3/30に、長崎電気軌道 浦上車庫~大橋電停間でさよならパレード運行の151号を撮りました。
長崎電気軌道の車両の内、他都市からの譲渡車両である151号(旧箱根登山鉄道小田原市内線)、701号(旧東京都電)、1051号(旧仙台市電)が3/31限りで引退することになりました。
最近は営業用には使用されずイベント車両として動態保存されていましたが、動態保存の維持管理が困難との理由です。
3月になってから、週末ごとに1両ずつさよなら運行が行われていました。
この日は、3両揃ってさよならパレード運行が行われるとのことで、何とか日程をやり繰りして出掛けました。
151号は、1925年(大正14年)に旧王子電気軌道(後の東京都交通局荒川線)で400形という高床式木造ボギー車として登場しています。
1942年(昭和17年)に電力統制と交通統制により東京市に事業譲渡されて、1943年(昭和18年)に都制施行により東京都電になりました。
第二次世界大戦後の1952年(昭和27年)に小田原市内線の廃止とともに、長崎電気軌道へ譲渡されてモハ20形(車号は201、202)となりました。
長崎入りに当たり、車体前後を切断して車体長を11mに短縮化し、鋼板張り車体に更新され151、152号として登場しました。
1966年に360形が登場した後はラッシュ時専用となり、1973年には低床化されてたそうです。
後に151号と152号で車号振替が行われて、152号(旧151号)は1987年に引退しています。
1988年には箱根登山鉄道時代の塗色に復元され、イベント用として臨時運行されていました。
しかし、3/31限りで遂に引退となりました。
1枚目は、浦上車庫電停を出発した151号です。
表示幕は回送ですが、運転台の下に「ありがとう151号 さよなら運行」の掲出がされています。
2枚目は後追いで、浦上川の鉄橋を渡り大橋電停に向かう151号です。
3枚目は順番が逆ですが、1枚目の写真を撮る前に左側の211号 赤迫行きと並んだ右側の151号です。
もう少しで被りになるところでしたが、何とか並びとなり、徐行だったので1枚目のように単独の姿も撮ることができました。
長崎電気軌道の車両の内、他都市からの譲渡車両である151号(旧箱根登山鉄道小田原市内線)、701号(旧東京都電)、1051号(旧仙台市電)が3/31限りで引退することになりました。
最近は営業用には使用されずイベント車両として動態保存されていましたが、動態保存の維持管理が困難との理由です。
3月になってから、週末ごとに1両ずつさよなら運行が行われていました。
この日は、3両揃ってさよならパレード運行が行われるとのことで、何とか日程をやり繰りして出掛けました。
151号は、1925年(大正14年)に旧王子電気軌道(後の東京都交通局荒川線)で400形という高床式木造ボギー車として登場しています。
1942年(昭和17年)に電力統制と交通統制により東京市に事業譲渡されて、1943年(昭和18年)に都制施行により東京都電になりました。
第二次世界大戦後の1952年(昭和27年)に小田原市内線の廃止とともに、長崎電気軌道へ譲渡されてモハ20形(車号は201、202)となりました。
長崎入りに当たり、車体前後を切断して車体長を11mに短縮化し、鋼板張り車体に更新され151、152号として登場しました。
1966年に360形が登場した後はラッシュ時専用となり、1973年には低床化されてたそうです。
後に151号と152号で車号振替が行われて、152号(旧151号)は1987年に引退しています。
1988年には箱根登山鉄道時代の塗色に復元され、イベント用として臨時運行されていました。
しかし、3/31限りで遂に引退となりました。
1枚目は、浦上車庫電停を出発した151号です。
表示幕は回送ですが、運転台の下に「ありがとう151号 さよなら運行」の掲出がされています。
2枚目は後追いで、浦上川の鉄橋を渡り大橋電停に向かう151号です。
3枚目は順番が逆ですが、1枚目の写真を撮る前に左側の211号 赤迫行きと並んだ右側の151号です。
もう少しで被りになるところでしたが、何とか並びとなり、徐行だったので1枚目のように単独の姿も撮ることができました。