モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

言うべきこと

2020-07-26 07:29:13 | 新約聖書
「言うべきことはその時に授けられる」マタイ10:19

「言うべきこと」が事前に与えられると、その言葉について考える時間がありますが、
自分の”人としての考え”が加えられてしまうことがあります。

深く考えるためには良いことなのですが、
純粋な神の御言葉ではなくなってしまう可能性もあります。

口に出すその瞬間に与えられると考える余裕はありません。
つまり人としての考えを加えることのできない”純粋な神の言葉”となります。
そして口に出した後で、その言葉について考えることになります。

主は御心によってその両方を使い分けるようです。
例えば、聖餐会での話の準備をしているときに与えられる啓示と、
説教台に立って話しているその瞬間に与えられる啓示です。

「この事について事前に深く考えなさい」というものと、
「この言葉をそのままに語りなさい」というもののようです。

「語る者は・・・あなたがたの内にあって語る父の霊である」マタイ10:20
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平安

2020-07-25 06:19:54 | 新約聖書
「平安を受けるにふさわしい家であれば・・・平安はその家に来る」マタイ10:13

「平安を受けるにふさわしい家庭」には”親しみのある穏やかな言葉”があります。
激しく刺々しい言葉が飛び交う家庭に平安はあるでしょうか。

穏やかな言葉は平安な心から出、親しみのある会話は愛のある心から出ます。
そこは更なる”平安と互いへの愛”を受けるにふさわしい場となります。

激しく刺々しい言葉は腹を立てたり、イライラする心から出ます。
そのような言葉を口から出すことは”平安と愛を捨てる行為”に他なりません。

多くの人が家庭の外では”優しく親切な言葉”を心がけるのに、
家庭に戻るとその心がけを忘れてしまうのはなぜでしょうか。

穏やかで平安があり、幸せな家庭を求めるのであれば、
誰でもできるはずの小くて簡単な、そして最も効果的な方法の一つです。
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裁き

2020-07-24 06:20:53 | 旧約聖書
「主は・・・慈しみに富み、罪とがを赦す者、しかし罰すべき者は決してゆるさず」民数14:18

”裁き”と聞くと恐れの心を抱く人が多いようです。
一般的に言われる裁きは罪に対して”罰を与えるため”のものだからです。

主の裁きとは”行いに対する報いを与える”ことが目的であり、
それは良いことには良い報い、悪いことには悪い報いを与えることです。

義人にとって主の裁きは”すべての苦労が報われる喜びの場”となり、
悔い改めることをせず罪の残る人にとっては”恐れて主の前から隠れたいと感じる場”となります。

「わたしは勝利を得て・・・エホバの楽しい法廷であなたがたに合うことになる」モロナイ10:34
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柔和

2020-07-23 06:11:25 | 旧約聖書
「モーセはその人となり柔和なこと、地上の全ての人に勝っていた」民数12:3

柔和さについては”生まれついての性質”が大きいように思えますが、
柔和であるためにもう一つの特質、方法(?)があります。
それは”すべてを主に委ねる心”です。

謙遜であるために必要なことの一つは”主の前にへりくだる心”を持つことです。
主の前にへりくだるとは”主を信頼してすべてを主に委ねる”ことです。

人は問題にぶつかるときにイライラしたり、腹を立てることがありますが、
その問題をすべて主に委ねることができるなら、心に平安を保つことができます。

親を信頼している幼い子どもが色々な問題があっても、
それを親に打ち明けて”親が受け入れてくれたと感じると安心できる”のとよく似ています。

その安心、心の平安が柔和さをもたらしてくれます。
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預言の霊

2020-07-22 06:24:23 | 旧約聖書
「主の民がみな預言者とな・・・るのは願わしいことだ」民数11:29

英語を理解するためには”英語という言葉”だけでなく、
英語圏の人々の”文化や考え方”を知らなければ、正しく理解することはできないようです。

預言者は”預言の霊”によって主の言葉を受け、それを人々に伝えます。
その教えを理解するためには”預言者の語る言葉”だけではなく、
”主の御心”を知らなければ正しく理解することはできません。

モーセはイスラエルの民が主の御心を理解できず、従えなうことに悩んでいました。
預言者も人間であり、人の語る言葉を人の考えで理解しようするだけでは十分ではないようです。

預言者の言葉を理解するためには、預言者と同じ”預言の霊”、すなわち聖霊の助けが必要です。
それは聖典を読むときにも、福音を学ぶときにも、祈るときにも必要です。
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