Anatole FranceのLes Humanites。『わが友の書』の一節であり「Je vais vous dire ce que me rapplleent」という美しい響きで始まる。大好きで何度も音読を試みたが、少しもうまく読めるように鳴らなかった。今回のParisの街は、まさにこの文章に書かれた季節のParisだった(実際にはこの文章より2-3週間後になるけれど、このところの温暖化のせいか、体感としてはほぼ同じではないかと想像する)。
Parisの街は、いつでも私の目には素晴らしく映る。かねてからの疑問は、この豪華な街に生まれ育ったら、どんな風に歴史を捉えるのだろうか、ということ。そして過去に生きた人々は、この街をどのように捉えていたのだろうか、ということ。もちろん、時代及び階層別に。
なぜこの街が素晴らしく見えるかといえば、最大の理由はその都市設計や建築(宮殿、美術館(元宮殿)、橋、etc)。即ち過去における大規模工事である。これだけの大規模工事ができたということは、権力の集中を意味しているわけで、依頼主(国王、皇帝、貴族、豪商)にとっての歴史と、施工者にとっての歴史が同じとは思えない。
教会建築も、素晴らしいと思うし、宗教というものに対してはニュートラルな(良い面も悪い面も認める)立場を取る私だけれど、そのあまりの見え透いた舞台装置に、時々権力者に対して腹立たしく思い、民衆を気の毒に思い、しかし、これだけの芸術を残してくれたことに感謝する、という複雑な思いを抱く。
いずれにせよ、私のような傍観者が、口をあんぐりと開けて「綺麗ねぇ~」とため息をついているのとはわけの違う重みが、それぞれの人間の中にあったはずではないか、と思ってしまうのは暇人の考えることか。過去に生きた人々は、そんなことを考えることもなく、ただ、君臨すること、仕えることが当たり前だと思いながらそれぞれの生を全うしたのか。
おそらく、私のように「はて」と思ってしまった人間が、革命なぞを起こし、断頭台の露と消えたのだろうな。