ブルッフのVn協奏曲。第1楽章でソロを受けたオケがUn poco piu vivoに入った後、弦パートのみでsempre ffで演奏する部分、ここがなぜか脳幹を刺激するので、好きな曲。 ルノー・カプソンが、Panetteで弾くというので、バービカンへ。
これまた数日前に入手したチケット。家でのんびり夕飯を食べてから出かけて、開演時間ぎりぎりに到着-と、結局一列目(row Cなのに)のソリストの目の前。ルノーの目の前で聴くのは気が引けたが、今から別の席を探すのは難しい、と諦めた。
残念ながら、Panetteの輝かしい音がなかなか響いてこなかったのだが、それでも、第3楽章にはいってスコアEに入る前の重音を上手く弾ききった!と思ったところからPanetteが鳴り始めた。Fに入る前のcon forzaの重音のもたつきは気に入らなかったが、それ以外最後は楽器が鳴ってよかった。Panetteのこの声を聴くために今日は来たのよ!
Panette-この素晴らしい楽器を至近で眺め、左手はこんな風には動かないけれど、私がこの楽器を弾いても、こういう音はするんじゃないかとずーずーしいことを思いつつ、「代替可能性」について思いを馳せた。
歌手は本人の体が即ち楽器であり、それは誰とも共有することは出来ない。楽器(声帯)を傷つけたらお終いだ。ヴァイオリン(弦楽器)は、普通一つの楽器を複数の人間が同時期に弾くことはないが、時を経て楽器は人から人へと渡る。ピアノについて言えば、基本はホールにある同じ楽器を全ての演奏者が共有する。いずれも楽器は壊れたら別のものを購入すればよい(Panetteが壊れたら人類の損失ではあるが)。
勿論、偉大なヴァイオリニストやピアニストが引退してしまえば彼ら彼女らの「音楽」は失われてしまう。しかし、ヴァイオリンやピアノという音自体までが失われてしまうわけではない。ピアノの音色を猫のそれとピアニストのそれと違う、という議論もあるが、特徴のないいくつかの小節を聴いて、誰が弾いているのか言い当てることは極めて難しい。一方歌手の場合、数小節聴いたならば誰なのかわかるだろう。
だからと言ってピアニストに個性がないとか特別ではないと言っているのではなく、逆に工業製品であるピアノ(この間家に来たSteinwayのおじさんは怒るだろうが)から特徴的な音楽を引き出す個性や技術が必要であるともいえる。ま、どんな楽器をもプロ並みに扱えない私に音楽家は羨ましい存在だが、中でもいつでも何処でも楽器と一緒に居られて代替不能性(=希少性)の高い歌手というのは特別羨ましい存在である。
おっと、大分話がずれてしまった。
この日後半のプログラムはハーディングの指揮でブルックナーの交響曲第7番。とてもメロディアスで、初演から好評だったことがうなずける-何でブルックナー、他の作曲家に比べて一般の人気が低いのだろう?