僕はこれまで何につけても「自分ひとりでやる」ってことに異常な執着を見せてきた。‘他人の力を借りずに自分の力だけでやってこそ価値がある’みたいな。
これはおそらく父親の影響からくるものだろうと。
父は、僕が中学生くらいのそこそこ思慮分別のつく歳になってもいつまでも子ども扱いし、何でもかんでも自分が代わりにやろうとするきらいがあった。
それはそれで愛情の裏返しなのかもしれないが、僕はそういうのが大嫌いでいつの間にか「いや、自分でやる」が口癖のようになっていた。たとえ本当は自分の力でできそうもないことでも・・・
それくらい親の力を借りるのが嫌だった。
結局、社会人になってからも潜在的にそういう意識が働いて何かにつけ‘自分で決断し、自分で実行する’っていうのが当たり前になっていた。
仕事、引越し、結婚、離婚、すべて親に相談や許可を求めたことなど一度もなかった。
常に事後報告しかなかった。
「~してもいい?」じゃなく「~するから」「~したから」みたいな。そこには有無を言わせない強い意思があったように思う。
しかし最近、「自分の力」に対しての認識が少しばかり変わってきた。
もちろん、今までの考え方を全否定するわけではないが、周りの助けも全部ひっくるめてそれが「自分の力」なんだなぁって。
先日ある方に「周りがあなたをサポートしてくれるのは‘あなたの力’がそうさせているのですよ。だから堂々と周りの力を借りればいい。そして前に進んでいきなさい。そうすることが周りに還元することになるんです。」と言われました。
なにかフっと肩の力が抜けたっていうかね。あー、みんなと一緒に歩いていけばいいんやー、みたいな。
うん、これからも上を向いて歩いていこう
これはおそらく父親の影響からくるものだろうと。
父は、僕が中学生くらいのそこそこ思慮分別のつく歳になってもいつまでも子ども扱いし、何でもかんでも自分が代わりにやろうとするきらいがあった。
それはそれで愛情の裏返しなのかもしれないが、僕はそういうのが大嫌いでいつの間にか「いや、自分でやる」が口癖のようになっていた。たとえ本当は自分の力でできそうもないことでも・・・
それくらい親の力を借りるのが嫌だった。
結局、社会人になってからも潜在的にそういう意識が働いて何かにつけ‘自分で決断し、自分で実行する’っていうのが当たり前になっていた。
仕事、引越し、結婚、離婚、すべて親に相談や許可を求めたことなど一度もなかった。
常に事後報告しかなかった。
「~してもいい?」じゃなく「~するから」「~したから」みたいな。そこには有無を言わせない強い意思があったように思う。
しかし最近、「自分の力」に対しての認識が少しばかり変わってきた。
もちろん、今までの考え方を全否定するわけではないが、周りの助けも全部ひっくるめてそれが「自分の力」なんだなぁって。
先日ある方に「周りがあなたをサポートしてくれるのは‘あなたの力’がそうさせているのですよ。だから堂々と周りの力を借りればいい。そして前に進んでいきなさい。そうすることが周りに還元することになるんです。」と言われました。
なにかフっと肩の力が抜けたっていうかね。あー、みんなと一緒に歩いていけばいいんやー、みたいな。
うん、これからも上を向いて歩いていこう