モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

喜び

2020-07-13 06:26:13 | 教義と聖約
「望んだことを喜びとしている」教義と聖約7:8

霊的な喜びはどのようにして訪れるものでしょうか。

御霊によって望むべきことが与えられ、その望みに従って求めるなら、
求めに応じて聖霊から与えられ、それが喜びとなります。

望むべきことが御霊によって与えられるには、
常日頃から戒めを守り、御霊に従う生活をすることが大切になります。

戒めを守るには二つがあります。
「戒めを守らなければならない」という義務感によって従うことと、
「戒めに感謝して自らの意思で従いたい」と自らの望みによって従うことです。

前者のような思いは、イエスが地上で生きた当時の人々のように、
御霊を退けてしまうこともあるので注意が必要です。
後者は御霊に触れる機会を与えてくれます。

どうすれば”戒めに望みを持つことができる”のでしょうか。
主への愛と信頼が大きく影響するようです。
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仕える

2020-07-12 08:40:33 | 教義と聖約
「救いを受け継ぐ者のために…仕える」教義と聖約7:6

相手の思いが自分と同じであるときには”仕える”ことはさほど難しくはありません。
自分の思いと異なることを求められるとき、仕えることは難しくなります。

教会の中にあっても、相手の望みが「主の御心に従っていないのでは?」と感じたとき
素直に仕えることができなくなり、心に葛藤の生じることがあります。

相手と自分のどちらかが誤っているのか、或いはどちらも誤っているのかと思い悩み、
「仕えることができない」と指導者に打ち明けた経験があります。

「自分は主に従いたいけれども、相手が主に従っているとは思えない」というのが理由です。
大抵、その後で”自分の高慢”に気付くのですが。

「誰も二人の主人に兼ね仕えることはできない」マタイ6:24
”主の御心”と、”主の御心に反すると感じられるもの”に兼ね仕えることはできません。
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向上心

2020-07-11 06:13:21 | 教義と聖約
「これまで行ってきたことよりもさらに大いなる業を…行うことを望んだ」教義と聖約7:5

「さらに大いなることを望む心」は誰にもあるものではないでしょうか。
そのような進歩成長を求める気持ちは”向上心”と呼ばれます。

子供の頃に「自転車に乗れるようになりたい」と思い、「車を運転してみたい」と思い、
更には「飛行機のパイロットになりたい、ロケットで宇宙に行ってみたい」と憧れるようなものです。

向上心は希望となり、活力となり、目の輝きにも表れます。
向上心を失うと無気力になり、思考は鈍り、善悪の判断さえも怪しくなってしまうようです。

単に”向上心がある”だけでなく、その先にあるものを知ることも大切です。


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誘い

2020-07-10 06:16:22 | 福音について
主の誘いは”勧め”と表現され、サタンの誘いは”誘惑”と呼ばれます。
主は人の心に働きかけ、善へ導こうとします。
サタンも心に働きかけますが、こちらは悪への導きです。

どちらも心への働きかけであって、実際に行動するのは人です。
主とサタンの思惑は正反対ですが、その働きかけの方法はよく似ているようです。

”教唆(きょうさ)”という言葉があって、犯罪教唆、殺人教唆などと使われます。
それはサタンの方法であって「罪を犯すようにそそのかす」ことです。

その一方で”教示(きょうじ)"という言葉があって、
主は人の救いのためにその道を教え示しています。

そのどちらも”心に働きかける誘い”であって、
人はそのどちらかに従い、行動し、自分の選びに従って報いを受けます。
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導き

2020-07-09 06:19:56 | 教義と聖約
「人々をあなたのみもとに導くことができるように」教義と聖約7:2

周りの人にも「自分と同じであって欲しい」と望む気持ちは誰にもあるようです。
「自分と同じものを得てほしい」と望む理由は何でしょうか。

それが真実で正しいものであり神の真理であるから
自分と同じ喜びや幸せを得てほしいから
周りが自分と同じになれば安心できるから

主は「神の国に入り、自分と同じように栄光を得てほしい」と望み導いています。
サタンは「自分と同じように惨めになって欲しい」と望み導いているそうです。

誰もが「自分と同じであって欲しいと望み、
無意識の内にも周りの人々を誘っている」といわれます。

様々な誘いの中で、何を選び、どの導きに従うのかは自分で決めることです。
それは”選択の自由”と呼ばれ、その結果に対する責任は自分自身で負うべきものです。
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