11/3のレトロ電車さよならイベントの琴平線Last運行を撮っていた合間に、高松空港に隣接するさぬきこどもの国に保存されている62号車を撮りました。
1枚目は、さぬきこどもの国に保存されている62号車を縦アングルで撮りました。
上屋やプラットホームが設置されており、最近、再塗装された模様で保管状態は良好と思われます。
2枚目は、横アングルで撮った62号車です。
ちょうど良い角度で撮ろうと思うとゴミ箱が入ってしまいました。
ゴミ箱が入らないようにサイド重視で撮り直そうと思ってましたが、人出が多かったので後で撮ろうと思っていて忘れてしまいました。
3枚目は、反対側の62号車です。
フェンスが近くにあり、樹木も茂っておりアングル的には厳しいです。
4枚目は、車外に表示された表示や銘板です。
表示類は古い記述が塗装の下に薄っすら見えるので、再塗装の際に書き直されたようです。
5枚目は、62号車の台車です。
詳しくは分かりませんが、通称 喫茶店と呼ばれた旧阪神881形由来の川崎車両ボールドウィン系(U形イコライザー)に交換されているそうです。
6枚目は、台車の銘板で「昭和16年 川崎車輌」となっています。
60形は東急デハ5100形、サハ5100形、クハ3140形などが国鉄63形の割り当てを受けた見返りの供出車として供出され、1948年に高松琴平電鉄に7両が譲渡されてています。
元は当時は東急に併合されていた京浜電気鉄道の29号形、32号形、36号形などの1913年製の木造車で、登場時には客用扉が無いオープンデッキの軌道線タイプの車両でした。
後に鉄道線専用にステップの廃止してオープンデッキ部および車体中央に外側式の引扉を新設され、鉄道線の車両らしくなっていました。
4両は電動車に改造され長尾線、志度線の60形、3両は制御車となり長尾線、志度線用の70形と琴平線用の15000形となっています。
60形の内、62号車は1953年に今橋工場で台枠のみを拡幅して流用し、前面は非貫通2枚窓で側面は2扉のノーシル ノーヘッダー車体が新製されました。
1966年の志度線の架線電圧昇圧の際には昇圧改造を受け、1981年には前面に貫通扉が設置されました。
1994年の瓦町駅近代化に伴う志度線分断により、長尾線で運用されました。
2002年に引退した後、さぬきこどもの国に保存されています。
1枚目は、さぬきこどもの国に保存されている62号車を縦アングルで撮りました。
上屋やプラットホームが設置されており、最近、再塗装された模様で保管状態は良好と思われます。
2枚目は、横アングルで撮った62号車です。
ちょうど良い角度で撮ろうと思うとゴミ箱が入ってしまいました。
ゴミ箱が入らないようにサイド重視で撮り直そうと思ってましたが、人出が多かったので後で撮ろうと思っていて忘れてしまいました。
3枚目は、反対側の62号車です。
フェンスが近くにあり、樹木も茂っておりアングル的には厳しいです。
4枚目は、車外に表示された表示や銘板です。
表示類は古い記述が塗装の下に薄っすら見えるので、再塗装の際に書き直されたようです。
5枚目は、62号車の台車です。
詳しくは分かりませんが、通称 喫茶店と呼ばれた旧阪神881形由来の川崎車両ボールドウィン系(U形イコライザー)に交換されているそうです。
6枚目は、台車の銘板で「昭和16年 川崎車輌」となっています。
60形は東急デハ5100形、サハ5100形、クハ3140形などが国鉄63形の割り当てを受けた見返りの供出車として供出され、1948年に高松琴平電鉄に7両が譲渡されてています。
元は当時は東急に併合されていた京浜電気鉄道の29号形、32号形、36号形などの1913年製の木造車で、登場時には客用扉が無いオープンデッキの軌道線タイプの車両でした。
後に鉄道線専用にステップの廃止してオープンデッキ部および車体中央に外側式の引扉を新設され、鉄道線の車両らしくなっていました。
4両は電動車に改造され長尾線、志度線の60形、3両は制御車となり長尾線、志度線用の70形と琴平線用の15000形となっています。
60形の内、62号車は1953年に今橋工場で台枠のみを拡幅して流用し、前面は非貫通2枚窓で側面は2扉のノーシル ノーヘッダー車体が新製されました。
1966年の志度線の架線電圧昇圧の際には昇圧改造を受け、1981年には前面に貫通扉が設置されました。
1994年の瓦町駅近代化に伴う志度線分断により、長尾線で運用されました。
2002年に引退した後、さぬきこどもの国に保存されています。