恋に遇うなんて。。。。。


       



    黒髪に 白髪交り 老ゆるまで
             かかる恋には いまだ逢はなくに              563
    
    くろかみに しらかみまじり おゆるまで
             かかるこいには いまだあはなくに



        私訳  ( 契りを終えて 寝物語が途切れた時に・・・・ )

黒髪に白いものが
交じってきたこの歳まで
       こんな恋に逢ったことなかったわ・・・・・・




       


      ぬばたまの 黒髪変り 白髪ても
             痛き恋には 逢ふ時ありけり         573    

        ぬばたまの くろかみかわり しらけても
              いたきこいには あうときありけり



        私訳  ( 君を想って 苦しい夜に・・・・ )

              自慢の黒髪が白くなっても
             苦しい恋に逢うときがあるのね
           ああ  切ない ・・・・・・・・・

                                                                                  巻第四



うーん  今日はノーコメントです
( 墓穴掘りそうな気がする ・・・・ )  


でも  歌を一首  詠みましょう



   無常なる 風に白髪 なびけども
            やさしき心 恋せよ乙女(をとめ) 
                     
                                    まあ






30年を2時間半で・・・