モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 11月25日

2024-11-25 05:52:23 | 総大会
「わたしたちが注ぐ注意と努力に応じて神は御言葉を与えてくださる」
(御父を信頼する ホーマー長老)

毎朝四時に目覚ましが鳴ります。
それから一時間、瞑想の時間です。
布団の中で寝転がったまま、ボ~っとしています。

ほとんどは二度寝してしまいます。
注意力よりも眠気が先立つからです。

それでも年に数回程度ですが、眠気よりも求める思いが勝るときがあります。
そんなとき“深く考える思いと理解力”が与えられることがあるのです。

確立としては百分の一(1%)くらいでしょうか。
お勧めする気にはなれないですね。
これはわたしが個人的に主と交わした約束ですから。
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総大会より 11月24日

2024-11-24 06:02:25 | 総大会
「神の御心を理解し…ようと努めるときに、善悪の境界線は自分が決めるものでないことを覚えておくと助けになります」
(御父を信頼する ホーマー長老)

心に怒りがあるとき、「善悪の境界線」を自分で決めてしまいがちです。
分かりやすく言えば、“誰かに対して腹を立て、その怒りによって裁こうとするとき”でしょうか。

残念ながら、わたしにはよくあります。
バイクで走っていると無理な追い越しをしてくる車があります。
ムカッとして心の中で「なんだコイツ!」と思った瞬間、わたしはどんな顔をしているのでしょうか。
職場や教会、家庭の中でもあります。
しょっちゅうです。

その瞬間、主の御心を思う気持ちは失せています。
たとえそれが十秒であっても“サタンの誘惑に心を任せている”時間です。
サタンにとっては充分な時間かもしれません。
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総大会より 11月23日

2024-11-23 06:10:25 | 総大会
「神はわたしたちを信頼してくださり…御自身を信頼するよう求めておられます」
(御父を信頼する ホーマー長老)

主の愛を感じるとき、不思議に思うことがあります。
愛があるとき、そこには信頼もあります。
「自分は信頼に値する人間なのだろうか」と思えたのです。

「主なる神は心と精神、思いを尽くして、わたしたちを愛してくださっています。」

「イエスは『七度を七十倍するまで赦しなさい』と教えました。
それは主が“七度を七十倍するまで赦してくださる”ということです。」

主が人に求めることは、主ご自身が人に対して行っていることなのだそうです。

その信頼に応えたいと願うようになりました。
まだ充分ではありませんけど。
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総大会より 11月22日

2024-11-22 05:56:05 | 総大会
「信仰を働かせることにより、状況を違った角度から見えるようになった」
(御父を信頼する ホーマー長老)

息子から電話がありました。
もうすぐ一歳になる孫娘を保育園に預けるか考えているという相談でした。
一歳児の保育料って高いんですね。
「それは考えるよな」と思うくらいです。
要は「それだけお金を出す価値があるか」という話です。

こんな話をしました。
「赤ちゃんを預かってもらうだけなら高いかもしれないね。
もしもそこで赤ちゃんのためによい学びがあるなら、将来への投資と考えることもできるかもね。」
息子は「そういう考えもアリだよね」と言い、電話を終えました。

「信仰を働かせる」とは未来への投資といえるかもしれません。
永遠の未来に投資するには“日の栄えの考え”が必要になりそうですね。
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総大会より 11月21日

2024-11-21 05:49:29 | 総大会
「イエス・キリストの福音と主の教会の組み合わせの価値は計り知れません」
(これはわたしの福音である、これはわたしの教会である レンランド長老)

教会が個人を指すのであるなら、
「人がキリストの福音を受け入れるなら、その価値は計り知れません」となるのでしょうか。

「人が神と一致するなら、その価値は永遠です」と理解していいのでしょうか。
確かに、天父とイエス・キリストは一つですね。

解説はやめておきます。
計り知れない話なので、ついて行けそうにありません。
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