「わたしたちがよく犯すあやまちの一つは、聖約…を交わすとき、それを…取引か何かのように思いこむことです」
(日々の生活に見られるイエス・キリストの力 コスタ長老)
「自分が従うと主が…どんな悪いことからも守ってくださる。…什分の一を払うと、仕事を失うことも…火事に遭うこともない、と思い込むのです。自分の思い通りに進まないと主に叫んでこう言うのです。『わたしどもが溺れ死んでもお構いにならないのですか』」
そんな災難に遭うとき、どうすればいいのでしょうか。
わたしは答えをもってはいません。
それでもこの言葉は確かだと思います。
「役に立ったのは『なぜわたしが』と問うのではなく、『何のために』と尋ねることでした」
「主から離れることではなく、主にしがみつく必要があったのです」
(日々の生活に見られるイエス・キリストの力 コスタ長老)
「自分が従うと主が…どんな悪いことからも守ってくださる。…什分の一を払うと、仕事を失うことも…火事に遭うこともない、と思い込むのです。自分の思い通りに進まないと主に叫んでこう言うのです。『わたしどもが溺れ死んでもお構いにならないのですか』」
そんな災難に遭うとき、どうすればいいのでしょうか。
わたしは答えをもってはいません。
それでもこの言葉は確かだと思います。
「役に立ったのは『なぜわたしが』と問うのではなく、『何のために』と尋ねることでした」
「主から離れることではなく、主にしがみつく必要があったのです」