問題が大きすぎて 壁のように立ちはだかるとき
解決方法として
ひとつは 問題を迂回する
もうひとつは 問題を小さく砕いて 少しづつ解決していく
たとえ とてつもなく大きな問題で
解決できそうもなくても
腹を決めて 少しづつでも解決していく
ひとつ問題を片付ければ ひとつ進む
いずれ tipping point がくることを信じて
頑張るしかない
う~ん
愚痴めいている投稿だけど
まっ 愚痴が気になる人は
ふぉと だけでも観ていってください
この世の憂いはあるものの
憂いに恨みはあるものの
恨みにとらわれずに
ときとして
春の陽射しに すべてを忘れ
光の中で過ごしていよう
この世の務めは この世の務め
あの世の憧れは あの世の憧れ
ああ ゆっくりと
時は流れていく
ここのところ ストレスが溜まりまくり
人生は一冊の問題集
なんて言うけど
この歳になって出てくる問題は
総仕上げみたいなところだろうか
そう 考えてしまう
まぁ それでも
美しいものでも撮って
過ごしていきましょう
すべての人の中に光を見出すべし
責任から逃げるな
逃げると難題から追いかけられるぞ
なんて 自分に言い聞かせた
どうしようか
自分が起こしたトラブルではないが
一応 面倒をみてあげる立場だ
逃げずに 現場に行って
いろいろと対処したし頭を下げてきた
警察の方も あなたが来たおかげで
スムーズに対処できました
あなたが来なかったら
どう対処していいか 困るところでした
と 言っていた
一件落着とはいかないが
なんとか 収まって家に帰った
夜 お風呂に入っているとき
至誠に悖るなかりしか
という言葉が浮かんできた
五省といって
昔 海上自衛隊の第一術科学校で
毎晩唱えた言葉だ
今日一日 誠実さや真心 人の道に背くところはなかったか
って 考えた
まぁ がんばったなぁ~
でも 責任から逃げるな
逃げると難題が追っかけてくるぞ
なんて 考え方は
まだ 自分の損得に立った考え方だよなぁ
至誠を尽くす者は
自分の損得を考えず天に恥じない生き方をすべきだ
う~ん 自分はどうだったかな
至誠にして動かざるものは 未だこれ有らざるなり
これは 吉田松陰の言葉だけど
この価値観に恥じない心だったかな
自分が損をすることを考えずに
至誠というとくすぐったいが
誠を尽くて事に当たる
と いうことだけはできたかな・・・・
でも 至誠を尽くすには
そうとうの覚悟がいるよね
月曜日に佐布里池に行ってきた
今回は 70-200mm だけで撮ろうかな
って 思ってた
まぁ それでボケにも こだわったのですが・・・・
被写体との距離の取り方が
まだわからん
撮っているうちに 紅白にこだわりだした
ボケを出す 距離感はつかみかけたが・・・・
なにかピンとこない
でも 撮らないと 前に進めない
伝えるものが わからない・・・・
まぁ 自分の好きな撮り方ばかりしていても
進歩はないから
たまに ちがう撮り方をするのは
いいと思う
ふぉと を撮っているとき
ボケが好きで ついついボケに走りがちになる
思いこみで ボケてるのを撮るけど
後から見ると 見るに堪えないものが多々ある
それでも 懲りずに撮っているが・・・・
どうなんだろう
撮っているうちに なんとか見られるように
なるだろうか
昔 伊勢の神様たちが小石を投げて
向かいの岸まで 小石がとどくか
力比べをいたしました
最初に 万旗豊秋津姫命(よろずはたとよあきつひめのみこと)
が 投げました
この神様は 天照大神(あまてらすおおみかみ)に
仕える機織りの女神です
小石は 向こう岸までとどかず
伊勢湾に散らばり落ちてしまいました
次に 伊勢神宮内宮に鎮座する御祭神
天照大神(あまてらすおおみかみ)が石を投げると
海岸を超えて 山の中に
小石が落ちたそうです
3番目に 天手力男命(あまのたぢからおのみこと)
が投げたのが写真の巨石です
この神様は 天照大神がお隠れになった
天の岩戸をこじあけた
力持で有名な神様です
投げた石は
見事 つぶて浦の海岸に とどきました
最後に ひとつかみ 小石を投げたのが
