モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 7月21日

2024-07-21 06:44:15 | 総大会
「万事がわたしたちの益となる」
(万事がわたしの益となるように ゴング長老)

思い出したくもない過去があります。
「消えてなくなればいいのに」
そんなことが益になるのでしょうか。

ペテロは「主を知らない」と三度繰り返しました。
パウロは主を信じる人々を獄に引き渡すために捕えました。
そんなことさえも益になるときが来るのでしょうか。

耐えて歩き続けるのはいつかその時が来ると信じているからなのでしょうね。
そんな人を見てきました。

信じられなければ諦めると思います。
そんな人もありました。

わたしはどうなのでしょう。
今のところは諦めていません。

先のことですか?
自信はないけれど、歩き続けたいです。
せっかくここまで来たのだから。

もしもこの約束が実現したなら、どれほどの感謝があることでしょう。
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総大会より 7月20日

2024-07-20 06:14:14 | 総大会
「イエス・キリストはわたしたちの希望であり、人生における耐え難い痛みに対する答えです」
(イエス・キリスト-わたしたちの生活の中心 アロンソ長老)

キリストを信じる心には‟希望”があります。
希望は耐える力を与えてくれます。
励まし、一歩を踏み出す力になります。

どうすれば‟希望”を持つことができるのでしょうか。
それはたぶん、神から与えられる賜物だと思います。

それは感謝し、信じて従うきにと増し加えられるようです。
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総大会より 7月19日

2024-07-19 05:56:50 | 総大会
「奇跡的にも…五千人の男性に加え、女性と子供を含む群衆に食べ物が与えられました。」
(イエス・キリスト-わたしたちの生活の中心 アロンソ長老)

もしもタイムスリップしてその場面に立ち会うことができたら

七つのパンと少しの小さな魚が増えて行く様子を観察してみたいですね。
ついでにイエスの姿をスマホに収めます。

モーセが紅海の水を分けたところに立ち会えたらどうでしょう。
その場面をビデオに残したいですね。

ノアの時代の洪水が起きる場面や方舟に乗った動物たちは映画を見ているみたいでしょうね。

あれ???
何か大切なことを忘れているような…

「この奇跡から深い教訓を学ぶことができます」
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総大会より 7月18日

2024-07-18 05:41:26 | 総大会
「主こそ喜びの源なのです」
(イエス・キリスト-わたしたちの生活の中心 アロンソ長老)

教会では色々な楽しい活動が計画され、行われます。
それは良いことです。

福音に興味がない人にも楽しんでいただきたいと思います。
また福音に触れて、興味を感じてもらう機会になれば幸いです。

楽しい活動を行えば、参加した人は福音に触れられるのでしょうか。
そうですね。
その中で「主を喜びの源」とした人と交わることができれば福音に触れる機会になると思います。

となると楽しい活動の前に、まずわたしたち自身が「主を喜びの源」としているかを振り返る必要がありそうです。
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総大会より 7月17日

2024-07-17 06:17:11 | 総大会
「重荷を負うて苦労している者は…わたしのくびきを負うてわたしに学びなさい。そうすれば…魂に休みが与えられるであろう。」マタイ11:28
(イエス・キリスト-わたしたちの生活の中心 アロンソ長老)

重荷とは‟罪”のことだと思います。
主のくびきとは”聖霊の賜物”ではないでしょうか。

バプテスマを受ける前に罪を悔い改めるように命じられています。
それはなぜでしょうか。

わたしは悔い改めないままにバプテスマを受けました。
つまり、重荷(罪)を抱えたままで主のくびき(聖霊の賜物)を受けたのです。

罪を悔い改めないままで聖霊の賜物を背負うとどうなるでしょうか。
わたしの場合は、相反するふたつのものが心の中で争い、混乱し、葛藤することになりました。

一言付け加えると分かりやすいかもしれません。
「重荷を負うて苦労している者は…まず重荷(罪)を下ろし、それからわたしのくびき(聖霊の賜物)を負うてわたしに学びなさい。そうすれば…魂に休みが与えられるであろう。」
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