「わたしたちも、わたしたちの持ち物も、すべて神からもたらされます」
(什分の一:天の窓を開く アンダーセン長老)
他人の家族のことは少々問題があっても、
冷静に「大変ですねぇ」なんて笑っていられます。
それが自分の家族のこととなるとすっかり様変わりします。
つい目くじらを立て、許せない感情が湧き上がってくる
…なんて、身に覚えがありませんか?
わたしにはあります。
これは責任感のせいなのだそうです。
こんな記事がありました。
「責任感が強いと身を滅ぼす」
https://raindrop.tokyo/article-551/
これまでに多くの失敗をしてきました。
未だに上手くコントロールできているわけではありませんが、
「すべてが神から与えられたもの」
そう考えることができるようになって、ほんの少しですが
責任感から解放されたように感じています。
「自分のもの」と思う気持ちから欲や高慢が生じるようです。
わたしの場合、奉献の律法に従うには
「すべては神のもの」と認める心が必要であるようです。
(什分の一:天の窓を開く アンダーセン長老)
他人の家族のことは少々問題があっても、
冷静に「大変ですねぇ」なんて笑っていられます。
それが自分の家族のこととなるとすっかり様変わりします。
つい目くじらを立て、許せない感情が湧き上がってくる
…なんて、身に覚えがありませんか?
わたしにはあります。
これは責任感のせいなのだそうです。
こんな記事がありました。
「責任感が強いと身を滅ぼす」
https://raindrop.tokyo/article-551/
これまでに多くの失敗をしてきました。
未だに上手くコントロールできているわけではありませんが、
「すべてが神から与えられたもの」
そう考えることができるようになって、ほんの少しですが
責任感から解放されたように感じています。
「自分のもの」と思う気持ちから欲や高慢が生じるようです。
わたしの場合、奉献の律法に従うには
「すべては神のもの」と認める心が必要であるようです。