モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

この世的なもの

2020-07-21 06:14:54 | 旧約聖書
「主の命に従って道に進み・・・主が命じられた通りに・・・言いつけを守った」民数9:23

主の命じられる通りに行動できるとしたらそれは祝福です。
エジプトから出てきたイスラエルの民はなぜそれができたのでしょうか。

モーセという力ある指導者があったことも大きいでしょうが、
”荒れ野”というこの世の誘惑がほとんど何もない場所であったことも大きく影響したことでしょう。

彼らがこの世的な思いを抱くごとに、それは不満となったようです。
この世的に便利で楽しみが多い環境にあるほどに、この世的な思いは強くなります。

イスラエルの民は”奴隷として苦しんだはずのエジプトに帰りたい”と何度も願いました。
霊的な自由よりも、奴隷であってもこの世的なものを得たいと願ったのです。

「主の道に進む」ためには、この世の楽しみ、喜びが妨げになることが多いようです。
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聖なる者

2020-07-20 06:11:18 | 旧約聖書
「あなたがたは自らを聖別し、聖なる者とならなければならない」レビ20:7

「神の宮は聖なるものであり、そしてあなたがたはその宮なのだから」1コリント3:17
”自分の内に聖霊が宿る”ことを望むのであれば、自らを聖く保つ必要があります。

「自らを聖別」するために主は聖餐を用意しました。
聖餐は”自らが聖いことを神に証明する”ためにあります。

「主の御名を受け、主を常に忘れず、その戒めを守る」ことで、
わたしたちは自らを聖別することができます。
それが主に認められたときに「主の御霊を受けられる」というのが聖餐の約束です。

「主の御名を受け、主を常に忘れず、その戒めを守る」ことの意味を理解しないままに、
”聖餐を取る”という形だけで満足しているとしたら心配です。
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言いたいこと

2020-07-19 17:53:35 | 今日の一言
「言いたいこと」のほとんどは
自己満足のためであり
相手のためではない
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奥義

2020-07-19 07:28:02 | 教義と聖約
「神の奥義を知ることができるように・・・求めなさい」教義と聖約8:11

神から”直接の教え”を受けなければ真に理解できないことがあります。
「聖霊によらなければ誰も『イエスは主である』と言うことができない」1コリント12:3

「イエスが主である」ことを人から教えられて受け入れたとしても、
聖霊の力によって確信を受けなければ、”真の意味で知る”ことはできないようです。

真の意味で知ることができたなら”神の奇跡を見て知る”ことができます。
人の力ではそれを説明することはできないし、理解することもできません。

聖文を読んでいて、或いは福音を学んでいて、
「あぁ、そうだったのか」と突然理解が開けることがあります。
それは聖霊の力によるものであり、その理解こそが「神の奥義」と呼ばれるものです。
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求めてはならないもの

2020-07-18 06:19:43 | 教義と聖約
「求めてはならないものを求めないようにしなさい」教義と聖約8:10

主の御心に反することを求めるなら、どのようなことが起こるでしょうか。

求めても何も与えられないとしたら、心はどう感じるでしょうか。
心に苛立ちや怒りが生じるかもしれません。

そして「神は祈りに応えない、神は存在しない」と考えるようになります。
おそらくそれは”主に反する者”の力によるものでしょう。

「神の御心にかなうものを求めるなら与えられる」と主は約束しています。
わたしたちは正しい判断によって求めるべきものを選ぶ必要があります。

”求めるべきものを求めない”ことも、主に反対する者は喜んでいます。

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