モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 7月26日

2024-07-26 05:38:44 | 総大会
「わたしたちが信じるすべてのことや、神が聖約の民と交わされる約束はすべて、神殿に集約されています」
(万事がわたしの益となるように ゴング長老)

奉献の律法は‟途方もないもの”のように思えました。
「そんなことができるのだろうか」
そう考えているとき、ふと思いました。
他のすべての律法、教えと戒め、信仰、儀式…
それらのすべてはそこに至るために備えられたものではないのでしょうか。

説明することはできそうにありません。
そう感じているというだけです。

どなたか教えていただければ幸いです。
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総大会より 7月25日

2024-07-25 05:37:31 | 総大会
「ミニスタリングと言うのは、クッキーを持ってくるご近所さんから始まって、信頼できる友になり、霊的な救助隊になることだよ」
(万事がわたしの益となるように ゴング長老)

最初から「霊的な救助隊」であることを求められているのでしょうか。
「あなたがミニスタリングの担当でしょ?」
そんな言葉に‟無理やり”を感じることがあります。

担当に召されたら「信頼できる友」になれるのでしょか。
わたしにとって信頼し合える友の数は片手で足りるくらいです。
やっぱり無理そうですね。

笑顔であいさつを交わすご近所さんならなんとかできそうです。
それなら喜んで w
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総大会より 7月24日

2024-07-24 05:32:25 | 総大会
「神と神の愛を信頼するとき、もっとも深い心の傷でさえ、最後には…益となるのです」
(万事がわたしの益となるように ゴング長老)

「わたしはどのくらい神を信頼しているのだろうか?」
時々考えます。

「試しに信じてみよう。
ウソだったらやめればいい。」
そう思ってバプテスマを受けました。

約束されたことを色々と試してみました。
モロナイの約束、聖餐、神殿の聖約…
その結果、今ここにいます。

そのはずなのに未だにこう祈ります。
「今日一日、無事でありますように。
試練や苦難は勘弁してください。」

「わたしの思いではなく、御心が成るようにしてください」ルカ22:42
いつか真心からそう祈ることができたらいいですね。

その程度の信頼です。
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総大会より 7月23日

2024-07-23 05:28:53 | 総大会
「ときにわたしたちには、ともに悲しみ、痛みを感じ、涙を流し、苦痛や不満、ときには怒りさえも受け止め、人生には理解できないことがあることを一緒に受け入れてくれる人が必要です」
(万事がわたしの益となるように ゴング長老)

そんな人がいつも隣にいてくれたら幸せでしょうね。

そんなことを考えていたら、思いの中に声が聞こえた気がしました。
「あなたがそうなりなさい」

「はい、そうですよね」
ほかに返す言葉が見つかりませんでした w
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総大会より 7月22日

2024-07-22 05:52:12 | 総大会
「わたしたちは自分では何が益になるのか分からず、自分を優先するとき、限界のある、弱く、不完全なものを選んでいる」
(万事がわたしの益となるように ゴング長老)

福音に出会った頃のわたしの信仰は‟自分の思いの範囲内”にありました。
できる、できないを自分の思いで判断するのです。
そのために信仰にも限界がありました。

そんな信仰をダメというつもりはありません。
普通の人は大抵、そこからスタートするのではないでしょうか。
でもいつか、その先に進むか否かを試されるときが来ると思います。

自分の思いの範囲内で留まる人もあります。
主を信じて一歩を踏み出す人もあります。

「何が益になるのか」を信じる必要がありそうです。
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