モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 10月26日

2023-10-26 05:48:21 | 総大会
「わたしは母を度々従わなければならない存在と見なしていました」
(君よ、イエスにお目にかかりたいのですが デインズ長老)

「教会に行かなければならない
 モルモン書を読まなければならない
 祈らなければならない
 戒めを守らなければならない」

それをダメとは言いません。
ただ少し心配です。
喜びはありますか。

「もちろんです
 わたしたちは福音を喜ばなければなりません」

う~ん…、
なんだか残念な気がします。
そんな感じがしませんか?
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総大会 10月25日

2023-10-25 06:01:34 | 総大会
「わたしの家族が溺れ死んでもお構いにならないのですか」
(キリストにあってその日に堪える ライト姉妹)

家族が溺れるのは勘弁してほしいです。
自分が溺れるのも嫌ですけど、
家族のそんな様子を見るのは
もっと耐えられないと思います。

天父はこの世で自分の子供たちが罪に溺れ、
霊の死に落ちて行くのを見て
どのように感じているのでしょうか。

「彼らの行く末は悲惨なものとなる…これ…を見て、どうして天が泣かないということがあろうか」モーセ7:37

もしかすると、わたしたちがそのことを理解できるように
家族という単位が与えられたのかもしれません。
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総大会 10月24日

2023-10-24 05:45:27 | 総大会
「カルメル山が一年中緑を保っているのは、ごく少量の露によるところが大きくあります」
(キリストにあってその日に堪える ライト姉妹)

「毎日、モルモン書を読み、祈り、戒めに従ってください」
 「それだけでいいの?」
改宗したばかりの頃、そんな会話をしたことがあります。
モルモン書や祈り、戒めにそんな力があると信じていませんでした。

今はどうでしょう。
それらは生活の中心にあります。

もしもその内の一つでも手離したなら、信仰を保てる自信がありません。
そう感じているのはわたしだけでしょうか。
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総大会 10月23日

2023-10-23 05:50:42 | 総大会
「上手くいくと信じられないときはどうすればいいのですか?」

「感謝します」なんて祈れないこともありました。
苦難の中にあるときには当然の気持ちだと思います。
もちろん、そんな出来事を受け入れられるときが
来るなんて信じられませんでした。

「色々あったけれど今は感謝しています」
…なんて言えるのは今が平穏だからです。
そんな日々が取り去られたら、また感謝できなくなるかもしれません。
その程度の信仰です。

いつか天父のもとに帰るとき、こう言えたらいいですね。
「色々あったけれど、今はここにいます」
そう言えたならすべては上手くいきました。

信仰とはそういうものではないのでしょうか。
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総大会 10月22日

2023-10-22 06:18:03 | 総大会
「聖霊が囁きました。『すべては上手くいきます』」
(キリストにあってその日に堪える ライト姉妹)

これまでの人生、色々なことがありました。
嬉しいことも辛いことも、
喜んだことも悲しんだことも、
愛したことも憎んだことも、
従ったことも逆らったことも…
誰もが同じような経験をしているのではないでしょうか。

「色々なことがあったけれど、すべては上手くいきました」
この世を終わるときにそう言えたら、たぶん満足します。

祝福師の祝福にそうあるので、きっと大丈夫でしょう w
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