豊受大神(とようけのおおみかみ)です
豊受大神は 伊勢神宮外宮に鎮座する御祭神で
衣食住の守り神です
豊受大神の投げられた小石は
天手力男命が投げた巨石のまわりに
パラパラと落ちました
神様たちが 投げられた小石(つぶて)が
たくさん落ちていることから
ここが つぶて浦 と呼ばれて
伊勢神宮を遥拝するところに鳥居が建っています
昨日 つぶて浦の 夕陽に映える鳥居を
撮りに行こうと思い立ち
行ってみました
10人ほど 撮影に来ていました
中には 常連ともいえそうな
長靴を履いている人もいました
昨日は 引き潮でよかったけど
満ち潮だったら
濡れて撮ることになりそうです
つぶて浦の
このような民話があるのを知らなかったのですが
この国らしい ほのぼのとした
お話ですね
今日は 佐布里池の梅まつりに行ってきた
もちろん 梅の花を撮ってきたが
たまには ちがう ふぉと をあげようかな っと思って・・・・
我が愛機 D750と24-120F4のレンズです
まぁ 愛機だけでは さみしいので・・・・
テーブルの上にあるものを 並べてみました
この歳になってこればねぇ
人様の事情も解ってくるようになる
世間では 酷い言われようだったり
非道な人だと言われたりすることもあるけど
大切なものを守るために
行動を起こしたり 発言しなければならないときもある
世間の流れが すべて善とは言えない
そんなとき 人様の事情も理解して
何が正しいのか?
どうあるべきか?
を 自分で考えなければならないよなぁ
と 今日のニュースを見ながら
そう思った
なんとなく 春になりぬと 聞く日より
心にかかる み吉野の山
西行
さきそむる 花を一枝 まづ折りて
昔の人の ためと思はむ
西行
願わくば 花の下にて 春死なん
そのきさらぎの 望月のころ
西行
このブログ 2009年7月11日に始めた
12年くらい書いているかな
ブログ解説から4610日だって・・・・
長く書いてない日もあったから
頑張っていたなんて思わないけど
まぁ よくやってきたと思うよ
上の ふぉと
白鳥庭園の福寿草
全開放で撮ってみた
それで 何が言いたいかっていうと
何なのかなぁ
10年前の自分が書いたものを読んでみて
若いなぁ~ って思うんだ
同じ福寿草 絞りを絞って撮ってみた
これはこれで イイ感じがする
15年ほど前に妻と死別した
その時
これからどうやって生きていこうと思っていた
まず 自分の中にあるものを観て
その思想を思い出して
自分が何者なのかを確かめてみよう
と ブログを書き始めた
それが この後の人生の核になるだろう
まぁ 自分の性格として
かっちりとしたものでなく
なんとなく確かめて感じて悟ればいい
という感じだったかな
それから 15年ほど経ったが
辛いこと 苦しいこともあるけど
景色を楽しむ旅のように生きている
川も下流になってきたのかな
この世をば まぼろしと言わば まぼろしと
言うもこだわる 愚か人 (おろかびと) かな
まあ
カメラとレンズを買った
使っていないレンズがあったので 下取りしてもらい
中古のD750 24-120 VR レンズキットを買った
今日 白鳥庭園に行き
D750で撮ってきた
じつは FX機は 初めてではない
D750 D810 D850 と使ってきたが
D850と大三元レンズを使って撮っていた時
どうしても 画像がぶれるのが気になっていた
性能が精細すぎて手に負えない感じがして
これは オレが持つカメラじゃない
DX機で充分かな と 思って 手放した
だけど ここのところ
FX機の感触が懐かしくて
FX機が欲しいなぁ~ なんて思っていた
ただ D850は使いこなせないから
やめておこう とも思ってた
それで 使っていないレンズを売ると
どれくらいになるかな と調べて
下取りして D750レンズキット買うと
少しばかり 戻ってくるくらいで買えることが分かった
こいつは 買いだな
ひとり ほくそ笑んだ
と そんなわけで FXに帰ってきました
まぁ マイペースで
これからも 撮ってまいりますよ
ああ 劔を撮りたいなぁ